見出し画像

ユビキタス化するAI : 消費電力を抑えてエッジで継続学習するニューラルネット

 IBMが「TrueNorth」と呼ばれるニューロモーフィック・チップの開発を発表したのは、今からちょうど10年前の2014年のことです。その当時、ディープラーニングに急速に注目が集まっていた時期で、既にその頃から、計算のための電力確保には原子力発電所の建設が必要だ、と言われていましたが、現在においても電力問題は解決に至らず、同様な状況が続いています。そして今日におけるAIの裾野の拡がりからは、利用者数の増加により、利用者数の急速な増加を受けて、コンテンツの質と量が拡大するなかで演算量も恐らく10年前とは桁違いの規模に膨れ上がっているのでしょう。

 さて今回は、冒頭にあげたニューロモーフィック・チップにも、ご近所さん的な新しめのニューラルネットを2つ紹介させて頂きます。
 この2つのニューラルネットは、エネルギー効率の高さからの省電力稼働、そして、逐次のオンライン学習が可能という特徴を持つもので、ようやく研究室を飛び出して、市場にもシリコンチップが出回り始め、多くの市場参加者がキラー・アプリケーションの探索と評価を進めているシロモノです。いまだ普及期にはほど遠いテクノロジーですが、このような動きもヒタヒタと進んでいるということで、ご参考頂ければと思います。 




1. 現在のニューラルネットワークの課題

 現在のAIにはいくつかの問題があります。これらはChatGPTやStable Diffusion、Soraなどの最先端モデルにも共通しており、従来から様々な手法が開発されてきましたが、まだ完全には解決されていません。それら問題点は以下の通りです。

 ① 知識と能力の固定化
 現在のAIモデルは、学習が終了すると重み(ウェイト)が固定されるため、運用中に新しい情報を学習したり、能力を向上させたりすることができません。例えば、ChatGPTは時間とともに学び続けて賢くなることができず、常に同じレベルの知識で応答します(プロンプトエンジニアリングで知識の取り出し方を工夫したり、メモリを利用して短期的知識を補ったりすることはできますが、モデル本体そのものが学習することはありません)。
 一方、人間の脳は「神経可塑性(neuroplasticity)」を持っており、脳内のニューロン(神経細胞)の組み換えが可能です。そのため、逐次学習ができ、生涯にわたって学習を続けることができます。しかし、現在のAIモデルが新しい知識を学習するには、全体または一部を再学習させた新しいモデルを作成する必要があります。

 ② エネルギー集約的で非効率
 現在のAIモデルは、非常に多くの計算リソースとエネルギーを必要とします。たとえば、GPT-3のモデル学習には約1287メガワット時のエネルギーが必要となり、これは米国の1500世帯の月間電力消費量に匹敵するとされています。GPT-4に至っては、さらに多くのエネルギー消費が必要であったとされています。このような大量のエネルギー消費は、持続可能性の観点から大きな問題となります。

 ③ 大規模なデータと計算リソース
 AIモデルの学習には膨大な量のデータと計算リソースが必要です。これにより、学習コストが非常に高くなり、多くの企業や研究機関が新しいモデルの開発や学習に参入するのが難しくなっています。この大規模なデータと計算リソースの必要性は、AIの普及と進歩を妨げる要因の一つとなります。

 ④ 汎化能力
 現在のAIモデルは、特定のタスクには高いパフォーマンスを発揮しますが、異なるタスクや新しい環境に対する汎化能力が不足しています。例えば、特定のデータセットで学習されたモデルは、異なるデータセットや新しいタスクに適応することが難しく、この汎化能力の欠如が、AIの応用範囲を制限する要因となっています。

 ⑤ 解釈性と透明性
 現在のAIモデルは、特定の出力に到達するプロセスを説明することが難しいです。このため、AIが示す結論や予測、出力に対する信頼度が低くなり、医療や金融などの分野での活用が制限されることになります。

