評価軸のズレ/「論理的」という言葉に対する認識の差と論理テクニックによるまやかしの効果


前のポストで、業務内容について見ている世界が違うことを書いた。
ここから、私の職場での人物評価について、見ている世界が違うな、と感じることを書いていきたい。

偏差値が高い有名大学出身で、理数系の能力に長けた佐藤(仮名)さん、という男性がいる。彼はマネジメント業務も担っており、業務の割り振り等の権限がかなり多い役職にいる、「優秀な」中堅社員だ。

その佐藤さんについて、私から見ると彼は「感覚派」の筆頭であり、「視野が狭すぎて自分の仕事以外に興味を持たない(=仕事ができない)」と思われる人物だ。

が、現在の職場では、佐藤さんは「論理派」かつ「仕事ができる」という評価が多いようなのだ。事実、彼は今の支店に赴任してから昇格している。

またしても真逆!
(ちなみに佐藤さんが以前にいた支店での評価は高くないようだが、それも聞く人によって変わるだろうから参考まで。常に絶賛される人間ではない、ということを示しておく)
(ついでに彼の性格が悪いという評価はどの職場においても概ね一致しているが、性格が悪いのと仕事ができないのは別の問題である)


同僚らの話を聞くに、佐藤さんは理数系能力が高く、そういった視点から機械的に業務を割り振る、という点で「論理的」であると判断されているらしい。

ひい!?😱

理数系=機械的=論理的 だ と ? ???


やはり、現在の職場の人たちは、あまりものを考えないおバカさんたちなのだろうか?などと、またしても暴言を吐く。すみません。私の方が性格が悪い。

まあ、機械的=論理的という思考回路で現実世界を捉えているならば、私とは見ている世界が異なるのは当然だと思う。

佐藤さんの仕事は、私からするとごく表面的な単純化であり、数学的に言うならば「離散性」が高いやり方である。
要は現実世界の物事を単純に白か黒か、0か1かに分け、その他の(★時には非常に重要な)要素を削って業務を振り分けるのである。

よって、彼は「感情が分からない」だの「同僚を人間としてではなくコマとして見ている」だのという評価を受けることも多い。この点で「機械的」つまり「感情的でない」という評価になり、ひいては「性格が悪い」と陰口を叩かれるのである。ここまでは私も同様に捉えている。(ひどい)


が、ここから。
なぜ、彼は「性格は悪いが仕事はできる」という評価を私以外から得ているのか?


佐藤さんは専門分野に関するプライドが高く、かつ、実際にその分野で彼に敵う人は現在の職場にはいない。(彼の以前の職場にはいる、というのがミソ)
そして私は専門分野が違ううえに、彼より偏差値の低い大学の出身である。
ただし、現在の仕事には専門分野の知識は関係ないものも多く、私が業務として理解できないものはほとんどない(わずかにある)。私も彼と同等の立場であり、勤務年数は私のほうが長いからである。よって、彼の方こそ私の業務を理解できないことの方が多いのだ。

だから、私は彼の仕事が単なる「単純化」であって「効率化」でないことを認識しているし、会議でも指摘している。

ただ、会議は多数決の場になりやすい。

彼はそこで要らぬ才能を発揮するのだ。
★わざと必要ない専門用語を交えたり、役職のない職員が知り得ない情報を自分に都合のよい部分のみ開示したり、さらには感情的に嫌悪感を煽る事例を示したうえで自らの案を通したりと、非常に巧妙に「人間の感情」を操る。
★★また厄介なのは、時に詭弁を弄し、強弁で押し切るという論理テクニックを使うのだ(この意味では論理的だと言えるね)
私は個人的な趣味として論理学をここ20年のライフワークにしており、彼もそれは知っているので、私に面と向かって議論を仕掛けることはない。それも腹立たしくはある。

