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《掌編小説》 Snow boots Angels    ちょっぴり甘塩辛い? 北の港町のオトナのメルヘン……  トラベルファンタジー・シリーズ・1 歳池若夫・作

 

 複雑に交錯する幾つものポイントを渡り、ディーゼルエンジンの唸り声を抑えめにした臨時急行「すずらん」は、線路の先がすぐ海の岸壁というドン詰まり終着駅の緩くカーブしたホームに滑り込んで行った。
 俺は立ちあがり、網棚から商売道具の書籍注文一覧表と旅仕度をめいっぱい詰め込んだバッグを降ろし、肩ベルトを襷掛けに胸に回した。
 政令指定市である大都会札幌から衛星都市圏である恵庭、千歳を巡り、苫小牧、室蘭という大きな街の本屋を一軒一軒回って、年季の入った急行列車の堅いボックス席に身を押し込み、夜も九時を過ぎた遅い時間にようやく商いのラストスパート地にたどりついた俺は、ぐっしょり濡れた革靴の中で腫れあがった重い足を引きずっている。
(……ふうぅ。今回の北海道出張はきつかったなぁ。でも、最後のこの街でもうひと踏ん張りしなきゃならん。今のままじゃノルマをクリアできず、胸張って東京に戻れない……)
 青函連絡船乗換え桟橋へ我先と向かう人々に背を向け、灰色にくすんだ古臭い駅舎の閑散とした改札口を出ると、外は墨色と白銀に覆われた無音の世界になっていた。
(……あぁ、冬の北の大地ってのは、どこへ行っても雪ばっかりだ。東京モン丸出しのスーツ姿に革靴で気取ってないで、やっぱりこっちの地元の人たちみたいにゴム長靴履いて来ればよかったか。それにしても、寒いッ!)
 雪水を吸って愚図愚図になったビジネスシューズでよろよろつるつる滑りながら、オーバーコートの襟を立てた俺は、己の足元だけ凝視して爪先を前に進める。
 駅前にあるW光デパートの後ろにあった古びた横丁で見つけた安ビジネスホテルに入った俺は、フロントで部屋のキーを受け取り、エレベーターのボタンを押して中に倒れ込んだ。3階にキープした部屋に行く前に、エレベーターホールにあった自販機でビールを買うのだけは怠らない。
 コートとスーツを脱ぎ捨て、ネクタイをくしゃくしゃにして放り投げ、熱いシャワーを浴びて足と背中と頭を生き返らせた俺は、缶ビールを開けてホテルの部屋の窓辺に身を寄せた。
 六角形の結晶が薄く貼り付いたガラスの向こうに見える海峡の港町の夜景は、うら寂しいようでそれなりに味のあるものだった。雪の中にぼうっと霞む背の低いビルや家々の灯り。時折遠くから聞こえて来る霧笛の音と、ゴロゴロガリガリと路面電車がレール上の雪塊を噛んで進む音。
(……うんまぁ、地味だけど、いい所かもしれない。この函館という街は。食い物も酒も美味そうだし。それこそ冬でない時期に来たら、身も心も躍る楽しい所なんだろうな)
 そんな冬以外にまたこの地に来れる日が自分にはあるんだろうか……? 俺は自嘲というより自虐と自爆で泥のごとく汚れた溜息をつく。
 今回の突然の出張だって、会社からは多分に一罰百戒の意味合いを込めて命じられたはずだ。なんせ、左遷先の販売促進営業局に配属されて、いきなり真冬の北海道の書店へ自社発行出版物の注文取りの仕事に行かされたのだから。
(まあ、それも仕方ない……なんせ会社の看板雑誌を売れ行き不振で休刊にしちまった戦犯編集長だからな。おっと、元・編集長だったか。今は、しがない本のセールスマン、御用聞きだってのに……)
 それでも、いつかまた返り咲きできる事を信じたい。捲土重来を期しての我慢、今は雌伏の時なんだと自分自身に強く言い聞かせ、俺は缶ビールをぐいっと呷った。結露して白く曇り始めた二重の窓ガラスを指で摩った。


 ふと、目の先が窓の外の真下に落ちた。
 ホテルの裏側の路地は、何やらモヤモヤした雰囲気の歓楽街だった。厚く降り積もった雪で、けばけばしく瞬くネオンが半分以上彩度を消されている。
 凍りついて重たい夜の底から、雪を踏むサクサクという音が聞こえて来た。女たちの話し声が耳に届いた。
「シケてんねー」
「今夜は、やっぱりダメだんべかな」
「給料前だしな。どいつもこいつも家帰って、かあちゃんに安酒で晩酌してもらってるんさー」
「そんで、さっさとあったかい布団入って、一晩中ごろにゃんだ」
「そんでもって、十月十日も経ちゃょ、市の人口が増加して万歳ってか。ぎゃはははは……」