 これらの問題を解決するために、新しいアーキテクチャや技術が研究されています。 


2. 新たなニューラルネットワーク

 現在のAIモデルが抱える課題を解決するために登場し、実用化に向けた研究が進行中の2つのテクノロジーについて紹介いたします。

 1つ目は「リキッド・ニューラルネットワーク(LNN)」で、もう1つは「スパイキング・ニューラルネットワーク(SNN)」です。

 リキッド・ニューラルネットワークは、動的な適応能力と高い計算効率を実現し、もう一方のスパイキング・ニューラルネットワークは、高いエネルギー効率と時系列データの処理能力に優れています。どちらも発展途上のテクノロジーですが、これらが改善・進化することで、新たな可能性が広がり、現行のAIでは実現できなかった多様なアプリケーションやユースケースの実現が期待されています。

 以下、従来のAIモデルが持つ主な課題の2つに対して、リキッド・ニューラルネットワークとスパイキング・ニューラルネットワークがもたらす効果について説明します。
  

(1)継続的なモデルの学習能力

 人間は、生まれた後も学習によって脳内のニューロンを組み換えて、新たな知識や経験を獲得し続けることができます。一方、現在のAIモデルは、一度、モデル学習が完了すると、そのモデル自体の知識を拡張するには、新しいバージョンのモデルをあらためて作成する必要があります。そしてこの際、多くの学習エネルギーが必要となる他、過去に獲得した知識が忘却されないように工夫をする必要があります。

① リキッド・ニューラルネットワークの継続的な学習能力

・ダイナミックに適応
 リキッド・ニューラルネットワークのリキッド層は、新しいデータに対してダイナミックかつリアルタイムで適応できます。これは運用中に新しい情報を継続的に学習し、ネットワークの状態を常に更新し続けることを意味します。(※ リキッド層の説明は後述)

 ・リアルタイム学習
 リキッド層は入力データに常に反応し、その状態を変化させ続けます。これにより、リキッド・ニューラルネットワークはリアルタイムで学習し、新しい状況や環境に迅速に適応することが可能です。

 ・依存関係の長期保持
 リキッド層は過去の入力情報を内部状態として保持するため、長期間の依存関係を持つデータの処理に優れています。これにより、連続的なデータストリームや時系列データの処理が可能になります。

 ② スパイキング・ニューラルネットワークの継続的な学習能力

 ・スパイクタイミング依存可塑性
 スパイキング・ニューラルネットワークは、ニューロンの発火タイミングに基づいて学習します。スパイクタイミング依存可塑性(STDP:Spike Timing Dependent Plasticity)により、ニューロン間の結合強度がスパイクの相対的なタイミングに依存して変化します。このメカニズムにより、スパイキング・ニューラルネットワークは継続的に学習し、時間とともに適応していくことができます。

 ・エネルギー効率の高さ
 ニューロンが発火するタイミングでのみエネルギーを消費するため、非常に高いエネルギー効率を実現します。この特性により、連続的な学習プロセスを低エネルギーで実行することが可能です。

 ・リアルタイム適応
 入力データの変化にリアルタイムで対応し、学習する能力を持っています。この特性により、自律システムやリアルタイム処理が求められるアプリケーションにおいて優れた性能を発揮します。

 以上のように、リキッド・ニューラルネットワークはダイナミックなリキッド層を用いてリアルタイムでの適応と継続的な学習を可能にし、スパイキング・ニューラルネットワークはスパイクタイミング依存可塑性を利用してエネルギー効率の高い継続的な学習を実現します。これらのニューラルネットワークを利用したAIモデルは、運用中(推論過程)にも新しい情報を学習し続け、常に最新の状態に知識を更新しながら、動作することが可能になります。
 

(2)エネルギー効率の改善

 従来のニューラルネットワークのエネルギー効率と比べての、リキッド・ニューラルネットワークとスパイキング・ニューラルネットワークのエネルギー効率の優位性についてです。

  まず、リキッド・ニューラルネットワークとスパイキング・ニューラルネットワークは、従来のディープニューラルネットワーク(DNN)やリカレントニューラルネットワーク(RNN)に比べて、エネルギー効率が高いという特徴があります。以下では、それぞれのエネルギー効率の優位性について、可能な限り定量的な比較評価の指標を示しながら説明して行きます。
 リキッド・ニューラルネットワークは、そのダイナミックな構造によって、処理に必要な計算量を削減することができます。一方、スパイキング・ニューラルネットワークは、ニューロンがスパイクと呼ばれる短い信号が発生した際にのみ情報伝達がトリガーされることから、エネルギー消費を大幅に抑えることができます。

