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辞書を学ぼうと決めた日:辞書好きの高校生が上京しサークルを立ち上げるまで

みなさんこんにちは、Lakkaです。
私は辞書尚友の創設メンバーであり、現在代表を務めています。辞書尚友は、辞書好きの大学生が集まるインカレサークルです。大学・学年問わず誰でも入会することができ、活動の拠点をnoteとTwitter(現X)に置いています。

この記事では「辞書」というマイナージャンルの趣味を持つ私が、なぜ今の大学を選び、辞書尚友を立ち上げるに至ったのか、個人的なことにはなりますがその経緯をお話していきたいと思います。

この記事を書こうと思ったのは「高校生向けに辞書の勉強ができる大学をまとめてほしい」とリクエストをいただいたことがきっかけです。
しかし「辞書の勉強ができるかどうか」はその時その大学にどんな先生が所属されているかということが大きく関わってくるため、数年違うだけでかなりの変化があるように思います。
そこで今回は大学ではなく、私個人の体験談をまとめてみようと考えました。書いているうちにあまりにもエッセイ感が強くなってしまったので、辞書尚友ではなく個人のアカウントを作りました。


辞書との出会い

辞書尚友を立ち上げるまでの経緯を語るにあたって、なぜ私が辞書を好きになったとのかということもお話したいと思います。

初めてまともに辞書に触れたのは幼稚園を卒業した直後だったと記憶しています。幼稚園から贈られる卒業祝いが、小学生向けの国語辞典だったのです。親に言われるがまま付箋をたくさん貼っていたのを覚えていますが、喜んでやっていたわけではなく、むしろ嫌々やっていたように思います。その後も小学校で辞書引き学習をする機会があったはずなのですが、ほとんど記憶にありません。
おそらく「やらされている感」のある辞書引きは、私にとってあまり楽しいものではなかったのだと思います。

辞書に対する印象が良くなったのは、辞書編集者を主人公にした小説『舟を編む』を読んでからです。当時の私は(小学校の4年生か5年生だったと思います)、「そんな職業が存在しているんだ!」という純粋な驚きとともに本を閉じました。

しかし、その後すぐに辞書マニアになったわけではありません。

ただ小学生の私は、『新日用字典』というポケット版の辞書を持ち歩いたり、読む本がない日は読書の時間にそれを読んだりしていました。中学1年生のときの自由研究は「辞書の作り方」でした。(捨ててしまったようで内容もあまり覚えていませんが…)
ここまでしていて辞書好きの自覚がなかったのがちょっと怖いくらいです。さらに言うと、読書の時間に友達に『新日用字典』を貸していました。友達も友達でなぜ受け取ってくれたのかわかりません。

辞書が好きだと自覚した中学時代

「辞書が好きだ」と明確に自覚したのは中学2年生の終わり頃でした。
私は中学受験を経て中高一貫校へ通っていましたが、成績はあまり良くなく、心配した母親が個別指導の塾を探して薦めてくれたのです。その塾に偶然置かれていたのが『新明解国語辞典 第七版』、私が辞書沼に落ちるきっかけとなった辞書です。(2024年現在の最新版は第八版です)

自習室の机から見えた『新明解国語辞典』を眺めながら、私は映画版『舟を編む』を思い出しました。

みどり「(語釈を読み)右。西を向いた時、北に当たる方…… 北。西を向いた時、右に当たる方角…… 確かにこれじゃ堂々巡りですね」
佐々木「新明解の『右』の語釈は、アナログ時計の文字盤に向かった時、一時から五時がある方、だった気がしますけど」

『舟を編む』パンフレット、102頁

これは、映画の後半で辞書編集部員たちが「右」の語釈について議論するシーンです。佐々木のセリフはなぜだか鮮明に私の中に残っていました。

私は『新明解国語辞典』を手に取り、「右」の語釈を確かめました。長く使っていた電子辞書にも『新明解国語辞典』は入っていましたが、私はそれまでずっと先頭に出てくる『広辞苑』の語釈ばかり見ていました。
このとき私は「辞書によって語釈が違う」ということを初めて実感したのです。

