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日記 「スキ」があったとしても素直に喜べない

・最近、「クズレペゼン」をよく聞いています。

この曲を聞くとクズだけどカスじゃないを心に刻んで生きていきたいと思います。

・youtubeショートとかでよく流れてくる「○歳なのに曲作ってみた!」みたいな動画があまり好きじゃない。何だかそれを必要以上に「この年齢なのにこんな事が出来るの凄い!」ともてはやすのは人間の可能性を信じ切れていない気がする。何歳だからという色眼鏡なんて関係なく才能がある人は凄いのだ。若いから注目されているのではなく才能があるから注目されているとわかってほしい。それにそれを言っていると「何歳だからもう無理だ」と年齢をあきらめの言い訳として使うようになってしまう気がする。何歳とか関係なく挑戦する覚悟があるかどうかが大事なのに。

・最近、自分でエッセイを書いて投稿する回数が増えていると思います。それは何故かというと脳からなるべくその記憶をデトックスしようとしているからです。定期的にフラッシュバックして「うっ…」ってなる気持ちをこうして文字に起こして皆さんを巻き込む形にして供養しています。まぁ、その要らない記憶で私という人間は形作られているのですけど。でも、自分で書いててあれなんですけどエッセイを書くのってあんま気が進まないんですよね。

なんか他の人と比べて私の経験なんて突出した特徴もないから面白味に欠けるだろうし、普段の日記でさえ感じ取れる文章能力の低さがより顕著に露呈してしまっている気がして。

・私は以前「なんか『スキ』ばっか気にしてnoteやっちゃうなー」的な投稿をした気がするんですけど例え「スキ」がされたとしても「書いた物が人に伝わって嬉しい」という感情よりも先行して「あぁ、この人に失望されるまでにどれくらい持つかな」という事ばかり考えています。そんなの考え始めたらキリがないし、こうやって創作活動行う事でさえ萎縮しちゃうからやめた方がいいと分かってはいるつもりなんだけど、どうしても考えてしまう。

「スキ」があったとしても素直に喜べないのです。

自分を見て欲しいという渇望で溢れているというのに見られて反応があった瞬間に「どうせ直ぐに私の事なんて嫌いになってしまう」と考えるクソかまってちゃんが私の根源にはいます。怪物です。ヤバいやつです。

だからといって全てを肯定されたらされたで「盲目的すぎませんか?」と突き放すと思います。何がしたいのでしょうね。

また明日。


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