 ① 従来のニューラルネットワークのエネルギー効率
 従来のニューラルネットワーク、例えばGPT-3やGPT-4などの大規模言語モデルは、次のようなエネルギー消費量となります。

 ・GPT-3
 モデルの学習に1287メガワット時(MWh)のエネルギーを消費します。これは、米国の1500世帯の月間電力消費量に匹敵します。

 ・GPT-4
 GPT-3の10倍、約1兆7600億個のパラメータを持つとされ、そのエネルギー消費量は41,000 MWhと推定されています。これは、米国の47,000世帯の1カ月分の電力消費量に相当します。

 ② リキッド・ニューラルネットワークのエネルギー効率
 リキッド・ニューラルネットワークは、リキッド層の重みを固定し、出力層のみを学習するため、従来のニューラルネットワークと比べ学習時の計算負荷を大幅に低減することができます。
 具体的なエネルギー消費量の数値は公開されていないものの、一般的には従来のDNNやRNNのエネルギー消費量に比べて数分の1から数十分の1に低減されると考えられています。

③ スパイキング・ニューラルネットワークのエネルギー効率
 スパイキング・ニューラルネットワークは、ニューロンがスパイクを発生させるときのみエネルギーを消費するため、エネルギー効率が非常に高くなり、従来のDNNと比較してエネルギー消費量を最大で100倍削減できるとされています。
 また、スパイキング・ニューラルネットワークは、「ニューロモルフィック・チップ」(例えば、IntelのLoihiチップ)と組み合わせることで、さらにエネルギー効率を向上させることができ、ニューロモルフィック・チップの性能次第では、そのエネルギー消費量は、従来のGPUベースに比べて約1000分の1になると報告されている例があります。

  以上のように、リキッド・ニューラルネットワークとスパイキング・ニューラルネットワークは、エネルギー効率の面で従来のニューラルネットワークより優れた性能を持っています。特に、スパイキング・ニューラルネットワークはエネルギー効率において非常に大きな優位性を発揮します。

 


 3. リキッド・ニューラルネットワーク

 それでは、リキッド・ニューラルネットワークの概要について紹介して行きます。

(1)アーキテクチャと処理の流れ

 リキッド・ニューラルネットワークは、従来のニューラルネットワークといくつかの共通点がありますが、独自のリキッド層がそのアーキテクチャの特徴となっています。

 ① 入力層
 これは入力データを受け取る層で、従来のニューラルネットワークと同様、入力データを適切な形式に変換して次の層に渡します。

 ② リキッド層
 ここがリキッド・ニューラルネットワークの中核部分です。リキッド層は動的なリカレントニューラルネットワークで構成され、入力データを複雑な高次元表現に変換します。リキッド層内のニューロンは、入力データに対して動的に反応し、時間と共に変化する状態を生成します。この層の重みはモデル学習中に固定され、学習されない仕組みになっています。

 ③ 出力層
 リキッド層からの高次元状態を受け取り、目的の出力にマッピングする層です。出力層のみがモデル学習可能であり、リキッド層の生成する動的パターンを解析して最適な出力を導きます。

 
また、処理の流れは、以下の通りです。

 ① データの入力
 時系列データやセンサーデータなどのデータが入力層に供給されます。

 ② リキッド層での変換
 入力データはリキッド層に送られ、ここで動的な反応が起こります。リキッド層のニューロンは入力に応じて活動し、その結果として高次元のリキッド状態が生成されます。この状態は入力データの複雑な特徴を捉えています。

 ③ 出力層での解析と予測
 リキッド層の状態は出力層に送られ、出力層はこれらの状態を解析して目的の出力(例えば、次の値の予測や分類結果)を生成します。出力層の重みはモデルの学習中に調整され、リキッド層の状態と出力を関連付けます。

  以上のように、リキッド・ニューラルネットワークは、独自のアーキテクチャと処理メカニズムを持っており、リキッド層を用いて入力データの動的な高次元表現を生成し、出力層でこれを解析する仕組みを提供しています。

リキッド・ニューラルネットワークのアーキテクチャ
(出典:Nature)

(2)メリット

リキッド・ニューラルネットワークは、先に挙げた現在のAIモデルが直面する5つの課題に対して、以下のような効果をもたらし、現在のAIモデルが抱える課題を解決する可能性を秘めています。