 彼女らは、一軒のバーの前にたむろしている。そこは淫靡な匂いのプンプンする原色の看板を半分のぞかせている。
 どうやら彼女らは、キャッチのいわゆる「立ちんぼ」さんのようだ。
「んでもさー。漁港もよ、最近はどいつもこいつも金玉縮んじまって、情けねえべさ」
「造船所の奴らも、しみったれのイ●ポテンツばっかりだぁ」
「トロール船で来るロ●ケたちも、最近はケチ臭いしね。前は、あいつら、余ったルーブル札をチップで気前よく置いてってくれたけんどなー」

 そこは北の港町。裏通りの寂れた歓楽街。
 舞い落ちる粉雪。埋もれてあまり目立たなくなったネオン。
 客は来ない。たぶん誰も来ない……
 女たちはそれでも、白い息をはあはあ吐きながら待っている。丈が長いぶかぶかのゴム長靴を履いて……傘もささずに、雪をサクサク踏みながら……
 スキー用の厚手袋を両手にはめて防寒具をまとった化粧の濃い女たち。Snowbootsを履いた裏通りの女たち。雪まみれの夜の天使たち……

 頭上のホテルの窓際で、俺はずっと、彼女らを見ていた。
 瞬きも出来なかった。胸が熱くなっていた。自分でも不思議なくらい感動してしまった。知らずうちに背筋がぴんと伸びていた。
 北の大地に飛び出た半島部の一番端っこにある港町で、とてつもなく美しいもの、神聖なものを見たような気がした。
 眼下にいる女たちは、実際には、天使と呼べる連中ではないだろう。天使どころか、はすっぱでズル賢いボッタクリ魔女(ビッチ)なのかもしれない。
 だがしかし、寒さに震えながら、彼女ら聖・魔女は、こうして街角に立っている。凍える雪を踏みしめている。
 生活のため? 食べて行くため? 家で待つ幼子を養うため? 抱えてしまった大きな借金を返すため?
 彼女らにそういった問いは無意味だろう。そんなものは、文字通りの上から目線で見下ろす出歯亀野郎の余計なお世話ってもんだ。
 たとえ吹雪だろうが暴風雨だろうが、彼女らは街角に立ち続け、男たちを待ち続ける……理由なんかどうだっていい。それが彼女たちの日常。神でも悪魔でもない、どこかの何者かから与えられた使命……

 サクサク……サク……ズズ……
 ハアハア……フウ……ヒィハア……

 やがて、一人の女が、息を真っ白く吐き出しながら大あくびをした。
「あーあぁ、疲れたにゃんにゃん。この街にいるのは、もう潮時かなぁ」
 大口を開けながら、上を見上げた。
 ―—ホテル3階の窓辺にいる俺と目がカチ合った。

 彼女は顔をくしゃくしゃに崩した。大声で叫んだ。
「ねえねえッッ、そこにいる人ぉ、降りておいでよッッ!」
 頭上にいるホテル客に手を振った。
「降りておいでったらぁ! こっち来なよッ。一緒に呑もうよッッ!!」
「そうだそうだ。そんな狭っちいホテルで寂しくアダルトビデオなんかシコシコ観てねぇで、遊ぼうよッ。あたいらと」
「プリンプリンのいい女がいっぱいだよ。絶対楽しいって。安くすっから。ほら、こっちゃ来いさー」
 窓辺から見下ろす疲れた男は、ニッコリ笑顔を返してやった。よせばいいのに、投げキッスまで送ってあげた……
「ナイスキャッチ! やったぁ。あっはっはぁー」
 ゴム長靴を履いた雪まみれのAngelsは、キャッキャとはしゃぎながら、ようやく見つけた今夜の有難い客に、一斉に手を振った。

 

 そして―—
 天使は、やっぱり、ボッタクリ魔女だった……
 身ぐるみは剥がれなかったが、俺のサイフの中には帰りの電車賃くらいしか残ってない。この分では、この街での地方出張最後の仕事は、相当気合いを入れて頑張らなければ、東京へ帰れそうもない。

 でも……ま、それもいいじゃないか。
 何にせよ、楽しい一夜だった。可愛くてズルくて淫乱な堕天使たちに完敗で、乾杯ってか……
「そうだよ。商店街が開く時間になったら、俺もどこかで格安のゴム長靴を買って履く事にしよう。足先も、気持ちも、転ばないよう頑張ろう!」
 顎を上げ背筋をぴんと伸ばす事が出来た俺は、今、安宿の狭いベッドの上で、夜明けの生ぬるい缶ビールを呷っているッ。
                             (了)


(この小説はフイクションです。青函連絡船は1988年に廃止されています。函館駅にあった連絡船乗り換え桟橋は、取り壊されて現在はありません。函館駅は改築され、駅前地区も再開発されております。函館山山頂から見る街の夜景は見事で、港の古いレンガ倉庫もお洒落なショッピングセンターに生まれ変わり、歴史散歩ができる五稜郭など、今は、四季を問わず一年中楽しめる人気国際観光都市になっております)


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