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青い温度をたたえた本

静かな海に潜っていくような、そんな気分にさせてくる本がある。
数年前に発売された本だ。

「いつか別れる。でもそれは今日ではない。」

読んだ事のある人はいるだろうか。
これは、朝ではなく夜に、しかも深夜に読むべき本なのだと思う。

例えば、一つの章を引用したい。


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感性を死守するということ
「死にたくなったら、まず寝なさい」という恩師の台詞も、確かに正解だった。
そして「死にそうなほど退屈したら、カメラを持って、街を歩け」と教えてくれた先輩の台詞も私は忘れられない。

外の世界に対する感性を意識的にでもいいから自力で引き上げて完成を守るべきだと教えてくれた。
視界の上下左右から背後まで、五感をフル稼働させることなんて、誰かにカメラを持った時くらいしかない。

感性の自衛とでも言おうか。その考え方が、すごく好きだ。
ひとりでいる時こそ、美しいものを見つけなければならない。
そのために、それを見つける感度を守る。

私たちはきっと自分たちが思う以上に機械的な存在なのかもしれない。
余りの熱気や冷気や湿気には弱い。叩いたり怒鳴ったりして治るのは稀、というかほとんどなく、大抵は壊れる。放っておいても壊れる。
矛盾する指示の下では、強制停止する。電気かオイルを与えないと、動かなくなる。それでも定期メンテナンスが必要な存在。

時代はそろそろ、永久に壊れない機械を完成させるだろう。
だから将来的に人間が壊れるということを忘れる世代も出てくるのかもしれな
い。
永久に壊れない人間という存在は、まったく観念しにくい。不老不死の概念が発明されたとしても、である。

不老不死の人間の感性も、はたして不老不死なのだろうか。
なんにもいいと思えない状態は、果たして生きていると言えるのだろうか。

感性、という単語が用いられた文章の中では、「才能を使い切って見せてくれる人には、こちらも感性を使い切って感じたい」という椎名林檎の台詞がとても謙虚な使い方で好きだ。
「感性を使い切って」とあえていう時、「感性」は自明の存在でも自働の存在でもない。自分のものではあるが、自分のものではない。

だからその取扱いに、細心の注意を払う必要がある。

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一度ではすっと入ってこなくて、何度も読み返してしまう文章。
そして、情熱の赤色ではなく、そっと静かな青色をたたえているような、そんな文章。

わたしはこういう温度の文章がとても好きだ。
自分ではなかなか書くことができないので、今日はそっと好きな文章を抱きしめてみる。

数年前から本棚にあるが、今日久方ぶりに手にとった。
出版してから時が経っても、色褪せずに読み続けられる本には敬意を表したい。




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