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アートと本とコーヒーと:神楽坂から熊本へ

神楽坂『かもめBOOKS』で購入した辻山良雄著『小さな声、光る本棚』を読んでいたら、突然、私を熊本『長崎次郎書店』へ連れて行ってくれた人の名前が飛び出して、はっとした。

ロングヘアのカメラマンの彼女は、美人を超えて、「かっこいい」という形容詞を久しぶりに使いたくなった女性。その彼女が、はじめて一緒に熊本へ出張した際に、「連れて行きたいところがあります」と2軒の書店へ案内してくれたのでした。


市電の走る町、熊本市新町に建つ書店は大正期、当時、スター建築家と呼ばれた保岡勝也によるもの。特徴的な書店のたたずまいに吸い寄せられるように店内に足を踏み入れると、小学生向けの雑誌から小説、地元の歴史を掘り下げるものまで、品ぞろえは幅広い。

案内してくれた彼女は、時間のこともわたしのことも忘れて、気になる本とじっと向き合っている様子です。

こだわりやのクセに、こだわりの強いお店にいると息が詰まって落ち着かない気分になってしまう……そんなやっかいなわたしも小さなワンダーランドに迷い込んだように心がのびのびしている自分を感じます。

購入した1冊が若松英輔著『悲しみの秘義』。たぶん、彼女と一緒で、出張先で、雨降りで、この書店だったからこそ、出合えることのできた1冊。

どんな本に手を伸ばすかは、その時の自分のコンディションに左右されるもの。奥底に沈殿した哀しみとそこに射す透明な光が見えてくるような、美しく研ぎ澄まされた文章に触れ、その感動に素直に反応することのできた時間でした。

この著者の名前もまた小さな声、光る本棚に登場していたのでした。

そして、古いマンションの2階にある『橙書店』小さな声、光る本棚に登場。ページをめくる手がみたび止まり、カメラマンの彼女に案内してもらった2軒めの書店だったことをありありと思い出しました。

たどり着いた『橙書店』は、コロナ禍のためか窓が開け放たれ、カフェスペースの小さなカウンターがあり、雨とコーヒーの匂いの入り混じる心地いい空間。さらに、文芸誌の編集室でもあるようで、店主の方が電話口で「いま、校正しているところで……」と耳馴染みのある言葉を発していらっしゃった。

『小さな声、光る棚』の著者は大手書店勤務後、独立して荻窪に店を構えた人。一方、わたしは、長年、サラリーマン編集者生活を送ってきた。本へのかかわり方は違えど、わたしがずっと薄ぼんやり考えながらも言語化できなかったことが綴られていました。

本の世界に利便性が持ち込まれると、人の情緒に触れ、読む人を根底から変えていくような本は軽視される。
「良心にもとる仕事はしない」
本屋はいま、「街の避難場所」となっているのだ。

わたしの薄ぼんやりが果たしていつか覚醒できるのか……、まだ、しばらくさまようような気もするけれど……それも、わたしには必要な時間なのでしょう。

最後に、九州のとある田舎の本棚を。

光る本棚ーーという言葉で思い出した、バス停の中の本棚。選者は、地元の公立高校、農業高校、私立高校の生徒たち。一時間に1本ほどしか来ないバスを、大人から子どもまで、これらの本を手におしゃべりしながら待つ。

こんな場所を作ってくれた人に勝手に感謝です。

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