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目は口ほどに物を言うようで


昨日、大学で半年ほど前にお世話になった先生にお会いしました。

先生、お久しぶりです。

雪で濡れた靴をキュッと鳴らして駆け寄った私に、


あら…まあ、少し見ない間に綺麗になったわね。

ふふっと笑って、
本当ね、久しぶりねと言いながら、私よりも背の低い先生は、体を少し後ろに倒して足先から順に、ゆっくりと私を見上げました。


綺麗だなんてそんな…

言われ慣れないその言葉に、慌てて否定しようとしたのですが、最後まで言葉が出てきませんでした。

先生が、あまりにも穏やかな目で、そして嬉しそうに私を見ていたから。


照れ臭くて、頬が熱を持つのを感じながらも、

嬉しいです、ありがとうございます。

そう伝えました。
素直に出た言葉でした。

そんな私を見て、先生はまた笑いました。
今度はどこか、満足気に。



いつもの私なら、またまた、なんて笑ってそんな事ないですよ、ともらった言葉を返してしまうのですが、昨日はすっと自分の中に入ってきました。

綺麗ね、なんて言葉をかけてもらえるような容姿ではないので、そのお気持ちだけありがとうございます、という意味で言葉を受け取ることはあるけれど、昨日の私は、そのまま真っ直ぐに受け取ってしまいました。



先生と別れた後も、それはぐるぐると、私の中を回っていました。

どうしてあんなに嬉しくなったのだろう。
どうして素直にありがとうと言えたのだろう。


それは多分、先生のあの目です。
穏やかに、真っ直ぐに私を見つめてくれたあの目のおかげだと思うのです。


先生は私を、見ていました。
そして私に、その言葉をくれました。
きっと、本心で言ってくれたのだと思います。

というより、思わされてしまいます。

まるで、本当に綺麗になったのではと錯覚してしまうくらいに、その目に嘘はなかったから。




「目は口ほどに物を言う」

これまで何度か、まさにこの事だよな、と思ったことはあったけれど、昨日ほどこの言葉の意味を実感したことはありません。


思いのこもった目は、こんなにも人を惹きつけるのか。
こんなにも、心に焼きつくのか。


ふわふわ浮かれる心とは別で、冷静に自分に問いかける心もありました。

私は今まで、人の目を見ていただろうか。

今まで、恥ずかしさや身勝手な謙遜で返してしまった言葉の中に、真に思いのこもった言葉がなかっただろうか。


そして何より、私はどんな目で人を見ているだろうか…。

マスクが必須となったこのご時世、見えているのは目。

涙が出るほど暖かな目がある一方で、冷たく暗い目があるのも私はよく知っています。


人と繋がる中で、どうしたって目を合わせるのだから、それなら私は前者でありたい。

その目に見られることで、満たされ軽くなる心があると知ってしまったから。


目は口ほどに物を言うようで。



優しく世界を見れたなら、その世界もきっと私に優しいのでしょう。




そのあとこっそり鏡で見た私は、やっぱり私で変わらなかったけれど、それでもその目には隠しきれない喜びがあって、まるで新しい自分に出会えたようで、それを見てまた嬉しくなった、そんな1日でした。


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