 ① 知識と能力の固定化
 リキッド・ニューラルネットワークは、新しいデータにリアルタイムで適応する能力を持っています。これにより、時間と共に学習し続けることが可能です。リキッド・ニューラルネットワークのリキッド層は動的であり、新しい情報に対してネットワーク構造を再構成することで、常に最新の知識を反映した判断ができます。これは、現在の固定されたニューラルネットワークの制約を超える重要な特長です。

 ② エネルギー集約的で非効率
 トレーニング時にリキッド層の重みを調整しないため、従来のニューラルネットワークに比べて計算負荷が低くなります。さらに、リアルタイムで適応する際の計算量も少なく、エネルギー効率が高くなります。

 ③ 大規模なデータと計算リソース
 リキッド層の重みを固定し、読み出し層のみをトレーニングするため、大規模なデータセットを必要とせず、トレーニングが高速に行えます。これにより、計算リソースの使用量も削減することができます。

 ④ 汎化能力
 リキッド層は動的であり、新しいデータに適応する能力を持つため、様々なタスクに対して高い汎化能力を発揮します。これにより、異なる状況や環境にも対応可能となります。

 ⑤ 解釈性と透明性
 リキッド層は非常に複雑に動作しますが、その動的な特性により、どの入力がどのように出力に影響を与えたかを理解しやすくなります。但し、全体的なネットワークの動作は依然として解釈が難しい場合があります。

 

(3)時間との親和性

リキッド・ニューラルネットワークは、リキッド層の動的な特性を活かして時間的なパターンを捉え、リアルタイムでの適応が可能なため、時間の概念と高い親和性を持っています。

 ① リキッド層の動的特性
 リキッド層は、入力データに対して動的に反応し、時間とともに変化する高次元の状態を生成します。この動的な特性により、リキッド・ニューラルネットワークは時間的パターンや連続的なデータを効果的に捉えることができます。また、リキッド層内のニューロンは、入力データが変わるたびに異なる状態を生成し、その状態は時間とともに変化し続けます。このため、リキッド・ニューラルネットワークは時系列データやリアルタイムデータの処理に非常に適しています。

 ② 時系列データの処理
 過去の入力情報をリキッド層の内部状態として保持します。そのため、長期間の依存関係を持つデータの処理に優れています。この特性は、RNNやLSTMネットワークに似ています。例としては、金融市場の動向や気象データなど、時間的な依存関係が強いデータセットに対して優れた予測性能を発揮します。

 ③ リアルタイム適応
 新しいデータが入力されるたびにネットワークの状態をリアルタイムで更新するため、リアルタイムでの適応が可能となり、連続的に変化する環境やデータストリームに対して柔軟に対応することができます。

  

(4)LNNの課題

 リキッド・ニューラルネットワークは、独自の利点を提供する一方で、以下のような課題も抱えています。尚、これらの課題や問題点に対処するための研究は現在も進行中で、技術の成熟に伴って、将来的にはより強力で効率的なAIシステムが実現することが期待されています。

 ① 複雑性と解釈性の低さ
 リキッド層の動作は非常に複雑で、動的な性質が影響しているため、どの入力がどのように出力に影響を与えたのかを解釈するのが難しい。このため、リキッド・ニューラルネットワークの動作を完全に理解することは難しく、透明性が欠如する可能性があります。

 ② 初期設定の難しさ
 リキッド層の初期設定は、ニューロン間の接続やパラメータの初期値を適切に行うことが難しいため、多くの試行錯誤が必要です。この初期設定が不適切であると、リキッド・ニューラルネットワークの性能を大幅に低下させる可能性があります。

 ③ 標準化されたフレームワークの不足
 比較的新しいアーキテクチャであるため、従来のニューラルネットワークに比べて標準化されたツールやフレームワークが少なく、実装や実験が難しい場合があります。

 ④ 実世界での応用とベンチマークの不足
 理論的には有望であるものの、実世界での応用や大規模なベンチマークにおける結果がまだ十分に出揃っておらず、そのため、リキッド・ニューラルネットワークの実用性や効果を評価するためのデータが不足している状況にあります。

  

