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意見の違い

人間関係は刻々と変化している

今日は町の廃品回収だった。祭礼団体が集まる。人が集まれば気に食わない奴もいたりする。それは仕方がない。誰とも上手くやるなんて不可能だ。

以前まで話せていたのに、今日は話したくない奴だっている。それも仕方がない。状況は変わり意見の食い違いが起こり、ケンカにならなくとも、対立関係になることだってあるからだ。状況は刻々と変化するものだ。

選択肢はひとつだけではない

今日だってそうだ。彼が話かけてきたが正直いって気分が悪い。ボクが感じた事は、①今まで逃げていて、②逃げているくせに逃げている事を認めていなくて、③お前が悪いのに悪い事も認めていない。④そして不義理しているのに友達関係が変わらないと手前勝手な幻想を抱いていて、⑤ボクとの関係性に居場所があると思い込み話しかけてきている。

正直、しんどいのだ。彼と雑談する気分じゃない。ボクは彼の対応に納得出来ていないし、彼と雑談しても気分が悪くなるだけなのだ。だから関係性においては対立構造にならざるを得ない。

だからボクは離れるという選択をした。彼から離れて会話する機会を作らないという選択をした。

複数ある選択のうちのひとつなのだけど、①昔の事をぶり返す。②お前と話したくないと喧嘩越しに伝える。③無視をする。④そもそも話す機会を作らないように離れる。という4つの選択肢のなかで④の離れるという選択をすることで、ケンカに発展するという事を回避した。常に選択は複数ある。ひとつしか選択肢がないという事はない。

メタ認知の重要性

もし、自分には選択がひとつだけしかないと思っているのなら、それは物の見方であったり、自分が何を想い何を感じていて、他者との関係性において協調か対立か?を客観的に捉えられていないからだと思う。

選択肢がひとつだけという状況は、怒り@感情に任せて反応するからである。感情論で反応すれば「怒る」という選択しかなくなるが、メタ認知で自分を客観視出来ていれば「離れる」といった選択も見つかる。

他人はコントロール出来ないという事を知る

選択肢は常に複数ある。そしてどの選択をするかは自分が決める事が出来る。そしてコントロール出来るのは、自分の行動だけであって、他人はコントロール出来ない。

自分の選択において責任を持ち、相手の選択は相手の問題である。だから干渉するものでもないし、ましてや説得するものでもない。

自由にしたらいいんじゃない。ただしお前の選択は、お前の責任なので、結果がどうなろうと文句を言うなよ。

というスタンツで自分と相手との間に課題の分離はしておく事。


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