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深読み:となりの世界

宮崎駿作品「となりのトトロ」に登場するサツキとメイのお父さん(草壁タツオ)は、一見、影が薄いですが、視聴者にとても大切なことを伝えているように思います。
子どもであるサツキもメイも、トトロやネコバス、まっくろくろすけが見えるのに対して、お父さんには見えません。しかし、お父さんは、娘二人の話を信じます。「いるかもしれないね」と、否定はせず、共感します。かといって、一緒になって探し回ったり、逆に忌み嫌ったりもしません。あくまで、「そっとしておこうよ」「こわくないよ」「お友達だよ」と子どもたちに言い聞かせるスタンスを取っています。
この物語では、サツキとメイは、隣の世界(トトロの世界)とこちらの世界(人間の世界)を行ったり来たりします。この二人にとって境界線はありません。しかし、お父さんも含め大人たちは向こうの世界には行きたくてもいけません。メイが失踪した時も、もちろん村人の大人たちは、トトロにメイの行方を聞くことはできませんでした。助けを求めるサツキをトトロたちが快く手伝ってくれます。大人の手に負えない事態が起こった際の子どもの味方です。
大人にとって、向こうの世界が現実になる時は、近しき大切な人がいなくなる(亡くなる)ときなのかもしれません。しかし、サツキとメイ姉妹にとって、母の病状は詳細は理解できず、大切な人がそばにいてくれない、戻ってこないかもしれないという漠然な不安を抱いています。
姉妹にとって、隣の世界(トトロの世界)は、いわば、逃げ場所であり、隠れ場所として機能しています。その境界に立ってドアを開いたままにしてくれているのが、お父さんです。もし、父親がトトロの存在を否定したり、考古学の知識を使って物的証拠から検証をはじめたとしたら、娘二人のスタンスも違ってきたでしょう。彼女らが体験した話を否定せず、共感しながら聴く。かといって、トトロの世界には介入しない。畏敬の念を抱くかのように挨拶をし、お礼を伝え、あくまでそっとしておく。一方、現実世界では、病床に伏す妻に寄り添い、子どもたちを父親として見守る。このように、何もアクションを起こしていないようにみえても、とても重要な立場にいるのが、サツキとメイの父親なのかもしれません。
この作品をみていると、どこか懐かしいものを思い出すのは、目に見えないものを、そのまま受け入れ、尊重し、決して詮索しないところにあるかもしれません。考古学という分析と追究を学問を専門とするお父さん(草壁タツオ)が、その役割を担っているのはとても興味深いところです。

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