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ハッピー♡セロトニン

たとえば小学生に「次の時間は好きなことをしましょう!」と言えば、教室のみんなは喜んで好きなことを始めるでしょう。一目散に校庭に走って鉄棒に飛びつく子もいれば、図書館のドアを開けて好きな作家の本を探す子もいる。一心不乱に紙に絵を描く子、体育館で跳び箱をしたり、チームを組んでバスケットボールを始めたり、それはまあ好き勝手に様々なことを即座に始めるでしょう。「何すればいいのかわからない」なんていう子、いるかな?

それなのに大人になると「今から好きなことをやってね」と言われると、何をしていいのかわからない人がとても多いらしい。そして「好きなことが何かわからない」ということは、日本では実はごく普通のことである……という話を聞いて私は愕然としました。

だってやりたいことってたくさんある。

編み物でしょ。植物を育てることでしょ。おしゃれをすることでしょ。おうちジェルネイルを集めること、映画館へ映画を見に行くこと、海、森、山にお散歩へ行くこと、色んな人と会って話をすること、ご飯を食べること、世界中を旅行して回ること、他にもやりたいことなんてテンコ盛りなわけです。

仕事だって会社員から、フリーのキンドル出版プロデュースなんてことも始めたし、この仕事がまた楽しくてやめられない。文章を書くことは小学生の頃から好きだったし、小6の時の夢は作家だったので、それから40年後に夢は叶ったとも言えるわけです。実にありがたいことだと、いるのかいないのかわかりませんが、いつも神様に感謝しています。

(ところで夢は望めば叶うという量子力学の説は、本当だと思います。上記の私の夢はそれは長いスパン(40年後)だったけれど、見事に叶ったし、“こうしたい”と思ったことはほぼ叶えてきました(時間は年単位でかかることが多い)。まあ、この話は今日はおいておきます。

でね、時々人から言われるのです。
「あなただからできたんでしょ」(誰にでもできるわけがないの意)
「才能があったのね」(私にはないからできないの意)
などなど、ちょっとだけトゲの入った言葉を投げかけられることもあります。

そんな時、私は返す言葉が見つからないけど、心の中でそっと呟いています。「私が特別だからじゃない。誰でもやりたいことがあるはずだ、やってみればいい。うまくいかなかったら、うまく行く方法を見つければいいんじゃないの? それすらせずに他人を羨んでいる場合かよ」と。若干の苛立ちを抱えながら。

でね、驚くべき事実を知ってしまったのでここにご紹介します。セトロニンという脳内ホルモン(別名:幸せホルモン)は、不安を抑制し、満足感を与える働きがありますが、人種的にみて、日本人は世界の他の国の人たちと比べると、セロトニンが異常に不足しているそうなのです。

たとえば、前向きで幸せを感じやすいアメリカ人は32.3%であるのに対し、日本人でそんなお目出たい人は、わずか1.7% だけらしいのです。つまり多くの日本人は不安を感じやすく、「好きなこと」が早々に見つかってキラキラわくわくな人、つまり私みたいに「好きなことやりなよ!」と笑っている人は超マイノリティらしいのです。1.7%じゃ「超」どころか、絶滅危惧種のレベルですよね。

そういえば私は体温の平熱が37度です(アメリカ人もそのくらい)。だから風邪をひいても38度くらいだと微熱で、39度台でようやくで苦しくなります。コロナ禍の頃は体温測定とかあったじゃないですか。平熱が37度なのでいつも引っかかるんじゃないかとヒヤヒヤしていました(そういえばあの体温測定もいつの間にかなくなりましたね)。
高校生の時、アメリカのLAへホームステイで訪れた時は、自分の意見をハッキリ主張して良い風潮に「人と違うことを言っても認めてくれるなんて! 長いものに巻かれなくてもいいなんて! ご飯を食べる時もみんなと同じものを頼まず食べたいものを頼んでイイなんて!」と今までに体験したことのない自由を感じたものです。

つまり私は日本人ぽくない。

あけっぴろげでメデタイ私のような人間にとっては、好きなことをするのは当たり前の感覚だけど、多くの日本人にとってはそれは当たり前のことではない。難易度が高い。たとえ「好き」と感じていたとしても「不安」な感覚に強く引っ張られ、「ホントに好きなのかな?」「好きなコトで食べていけるわけがない」「世の中そんなに甘くない」と戒めに引っ張られ、不安が強くなるらしいのです。

「好き」を感じやすい少数派の私からすると、「好きならやってみなきゃわからんじゃろ」なので、まずは好きが正しいのかどうか行動するんですよね。違ったらまた他のやり方を見つければいいわけで、とことん好きを追求します。

そんな時、ぐずぐず動かない人を見ているとイライラするのも事実で、「やってみればいいのに、ばーか」と思わなくもなく、それはもしかしたら無意識とはいえ、優越マウントかもしれません。けど、無意識なんだからどうしようもないよね~? とこれまた開き直っちゃうんですね。どこまでもめでたく、どこまでも自分に甘く他人に厳しく、です笑。

で、好きなことが見つからないことはごく普通のことだとして、そんな人はどうすればいいのかというと、日本人には日本人特有の「成”幸”法則」がある、と唱える人がいました。

「好き」を感じるのが苦手で「不安」を感じることが得意な民族は「イヤなこと」や「辛いこと」「自分には向いていないこと」も我慢してしまうから、まずは
・イヤなことやめる
・辛くて我慢して行っていることをやめる
・向いてないと分かってることやめる
これを最優先する。

とある方の投稿

イヤなこと、辛いことをやめた時に初めて、その隙間、空間に「好き」が芽生え始める…。たとえば、数学が嫌いなのにずっと勉強していても楽しいわけがなく、数学の勉強をやめて読書をしてみた時にやっと「あ、こっちの方がずっと好き、この時間は辛くない」と気づきますよね。

私みたいな少数派は「嫌いなことはやらない」ので、成長と共にどんどん開き直りが強くなり、高校の時は数学で初めて1を取りました。それでも興味がないからしょうがないんですね、将来もこんなクソ面白くもない学問は私には必要がない、使う訳がないという予感がありましたし(その予感は的中)。その代わり大好きな英語や国語、古文などの成績はよかったです。

また、多くの人にとり、不安だけど続けていることをやめるのは怖いから、無意識に「好きなことが見つからない自分が悪い」という理屈を採用し、我慢し続ける自分を責めて説得するみたいです。……かわいそうに。

私は後先のことは考えずに「好き」に飛び込んでしまいます。そんな無鉄砲なことはできないという場合は、イヤなこと少しでもやめてみて、「好きかもしれない」ことを試していくのがよいそうです。そうすると、もともと不足しているセロトニンが少しずつ増えていくのですって。

その先にあるのは、ワクワクやドキドキ、「好きっ!(きゅん)」ではなく、穏やかで静かな心地よさ、のようです。素敵ですね、私には一生手に入れることのできない境地です。ある意味羨ましくもあります。どちらにしろ、人類のみながセロトニンを増やして、少しでもハッピーでいられたらいいなって思います。

pay forwardで行動していきます、ありがとうございます☆