『ポエティカル行路』 2023.11.13
2023.11.13
足音に踏み砕かれた枯葉の音が時折混ざる季節となった。
茗荷谷から日比谷公園まで歩く道のり、ふと、井戸のイメージが意識と無意識の混濁する思考の流れの中に現れる。
村上文学に多出するイメージ。
二日前、彼の作品をいくつかLakesideで朗読したことと関係があるかもしれない。
井戸の底へと降りていくことは、無意識下の闇へと向かうことだ。夢を招き入れる戸口のように井戸は存在している。
歩くこともまた、僕にとって夢を見ることと似ているのかもしれない。後楽園の観覧車の下でそんなことを想い、書き留める。
この間、湖畔まで歩いた時は右足が痛んだが、今日は左足が痛む。振り子のように痛みも移動する。
東京の街のあちこちに過去の記憶がちらばっていて、スイッチを押すと物語の断片や印象が思い出される。先日、みやこしあきこさんの受賞記念パーティーがあった神保町のあたりを過ぎる。
皇居周辺、揺れる柳の横を歩くのが気持ち良い。遠くに水の柱みたいにキレイなビルディングが並んでいるのが見える。
外苑を抜け日比谷公園に辿り着く。
未だ澱んでいない朝の空気。透明な風が吹いていて、思考が魚のように泳いで渡って行けそうに思えた。
日比谷公園のところどころに記憶を呼びさますモニュメントがあり(そのほとんどは石で出来ている)、ラ•ジュテという映画で主人公と女の人が公園を歩くシーンが思い出された。
あれも確か記憶をテーマとした映画であったと思う。
朝の散歩を終え、公園内のタリーズのテラスに座り、このメモ書きを書き上げ、僕は公園の光を眺めた。
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