(5)ユースケース

 リキッド・ニューラルネットワークの適用分野についてとして、まず、完全自律型AIロボットに適しています。家事の手伝いや捜索、救助任務などで活躍できます。また、複雑でダイナミックな環境でのナビゲートや、センサーデータからの継続的な学習と行動の調整が可能な点で、自動運転にも最適な技術と目されています。
 また、金融市場の予測にも利用できます。株式取引の最適化や、リアルタイムでの取引戦略の適応が挙げられます。気象予測では、時系列データの解析に強みを発揮。ヘルスケア分野では、ウェアラブルデバイスを用いた患者のリアルタイムモニタリングや、潜在的な健康問題の早期予測が可能。サイバーセキュリティにおいても、ネットワークトラフィックやユーザー行動の継続的な学習、アクセス制御ポリシーの適応、異常や不正アクセスの検出に役立てることができます。さらに、ストリーミングサービスでのユーザーの視聴習慣や嗜好に基づくパーソナライズされたコンテンツ推薦を可能にします。スマートシティ管理にも応用でき、交通パターンの学習やリアルタイムでの信号機の調整、交通渋滞の緩和と効率向上に貢献します。エネルギー管理では、スマートグリッドでの電力需給のバランスや、消費パターンに基づく効率の向上とコスト削減が期待されます。

  このように、リキッド・ニューラルネットワークは、その特性により、幅広い産業アプリケーションに適応します。特にリアルタイムデータの処理や動的な環境への適応に優れており、さらなる技術の発展により、各産業分野でのAIの応用範囲が大きく広がることが期待されています。

 

(6)関連プロダクト

 以下のフレームワークでの実装が可能です。

  • TensorFlow

  • PyTorch

 


4. スパイキング・ニューラルネットワーク

 次に、スパイキング・ニューラルネットワークの概要について紹介して行きます。

(1)アーキテクチャと処理の流れ

 スパイキング・ニューラルネットワークは、人間の脳のニューロンの発火メカニズムを模倣したアーキテクチャです。スパイク信号を用いてニューロン間で離散的な通信を行い、閾値発火メカニズムによってデータを処理します。この独自のアーキテクチャと処理メカニズムが特徴となるニューラルネットワークです。

① 入力層
 入力データをスパイク信号に変換する層です。この層では、データが離散的なスパイク、つまり活動電位の形で表現されます。

 ② 隠れ層
 1つまたは複数の隠れ層があり、各ニューロンは他のニューロンからのスパイク信号を受け取ります。ニューロンは特定の閾値を超えると発火し、次のニューロンにスパイク信号を送ります。

 ③ 出力層
 最終的な出力を生成する層です。この層では、出力ニューロンが隠れ層からのスパイク信号を受け取り、目的の出力を生成します。

  

また、処理の流れは、以下の通りです。

 ① データの入力
 音声データや映像データなどのデータが入力層に供給され、スパイク信号に変換されます。

 ② 隠れ層でのスパイク処理
 入力スパイク信号は隠れ層のニューロンに伝わります。各ニューロンはスパイク信号を受け取り、一定の閾値を超えると発火します。発火したニューロンは次のニューロンにスパイク信号を送ります。このプロセスは連鎖的に続き、ネットワーク全体でスパイク信号が伝搬されます。

 ③ 出力層での解析と予測
 隠れ層からのスパイク信号が出力層に到達すると、出力ニューロンが最終的な出力を生成します。出力層のニューロンは、隠れ層からのスパイク信号を集計し、目的の出力、例えば分類結果や予測値を生成します。

スパイキング・ニューラルネットワークのアーキテクチャ
(出典:BotPenguin)

 

(2)メリット

 スパイキング・ニューラルネットワークは、現在のAIモデルが直面する5つの課題に対して効果的な解決策を提供します。この新しいアーキテクチャは、現在のAIモデルが抱える課題を解決する潜在能力を持っており、将来的にはより柔軟で効率的なAIの実現に貢献することが期待されています。

 ① 知識と能力の固定化
 スパイキング・ニューラルネットワークは、ニューロンのスパイクタイミングに基づいて学習し、環境の変化に適応する能力を持っています。スパイクタイミング依存可塑性(STDP)などの学習アルゴリズムを使用することで、継続的な学習と適応が可能です。このため、スパイキング・ニューラルネットワークは新しい状況やデータに対しても高い適応力を発揮します。

