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死にたい、殺してくれと叫もび、医療費の無駄と言われる生きている人形たち

医療費がかかっているのは多くの寝たきりの老人に医療費が使われているからである。そんな論調をしばしみるようになってきました。
まぁ、データをまだ見ていないからわかりませんが病院で働いていると一理あるなぁという感じはします。

中小病院は療養でどれだけ入院患者を入れておけるかが肝ですから、これがなければおそらく病院経営というものは成り立たないかと思います。
兎にも角にも病院の経営の一番経営を圧迫するのは人件費ですから……
看護師の数を減らして准看護師や看護補助で夜勤を乗り切るなどをして職員を一部使い捨てにしていく覚悟がなければおそらく黒字の病院経営は難しいと思います。

こんなことをしなくてもと云うと、毎日30%近くの入院を入れ替えてベット数の確保と回転をさせて、外来は新規患者を何人もとれるような病院にすればいいのでしょうけどそんなことは現実的には難しいかなと思います。
病院経営というものはボランティアと言わせてしまうほどの職員の人間の時間の切り売りによって成立しているのです。

さて、そんな病院に入院している患者さんはというとそれこそ、300床以下くらいの中小病院と呼ばれている施設は療養患者、つまりは寝たきりの患者がいなければ成立しませんし、世の論調でスポットの当たっているところかと思います。
本当にそんな人がいるのかという人がいるかもしれませんがそう云う人は現実的にいます。
自分では何もできない人で本当に管だけ繋がれている人です。
たまに言葉を出すときは「殺してくれ」というような患者さんです。

たしかにこの惨状を見ていると論調に踊らされたくなる気持ちもわかります。
検査をしていても看護をしていても対象となる患者さんを活かすだけのためにそれが行われていくのです。
まさに「生きている人形」なのです。
さて、たしかにこれは医療なのかという問題はたしかにあるかもしれませんが、『僕』としては病院の経営のためのシステムであり、家族が人間らしい生活を送るための生きている人形を預けるためのシステムのようにも思えてくるのです。

医療費というものの採算で人の生き死にを考える切り口があるのもわかりますが、そもそもこの生きるということは何かと突きつけられているようであるとも『僕』は思うのです。
この「人が生きる」ということをどのように多くの人たちが捉え直すかがきっと大切なことなのでしょうか
合理性を持ち出せば答えは決まっているのですから……
その言い訳は作っておくべきではないでしょうか、現状を続けるのであれば

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