それからはあっという間でした。塾へ行けば宿題も予習もせず、『新明解国語辞典』ばかり読んでいました。飽き性の私は頭から読むことはせず、ある言葉を引きそこからまた別の言葉に飛ぶ、ということをずっと続けていました。
電子辞書でも辞書の引き比べを楽しむようになりました。私の電子辞書には『広辞苑 第六版』『明鏡国語辞典 第二版』『新明解国語辞典 第七版』の3つの国語辞典が収録されていました。『広辞苑』は固有名詞がたくさん載っている、『明鏡』は新語が多い、『新明国』は語釈がユニーク。毎日が新たな発見の連続でした。

辞書好きの高校生

高校1年生の8月、Twitterを始めました。元々見る専のアカウントは持っており、「辞書界隈なるものがあるらしい」ということは知っていました。このとき、辞書沼に落ちて1年半。そろそろ誰かと語り合いたくてたまらない、そうなっていた時期でした。

辞書界隈はそもそもとても小規模です。そして当時おそらく10代は私だけでした。私は徐々に”辞書好きの高校生”として認知され始めます。
しかし、辞書のイベントやオフ会はたいてい都内で行われるということもあり、地方に住んでいた私は対面のイベントに参加することができませんでした。そのこともあり、「大学は関東圏。できることなら都内に」という思いはずっと心のどこかにあったように思います。

高校1年生3月のツイートです。16歳の自分のツイートを掘り起こすのは本当に恥ずかしかったので、noteに貼り付けるところまでやった私を褒めてください。とにかく当時こんなツイートをしたわけです。

当時の私は、将来の夢ははっきり決まっていなかったものの、「辞書に関わる仕事につきたい」という漠然とした思いと、「辞書編纂に携わる先生のいる大学へ行く」という選択肢がなんとなく頭の中にありました。
『広辞苑 第七版』の予約特典『広辞苑をつくるひと』での、柏野和佳子先生の発言が印象に残っていたからです。

高校生のときに、『岩波国語辞典』の編者のお一人である水谷静夫先生の存在を知って、「すごいかただ」と憧れまして。辞書に興味津々だったので、水谷先生のおられる大学に入って講義を受けました!そこからますます辞書に惹かれて、国語学(日本語学)の研究者になった、という経緯ですね。

三浦しをん『広辞苑をつくるひと』岩波書店、2018年1月12日、17頁

しかし、辞書編纂に携わっているといっても、ご専門は人それぞれ。自分が具体的にどんなことに興味を持っているのか、当時の私にはわかりませんでした。
そんなわけで、辞書の表紙に載っている先生方の名前を調べながらも、どう決めればいいのかわからない、という日々が続いていたのです。
(この頃新型コロナウイルスが広まりはじめ、オープンキャンパスに行ける状況でもありませんでした)


結果として、このツイートは私の人生を変えました。
辞書編纂者である飯間浩明先生から「大学はわからないが研究者なら知っている」と直々にDMをいただくことができたのです。そしてその時一番に名前があがっていたのが、明治大学の小野正弘先生でした。

辞書に携わりたいという情熱

とはいえ、明治大学を受験しようと決めたのはかなりギリギリのことでした。私は、辞書編纂に携わる先生がいらっしゃる明治大学、筑波大学、そして早稲田大学の3択で長い間悩んでいたのです。

明治大学は『三省堂現代新国語辞典』主幹の小野正弘先生。『三現新』は私の推し辞書です。(この記事のサムネは高校生のときに作った三現新のペンライトです。画像フォルダから掘り起こしました。懐かしいですね…)

筑波大学は『明鏡国語辞典』の矢澤真人先生。『明鏡』の主幹・北原保雄先生も筑波の名誉教授であり、『明鏡』と強いつながりのある大学です。

早稲田大学は『新明解国語辞典』の笹原宏之先生。そして、早稲田には過去に「早稲田大学辞書研究会」が存在しており、その影響もあってか辞書といえば早稲田というイメージがありました。

最終的に明治を選んだのは、明治の文学部に”自己推薦特別入試”という制度があることを知ったのがきっかけです。

Q 出願するには特別な資格や受賞歴が必要ですか
A 特に必要ありません
実績の優劣のみで合否が決まることはありません。重要なのは、現在努力していることが入学後に学びたいこととどのような関連があるか、明確に証明できることです。

明治大学公式サイトより

この制度を知ったとき、私は絶対にこの入試で明治大学に合格しよう、いや絶対にできると思いました。辞書について学びたい、そして辞書に携わる仕事につきたいという情熱は誰にも負けないと思ったからです。