 ② エネルギー集約的で非効率
 人間の脳に似たスパイクベースで通信が行われるため、エネルギー効率が非常に高いです。スパイクが発生するタイミングでのみエネルギーを使用し、他の時間はエネルギーを消費しないことから、利用する計算リソースの大幅削減が可能になります。また、ニューロモルフィック・チップとの組み合わせにより、さらに効率的な運用が可能となります。

 ③ 大規模なデータと計算リソース
 スパイクタイミングを利用した効率的な学習メカニズムを持っており、大規模なデータセットを使用せずに高いパフォーマンスを発揮できます。特に、時系列データや連続的なデータの処理に優れており、少量のデータからも効果的に学習できます。

 ④ 汎化能力
 時間とともに変化するデータに対して高い適応能力を持ち、スパイクタイミングに依存した学習が可能です。これにより、異なるタスクや新しい状況に対しても高い汎化能力を発揮します。

 ⑤ 解釈性と透明性
 ニューロンの発火パターンを分析することで、どの入力がどのようにネットワーク内で処理されたかを理解することが可能です。スパイクタイミング依存可塑性(STDP)により、ニューロン間の結びつきを視覚化しやすくなり、解釈性と透明性が向上します。

  

(3)時間との親和性

 スパイキング・ニューラルネットワークは、時間の概念と非常に親和性が高く、スパイクのタイミングを情報処理の中心に置くことで、時間的な情報を自然に扱うことが可能で、これにより、エネルギー効率の高い処理が可能となります。

 ① スパイクタイミング
 スパイキング・ニューラルネットワークは、ニューロンの発火タイミングを利用して情報を処理します。このスパイクタイミングは、時間的な情報をエンコードするのに非常に効果的です。スパイクが発生するタイミングが情報の意味を持つため、スパイキング・ニューラルネットワークは時間の経過とともに変化するデータの処理に優れています。

 ② スパイクタイミング依存可塑性(STDP)
 スパイクタイミング依存可塑性(STDP)という学習ルールを使用します。STDPは、ニューロン間の結合強度がスパイクの相対的なタイミングによって変化することを意味します。具体的には、あるニューロンが他のニューロンの直前に発火すると、その結合が強くなり、逆に他のニューロンの後に発火すると結合が弱くなります。このタイミング依存の学習メカニズムにより、スパイキング・ニューラルネットワークは時間的なパターンや連続的な変化に対して適応する能力を持ちます。

 ③ 時系列データの処理
 時間的な情報を自然に扱えるため、時系列データや連続的なデータストリームの処理に非常に適しています。例としては、音声認識や動画解析、センサーデータの解析などにおいて、時間的な特徴を捉えることができます。

 ④ エネルギー効率
 ニューロンがスパイクを発生させるときだけエネルギーを消費するため、エネルギー効率が高いです。これは特に、異常検知やイベントドリブンのシステムなど、時間的に離散的なイベントが発生するデータセットにおいて有用です。

 

(4)SNNの課題

 スパイキング・ニューラルネットワークには独自の利点がある一方で、課題や問題点も存在します。これらの課題に対処するため、現在も研究が進められており、この技術が成熟することで、将来的にはより強力で効率的なAIシステムが実現することが期待されています。

 ① トレーニングの困難さ
 スパイキング・ニューラルネットワークの学習は、従来のニューラルネットワークと比較して非常に難しいとされています。スパイクタイミング依存可塑性(STDP)といったアルゴリズムは存在するものの標準化はされておらず、最適なトレーニング方法を見つけるのが困難な状況です。特に、バックプロパゲーションのような手法が直接適用できず、効率的なトレーニング手法が求められています。

 ② 計算リソースの要求
 スパイクのタイミングを追跡して処理する必要があります。そのため、大規模なネットワークでは計算リソースが増加します。時間の次元が加わることで、シミュレーションや実行が計算集約的になることもあります。

 ③ ハードウェア依存
 スパイキング・ニューラルネットワークを効率的に実行するには、ニューロモルフィック・チップのような特殊なハードウェアが必要です。しかし、これらのチップはまだ発展途上で広く普及していないため、スパイキング・ニューラルネットワークの実用化には障害となることがあります。

