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不妊治療のための休職を全社員に公表した理由

弊社では異動や退職、休職する際の最終出社日に、全社員に向けてご挨拶メールを送るのが慣例になっている。
後任者の案内をする意味合いが強いので、休職の理由にわざわざフォーカスする必要もないのだが、わたしは敢えて不妊治療による休職だということを自分なりの考え方も加えて全社員に向けてメールを送信した。

メールを送る前、「なぜ会社メールでプライベートを晒すのか?」「病気や経済的な理由で妊活したくてもできない人の事を思いやれないのか?」という声が出るかもしれないと推測した。
1つの考え方にフォーカスすると、フォーカスしていない方側から見た意見が必ず出てくるもので「足りないところに目が行く」のは人の本能だ。


ただ「いろんな立場の相手を思いやるがあまり、自分の考え方を送信しない」という選択は思いやりではなく、自分が作り出した他人に対する不安や恐れだと思った。第一、何もしない後悔はカッコ悪い。信念にそぐわない。それに自分の考え方を納得して欲しくて送るわけではない。
だから別の考え方を主張する人に出会っても良いと思うし、意見を否定しているわけでもないから、多様な意見が出てくることがメールを送らない理由にならなかった。


ただ、メールは自分の考えを一方的に送りつけて「読んで!」という感覚があるのも否めなかった。それでもやっぱりメールを送った理由は、物理的に遠い距離にいる人たちに向けて、今の自分ができることをやり遂げたかったからだ。



普段は半径数メートルで働く仲間を全力で大切にしているが、今回の休職チャレンジは、わたしの視界から見えない部署で働いている誰かの心の救いになる、こんなわたし1人の力でも誰かの将来の原動力になれるはず、自分の選択を自分のためだけに使うのではなく誰かのきっかけにしたい、と信じてみたかった。この考え方はSDGsの本質で学んだことだ。

何をそんな大げさな、オマエは何様だ、とツッコミたくなるだろうが(わたしもの自分の頭の中でもツッコミが入っている)、振り返ると結局わたしは身近な1人に心救われてきた。「あなたが居てくれたから」と心から思える1人に、いつもどこかで出会うことができているので「1人の力」を信じている。1人の力は微力ですが無力ではない。誰だってそう!誰だって誰かの大切な人になれるし、というか、もう既になっている!


というわけで、休職に向けて変なアドレナリンが出ていたわたしは、もはや頭で考えて理性を保つよりも、心で感じて湧き上がった行動を優先した。


妊娠しない人、妊娠できない人、妊娠したくない人、妊娠と関係ない人、誰にとっても、人生と仕事を考えるきっかけにして欲しかったし、誰かと自分の人生を比べた後に自分に無いものを卑下して欲しくない、自分らしさを大切にできるきっかけになって欲しいと思って送信ボタンを押した。

(↑結局はそういう自分の気持を押し付けているわけで。自分勝手な行動に見えるかもしれない。)




しかし、顔見見知りの人々からのステキすぎる返信に紛れて、顔も名前も知らない社内の人々からのステキすぎる返信も1つや2つではなかった。男女問わず、妊活中問わずいただけた「はじめまして」の返信は本当に心が震えた。あぁこういう瞬間のためにわたしは働いているんですよー!と叫びたくなった。




不妊治療は珍しいことではないのだが、日常の社内環境ではなかなか外に出てこない。「実は私も…」と共有してくださった人々の声や本音は普通に日常に埋もれている。メールを送らないと触れることのできなかった本音。何もせず、本音に無関心で居ることのほうが私はよっぽど自分勝手なんじゃないかと思った。


なにも
妊活のことだけではない。「ここは職場だから」と自分を隠して本音を隠して過ごしている人が今も少なからず居るんじゃないかと思う。
自分を隠す必要なんてない、もっと職場で自分らしさを出して、お互いを尊重して相互支援し合える最強のチームづくりをするんだ!と、書いているとまた熱量上がってしまう。

今のわたしにできることなんて、そんなに大きなことではない。でも1人がアクションするということはゼロではない。微力だが無力ではない。1人のアクションが知らない所で循環して、いつか誰かの良い変化のきっかけになる可能性を信じていれば、どんな小さなアクションでもやって良かったと思えたりする。小さくてもいいから明るい希望をもつことが、今のわたしにできることだ。

#いま私にできること


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