高校3年生の11月、明治大学から合格通知が届きました。明治を受験しようと決心してから半年後のことでした。

ア.この制度を生かして、あなたは本学部の志望する学科・専攻で具体的に何を学びたいと思っていますか。将来の希望も含めて述べてください。
イ.自ら最も高く評価する特定分野あるいは高等学校時代に行ってきた「研究」または「学習」をアの内容と関連させて述べてください。また、上記の特定分野あるいは「研究」、「学習」の際に読んだ著作について、あなたの意見を述べてください。

これは第一次選考で提出する自己推薦書のお題です。「ア」と「イ」合わせて2000字以内で書かなければなりません。

「ア」で、私はシンプルに辞書が本当に好きであることをアピールしました。
その証拠に、自己推薦書の2文目は「私は自他共に認める辞書オタクです」でした。ちなみに1文目は、「高等学校の3年間、私の学習の主軸はSNSだったと言っても過言ではありません」です。早くから”辞書好きの高校生”として辞書界隈に入り込んでいったことをアピールポイントにしてしまったわけです。
おそらく大半の人が受賞歴やボランティア経験などをアピールする自己推薦入試において、私は異端な存在だったと思います。
「ア」の後半は、将来辞書学を研究したいこと、そしてその基盤とするために日本語学を学びたいことを書きました。そしてそのためには明治大学でなければならない、どうしても小野先生の元で学びたいということを強く訴えました。

第二次選考の面接官の1人は小野先生でした。午前中に受けた小論文に自信がなく落ち込んでいた私は、面接室の扉を開けた途端に元気を取り戻しました。
大好きな辞書の編集主幹の先生が目の前に存在しているという事実は、対面イベントに参加できず、地方からTwitterを眺めることしかできなかった私にとって、唐突すぎるビッグイベントでした。私が初めて対面で辞書トークをしたのは小野先生です。こんなに幸せなことはありません。

ウィキペディアを編集する辞書マニア

2022年1月、高校を卒業する1ヶ月程前に、私は早稲田Wikipedianサークルに入会しました。このサークルに入ったことには、自己推薦書の「イ」のお題が大きく関わっています。

イ.自ら最も高く評価する特定分野あるいは高等学校時代に行ってきた「研究」または「学習」をアの内容と関連させて述べてください。また、上記の特定分野あるいは「研究」、「学習」の際に読んだ著作について、あなたの意見を述べてください。

私が選んだ著作は、飯間先生の『辞書を編む』です。その中でも第6章「これからの国語辞典」に注目し、”フリー辞典が発展する現代において、国語辞典の存在意義とは何なのか?”ということを論じました。

私が書いた自己推薦書から一部を引用します。高校3年生のときに書いたものですので、細かいところは目をつぶってください。

実際には、国語辞典は必ずしも本来の意味だけを載せているわけではないし、全ての常用語を網羅しているわけでもありません。しかし、大半の人が辞書を絶対視していることは事実でしょう。ことばが世界を作っていて、ことばを定義する役割を担うのが国語辞典です。不特定多数の一般人によって書き込まれるフリー辞書では、その役割を全うするだけの信頼を持ち合わせていないと思います。今後紙の辞書は減り、アプリ版、電子辞書版が一般的になるかもしれません。しかし存在そのものが揺らぐことはなく、国語辞典は私たちの拠り所として必要とされ続けると思います。

Lakka26(2021)

この少し前では、最も発展しているフリー辞典の例としてウィキペディアの名前をあげました。(※ウィキペディアは国語辞典ではなく百科事典です。ここではあくまでわかりやすい例として取り上げました。)

合格後この文章を読み返していた際に、「今さらだけど私フリー辞典のこと何も知らないな」ということに気がつきました。そして、実情も知らずに批判したことを後悔したのです。その背景には、以前に『マツコの知らない世界』のウィキペディア特集で見た、ウィキペディアンたちの姿が印象に残っていたことも影響しています。ウィキペディアも辞書と同じように人が作っているのだ、ということをここで改めて思い出しました。
そして、辞書の「敵」であるウィキペディアについて知ることで、今後辞書の研究をする上で役立つのではないかという目論見もありました。


