子供の死というものの向き合い方
帰ったときに弊息子が泣いていた
事情もわからず寄ってみると、亡くなった人の名前を呼びながら大粒の涙を落としていた
なんでも、写真を見せていたら亡くなった人との思い出の話を聞いていたときに急にということで……
弊息子の涙に、『僕』は胸を打たれた。
まだ子供だから、死んだ人のことについてはあまり興味がないものだと思っていた。
しかし、彼の涙は、『僕』の考えが間違っていたことを教えてくれたのです。
弊息子は、義母との思い出を大切にしているのだ。
一緒に過ごした時間、交わした言葉、義母の優しさ。
それらすべてが、息子の心の中で生きている。
義母は亡くなったけれど、息子の心の中では、今もなお生き続けているのです。
弊息子の涙は、義母への想いの深さを物語っている。
そして、その想いを表現できるということは、弊息子が人間として成長したことの証なのでしょう。
死んだ人へ想いを寄せることができる。
それは、人として大切な資質だと思います。
弊息子はまだ小さい子供なのだからと思っていたら、ちゃんと成長をしていて
いつもいる親でも身体の大きさ、言葉の語彙の使い方、数量の増加は気づくのですが心の中まではわからないものですね
死んだ人への想いをどのように自分の中で扱っていくのか
誰に習うわけでもなく、大人になるにつれて身についているもので……
これをじゃあ、まだ小さい4歳の子供に言葉を使って教えるのかというと難しいもので……
死というものの現象と寄り添い向き合う方法というものはなお、難しいもので……
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