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元気じゃない私が今のわたし、こんな私に居場所はありますか?

体調不良で悩んでいた頃のこと、、、

なかなか完全に元気になれなくて、落ち込むこともありました。

家族からも

「早く良くなったらいいのにね」

「早くよくならないとね…」

と、毎度のように言われていました。

それで、家族と会話をしていて、気がついたのです。

何が苦しいって、何がいちばんツライのかっということが。

それは、

今の自分を否定されている、ことだったのです。

「早く良くなったらいいのにね…」という言葉だけにフォーカスするならば、

早く良くならないと困る

体調の良くないあなたは困る

と、突き付けれているかのように捉えてしまっていたのです。(心の深い部分で)

家族が心配して言ってくれる言葉がけに対して、

「それって、今の私がダメって言われているようで悲しくなってしまうよ。

だって、体調が良くないのが今の私だもん。今ここにいる私は、元気じゃないのに、元気じゃない私が早くここからいなくなって…と言われているように感じるよ。

まるで、今の私の存在がダメって言われているようで、体調不良の私には生きていても価値がないと言われているかのようだよー」

と大泣きしたのでした(ノД`)・゜・。

家族は、もちろん、そんなつもりで言っていないのは分かっているけれど、

湧きあがってきた深い悲しみが、ようやく言語化された瞬間でした。

つまり、

「元気なあなたなら、ここに居てもいいよ。ここに生きている価値があるよ」

と言われていて。

「元気ではないあなたは、ここに居てもらうと困るよ。ここに生きている価値もないよ」

と言われているように感じてしまっていたのでした。

もちろん、頭ではそこまで突き詰めることではない…と分かっていましたが、

深い心の奥底や魂レベルでは、そのように感じとっていたようでした。

家族に大泣きして、言葉にした瞬間、

あぁ、そうか…私は“体調不良の私”だと存在していても価値がなく、

迷惑しかかけないと思いこんでいたのか、、

それが悲しかったのだ。

と、理解したのでした。

何よりも、自分自身が、自分のことをそのように扱っていたからこそ深く傷ついていたのです。

誰にどのようなことを言われようとも、

自分自身が自分のことを認めてさえいれば、許せて受け入れてさえいれば、

傷付くことはないのだ、と同時に悟ったのでした。

その時から、

どんな自分も責めずに受け入れようと練習しました。

湧きあがってくる感情を否定せずに、受け入れて

不完全だと感じている自分を、今この瞬間に居場所をつくってあげることを徹底しました。

例えば…

あぁ、、今めちゃくちゃ元気がでないー。しんどくて家事もできない、、となった時は、

しんどいのイヤだよね。家事ができないのも悔しいよね。でも、今はしんどくて動けない私が完璧なんだ。動けない私が、今の私。この私がサイコーなのだ。

と、どんな自分にもマルをつける練習をしていったのです。

そうしたら、体調不良を感じる時間が短くなったように感じました。

病気や体調不良の自分を責めてしまう方にも、試してみてほしいです。

心が軽くなるといいな♪

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