しばらくの時が経ち、私はまんまとウィキペディアにはまっていました。
ウィキペディアは想像以上に奥深い世界で、多種多様で綿密なガイドラインは私を驚かせました。
この頃から、私は辞書を一歩引いた目線で見るようになります。
私は自己推薦書で「フリー辞典は信頼できない」と結論づけ、辞書の存在意義を証明したつもりでした。しかし、ウィキペディアに編集者として参加するようになってからその思いは揺らいでいます。”辞書の存在意義とは何なのか?”という問いは、これから一生自分についてまわる研究テーマとなるように感じています。

ウィキペディアについてはこちらのインタビューで詳しくお話していますので、このあたりで切り上げることとします。

辞書尚友の設立

中央大学の学生用語辞典中央辞の中の人であり、辞書尚友の前代表であるふずくさんと出会ったのは、昨年(2023年)の8月のことです。私は大学2年生、ふずくさんは4年生でした。

同年代の辞書好きと出会うのは、お互い初めてのことでした。出会って2日目には沈黙の時間がないほど話し続け、ノリと勢いだけで辞書サークルの設立が決定しました。辞書尚友の最初の投稿ごあいさつ【ご挨拶】は、私の家の近くの某大手ハンバーガーチェーン店で書かれたものです。

ふずくさんが大学を卒業し、4月より私が代表を引き継ぎました。
活動の主体は学部生ですが、現在OBを含めた6名が所属しています。長らく同世代の辞書好きがいないことを嘆いていた私にとって、これは本当に嬉しいことです。
辞書尚友は、外から見るとnoteの更新がメインであり、辞書沼に浸かりかけの人にとってはハードルが高いかもしれません。しかし実際には辞書欲をもてあました私とふずくさんが書いた記事が大半で、入会したからといって記事を書くことを強制されるわけではありません。
辞書尚友は、辞書好きの仲間を作ることができるのが最大の魅力であり、そうしたつながりを求める学生のみなさんに入会してもらえると嬉しいです。

辞書尚友は、9月で設立1周年を迎えます。

おわりに

私はとても運がいいと思います。
大学では希望通り、小野先生の元で学んでいます。そうした選択肢を(本から間接的に)教えてくださった柏野先生とも、直接お話する機会が訪れ、先日は辞書尚友で国立国語研究所を見学する機会までいただきました。
高校生のときDMでアドバイスをくださった飯間先生は、早稲田Wikipedianサークルの勉強会に何度もご協力いただいています。

その他にも、あの頃Twitterを通して見ていた方と直接交流ができていたり、対面のイベントに参加することもできています。
高校生の私が見たら腰を抜かして信じられないと首を振るような世界が、今目の前に広がっています。

私の夢は、辞書を専門に研究する、研究者になることです。
私は自分のことを成功したオタクだと思っています。あの頃やりたいと思っていたことは大体全て叶ってしまっている、だからこそ今後は辞書業界に貢献していきたい、そう強く思っているのです。

もし辞書が好きな中学生、高校生の方がいたら声をかけてください。可能な範囲で辞書尚友の活動に参加してみませんか?
地方でも、家から出ることが難しくても、今はオンラインでお話することができます。メールをする勇気がなければ、辞書尚友というワードを入れてツイートしてください。探しに行きます。


ここまでお付き合いいただきありがとうございました。

私はどの大学を受験するか本当にギリギリまで悩みましたが、自分の選択に後悔はありません。明治大学を選んで良かったと心から思っています。

最後に1つだけ注意点を述べておくと、辞書編纂に携わる先生が所属されている大学に合格できても、辞書についてどのくらい学べるかはわかりません。正直なところ運だと思います。
私は秋学期に辞書について学ぶ講義を受ける予定なのですが、これも年によってテーマが違うようです。なので、シラバス(大学の授業内容が記されたもの)までしっかり見た上で大学に進学したとしても、受けたい授業を受けられない可能性は当たり前にあります。
私はどこかで辞書の話が出ることを期待して、出版系の授業をかたっぱしから取っています。今のところ成功していますが、これも大学や先生によると思います。

あまり夢のない話をしてしまいました。しかし辞書が好きだという情熱と、どうにか辞書について学ぼうという行動力を持っていれば、必ずどこかでチャンスが訪れると思います。
この記事を読んでいる中学生、高校生のみなさんが後悔のない大学選びをできることを祈っています。

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