彼は、会議の場で自らの案を通すべく、自分しか知り得ない部分に重大な条件がある、ということを仄めかしつつ、一般社員にはわざと理解しにくい単語を織り交ぜて演説する。
私は「またやってるわ」と思う。(彼は一事が万事こうなので、自分の業務に直接関係しない部分で戦うことはなかった、が、今となっては自分のこの態度を猛烈に後悔している🥲)

その演説を聞いた同僚たちは、「自分には理解できない業務を取り回している=彼は頭が良い」「感情を排して機械的に業務を割り振っている=仕事を効率的に割り振っている」と評価してしまうのだ。。。

残念ながら、この人たちはやはり頭が悪いのかもしれない。職場の人ごめん。

彼のやっていることは、業務の効率化ではない。
「自分の」業務の効率化であり、大局からすれば逆に「彼以外の」業務の煩雑化である。

私が見ている世界では、彼のような人間はマネジメント業務に就いてはならない。

が、無能な任命権者からは「彼は頭が良い」「彼は効率的だ」と見なされている。なぜなら自分の業務を減らし、任命権者にあたる上司の業務を手伝うことで媚びへつらっているから(笑)

頭の悪い管理職(これは擁護しようがない事実なのでストレートに表現している)は、彼のせいで平社員の業務が増えても気にしない。彼は管理職には媚びへつらうので便利なのだ。

★そして大問題なのは、彼のせいで業務の増えた平社員は、なぜ自分の業務が増えたのかの元凶を、佐藤さんではなくもっと上からの命令のせいだと捉えている。

なるほど?
彼は「頭が良い」ね。

もちろん、同僚の中には佐藤さんに対して私と同じ評価をしている人もいる。
が、その方々はすでに一線を退いた再任用の社員が圧倒的に多い。これが、私が現在の職場で息苦しい理由の大半を占める。

佐藤さんの前の職場では、彼よりも専門分野で優れた社員がおり、かつ、私と同じ感覚(佐藤さんは大局が見えず自己中心的)を持つ人が一定数いたことは確認済みである。
私がそこへ行けたら、今よりも周りの人と同じ世界を生きられるのだろうか。

現在の職場の同僚たちは、佐藤さんの論理テクニックにまんまと騙され、はぐらかされ、反論の糸口をつかめずに「なんか納得いかないし佐藤さんのことは気に入らないけれど、だからといってうまく反論もできないから受け入れる」という、彼の思う壺の反応をしてしまうのである。。。。😱

かつ、彼は「感情的でない」と思われているので、「感情を伝えても理解できないだろう」という予測を勝手に立ててしまうのだ。

彼こそが「感情を操っている」のに。


確かに彼は「頭が良い」のだろうね。
ここまで書いてきて、私もそう感じてきた。

私が捉えている仕事における「論理的」な態度とは、言葉を操って人を煙に巻くことではなく、様々な要素を加味したうえで場面分けをしながら策を構築していくことである。

数学的対偶による「0か1か」という離散的判別では、現実世界に対応できない。
現実世界では、論理的対偶にあるような連続性こそ、重要視すべきではないか?

「ある」の対偶は「ない」ではなく、
「ある」の対偶は「あるかもしれないし、ないかもしれない」として捉えるべきであり、
これこそが「論理的」だと私は考えている。


どなたか、
誰か、
何をぶち込むことが佐藤さんの暴挙を止める渾身の一撃になるのか、教えてほしい。
私こそ頭が悪い。
だってもう何年も、分かっていながら止められていない。多勢に無勢ではあるが、打つ手はあるはずなのに。

私は、だめだな、考えることがたくさんあるのに、人に伝えきれていない。
「詭弁」「強弁」テクニックを用いることも、良心の呵責によって踏み切れない。

結局、自分のことしか考えない、他者への思いやりのない「機械的」人間に屈している。
機械的人間なんて、このまま人工知能が進化/深化すれば必要ない人間なのに。ノイマンほどの頭脳がなければ機械には敵わないんだから。

この話を職場でしたところで、理解してくれる人も少ない。
李徴か?私は(笑)
俺のことを理解してくれる人間がいないと嘆いて、虎になるのかな。

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