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深読み:三日月に鹿

先週の土曜日に、兵庫県加西市住吉神社の春季例大祭、通称、「北条節句祭り」の神事を拝見しました。その際に氏子南町の屋台を拝見しました。

紺色の布団屋根に水色の天幕が特徴です。前後の梵天は翼を広げた一対の荒鷲が中央の兎を狙い、左右の脇梵天は、金綱の締め隠しとして「満月に鶴」「三日月に鹿」を配した扇が取り付けられています。

目を引いたのが、金の扇の上の「三日月に鹿」です。その由来については、未調査ですが、まず思い浮かんだのが、山中 幸盛(やまなか ゆきもり)です。戦国時代から安土桃山時代にかけての山陰地方の武将、通称は鹿介(しかのすけ)。

「山陰の麒麟児」「三日月に祈った不屈の闘将」「忠義の武将」「悲運の英雄」とも形容される戦国時代ファンの中でも人気の武士です。

幸盛は次男でしたが、病弱な兄の代わり山中家を継ぎ、山中家に代々伝わっている三日月の前立に鹿の角の脇立のある冑を譲り受け、のちの「鹿介」となりました。

衰亡した主家に忠誠を尽くして戦い続け、尼子十勇士の筆頭として、尼子家再興のために「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った姿をはじめ、その有り様が後人の琴線に触れ、講談などによる潤色の素地となりました。現代でも多くの歴史小説でも取り上げられています。

願掛けをしたのが、なぜ新月でも満月でもないのだろうかと思いますが、三日月には、「願ったことが膨らみ始める」という言い伝えがあるようです。月と人間の心身の調子というのは、まったく無視できるものではなさそうです。「月は、心の平静をもたらす」と言われたり、逆に、満月の日には凶悪犯罪や事故の発生率が高く、これは、月のエネルギーが最高潮に達することで、人間の気分も高揚するとも言われたりします。






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