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お遍路ウォーキング日記(151:四十六番浄瑠璃寺へ)

【2024年6月4日(火曜日) Day 151】

 今年1月4日にスタートしたこの日記も今日でまる5ヶ月終了し6ヶ月目に入る。

 今日で四十五番岩屋寺を打ち、これから次の札所四十六番浄瑠璃寺に向かう。前回の日記「スマホ遍路日記」で岩屋寺を打ったのは186日目のことだったのでそれに較べるも一ヶ月も早い。

 ただこの「お遍路ウォーキング」というアプリ、たまに我を見失う事があり、前回の日記では数日にわたって前進が出来ていないこともあったので一ヶ月の差なんてものは自分が頑張ってタイムを縮めたと云うことではないと思う。

 5か月飽きることなくこの日記を続けられたのも四国八十八ヶ所巡礼が本当に楽しく、たとえシミュレーションであっても日々のライフワークに出来ている証拠だと思う。

 そして前々からよく言うが本当の巡礼はずっとペースが速く、ゆっくりと沿道の話を続けるには絶対的日数が足りない。歩きの人でちょっとゆとりを持っても2カ月。沿道の札所も含め情報を毎日連載しても60回で終わってしまう。しかも巡礼中はリアルタイムで日記を更新するのは至難の業だと思う。

 なのでざっと300日前後かけてバーチャルではあっても巡礼日記を続けるのは結構大変なことだと思っている。

 ご覧いただいている方は本当に少ないが、誰がいつ見てもしっかりと巡礼の旅行記になっていることを心がけてこれからも日記を続けたいと思う。


 さて、今日は札所四十五番岩屋寺を打ったのでこの寺のことについて簡単に書きたいと思う。

 岩屋寺は他の札所以上に特異な存在で有名なお寺でもある。その理由はいくつかあるがその中のひとつには「キツいお寺」だからだという理由もある。

 モータリゼーションもかなり徹底して歩く以外の巡礼の方法が一般化してもなおこのお寺だけは到達するのに最低限の苦労をする。岩屋の上りはまさに人生などという言葉もあるくらいどんな遍路でも苦労する。それは観光バスでやってきた団体お遍路様ご一行でさえも例外には非ずだ。歩き遍路であろうとバス遍路であろうと同じ苦労を強いられ、それが嫌ならば下から遥拝するしかない。

 このお寺の下にある駐車場やお土産屋のある集落から山門を通過し本堂に至るまでの道のりは約850m、徒歩で20〜30分程掛かる。石段の数は公式には220段と発表されているが山門からの段数であって山門に至るまでの間にすでにボコボコにやられているはずだ。

 遍路ころがしという難所をいくつも踏み越えてきた歩き遍路の人でも最後の最後にこの上りはキツいと言う人もいるくらいだし、自転車の人は特に足には負担が掛かるのではないだろうか。

 昭和の頃は札所六十番横峰寺が麓の集落からしか登れなくて間違いなく四国札所の最難関だったらしいが、平野林道開通とバス運行開始によりこの岩屋寺がいよいよ誰もが通らなければならない最後の難所となったという話しを聞いたことがある。

 この地に寺を建立させたのは弘法で、弘法が来る以前は女性の仙人が山に住んでいたという。この仙人が弘法の法力を見初め山ごと弘法に奉納したことから早速二体の不動明王像を彫り木造のものを本堂に、石造のものは岩窟に納めたという。

 この寺のご本尊は本堂の中にいるのではなく山そのものであり、その中にあるという不動明王像は絶対秘仏である。

 その後一遍(時宗創始者)が13世紀にこの寺で修行を行ったという記録が残されている。その頃は今よりもずっと大きな寺だったらしいが、後に数世紀の間大寶寺の奥の院としての扱いだった。それを再び寺として復興したのが明治の頃。その後失火でほぼ全てを失い、大正から昭和にかけて復興をし現在に至る。

 寺伝に仙人が現れたあたりからひとつ前の大寶寺とは随分と違っている印象を受けるが、行ってみればなるほどと納得するのではないだろうか。

 現在は宿坊もなくなり本当に上ってお詣りをしてすぐ下りてしまう寺になっているが、何かとは言わないバラエティ番組で面白半分に紹介されたりと不思議な力は誰しもが感じるのではないだろうか■


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