 ④ 標準化されたフレームワークの不足
 比較的新しい分野であり、標準化されたツールやフレームワークが少ないため、開発や実験の難易度が高くなっています。

 ⑤ 非時間ベースのデータに対する性能
 時間ベースのデータに対して優れた性能を発揮しますが、非時間ベースのデータ(例えば、静的な画像データ)に対しては、従来のニューラルネットワークに劣る場合があります。これは、スパイクタイミングを利用した処理が時間的な特徴を捉えることに特化しているためです。

  

(5)ユースケース

 スパイキング・ニューラルネットワークの適用分野についてとして、まず、自動運転においては、時系列データの処理、自律システムの開発、リアルタイムでの環境適応と行動調整が挙げられます。この技術により、車両は周囲の状況を迅速に判断し、安全に運転することが可能となります。
 また金融市場の予測では、株式取引のリアルタイム予測が可能です。継続的なデータストリームから学習し、戦略を適応させることで、より正確な予測が実現します。ヘルスケア分野では、個別化医療や患者のモニタリングが重要なユースケースです。リアルタイムデータに基づいて健康状態を予測し、適応することで、より効果的な治療が可能となります。サイバーセキュリティにおいては、ネットワークトラフィックの監視や異常検知、セキュリティポリシーの動的適応が求められます。この技術を活用することで、より安全なネットワーク環境を維持できます。

 このように、スパイキング・ニューラルネットワークは、エネルギー効率の高さや時間的データの処理能力に優れており、様々な産業アプリケーションやユースケースに適応し、各産業分野におけるAIの応用範囲を大きく広げることが期待されています。

  

(6)関連プロダクト

  ニューロモーフィック・コンピューティング分野の新技術として、スパイキング・ニューラルネットワークをサポートするチップがいくつかの企業から発表されています。これらの企業はニューロモーフィック・コンピューティングの最前線に立っており、スパイキング・ニューラルネットワークの可能性を活用することで、従来のAIチップやAIアクセラレータチップに比べて電力効率や処理能力の高いシステムの開発を進めています。

 ① インテル
 インテルのLoihiチップは、スパイキング・ニューラルネットワークをサポートするために設計された人間の脳を模倣したニューロモーフィック・チップです。下の写真は、「Loihi 2」プロセッサを搭載した、世界最大規模となるニューロモーフィック・システム「Hala Point」です。(2024年4月)

現在、世界最大規模のニューロモーフィック・システム「Hala Point」(出典:インテル)

 

② IBM
 ニューロモーフィック・チップの先駆けとしてIBMが開発したTrueNorthチップは、大規模なスパイク・ニューロン・アレイを含み、複雑な計算を高効率かつ低消費電力で実行することができます。尚、2023年にTrueNorthの約4000倍の速度を達成する「NorthPole」チップをリリースしています。

NorthPole(出典:IBM Research)

 

③ BrainChip
 BrainChipのAkida Neuromorphic SoCは、エッジAIアプリケーション向けに設計されたスパイキング・ニューラルネットワークをサポートするチップです。

Akida Neuromorphic SoC(出典:BrainChip)

 

④ SynSense(旧aiCTX)
 Speck、Dynap-CNN等のニューロモルフィック・チップを開発しており、特にエッジデバイスにおける超低消費電力・低レイテンシーのAI処理用にスパイキング・ニューラルネットワークを実装するよう設計されています。

Dynap-CNN(出典:SynSense)

 

⑤ GrAI Matter Labs
 ロボット工学や他のAI駆動アプリケーションのリアルタイム処理にスパイキング・ニューラルネットワークの原理を活用するGrAI Oneチップを開発しています。

GrAI One(出典:GrAI Matter Labs)

 

 
以上です。



御礼

 最後までお読み頂きまして誠に有難うございます。
役に立ちましたら、スキ、フォロー頂けると大変喜び、モチベーションにもつながりますので、是非よろしくお願いいたします。 

だうじょん


免責事項


 本執筆内容は、執筆者個人の備忘録を情報提供のみを目的として公開するものであり、いかなる金融商品や個別株への投資勧誘や投資手法を推奨するものではありません。また、本執筆によって提供される情報は、個々の読者の方々にとって適切であるとは限らず、またその真実性、完全性、正確性、いかなる特定の目的への適時性について保証されるものではありません。 投資を行う際は、株式への投資は大きなリスクを伴うものであることをご認識の上、読者の皆様ご自身の判断と責任で投資なされるようお願い申し上げます。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?