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暴力で子供を抑えつけるのは少なくとも長期的には非合理的だろうと思った話

最近の我が子、相変わらず気に入らない食べ物や食器を床に放り捨てる。そこで僕は「こらっ!」と、半分笑いつつピシッと額をつついたりする。それで捨てるのを止めたりはしないんだけど。

ふと思った。これって我が子が大きくなってきたらどうなるのだろうか。原則として体罰はしないと決めている。となると、それなりに会話可能になったら言葉を尽くすしかない。問題は言うことを聞いてくれない時だろう。こちとらアラフォーだ。どんな時でも我が子が言う事をすんなり聞いてくれる、そんなファンタジー展開に期待するほど初心ではない。

短期的な時間効率では、お尻でもぶっ叩いて従わせるのが合理的なのだろう。しかし、暴力は使い続けられない。自分は老衰し、我が子は成長する以上、人生のどこかで暴力的な脅威度が必ず自分<子になるからだ。
しかも恨みは積み重なる。暴力による恨みは必ず我が子に蓄積されるだろう。もし、暴力が使えなくなるまで暴力によって従わせたら、その後どこかで同じ以上の暴力が自分に返ってくるかもしれない。直接的な暴力じゃなくても、金銭的な手段だったり、あるいは絶縁されたりするかもしれない。
よって、長期的には、暴力によって服従させるデメリットが大きいと判断する。

家族みんな仲良く、何かあったら助け合う。書いてて自分で恥ずかしいが、そういう理想のために、我が子が自分や妻に対して負の感情を溜める可能性はなるべく排除しておきたい。違う人間だから衝突する時もあるだろうけど、理不尽な抑圧をしたくはない。何故なら自分がそれをやられたら確実に嫌だからだ。まあ、自分に限らず、理不尽な抑圧を是とする人はあんま多くないだろうけど。

余談。現時点の日本社会において、まだまだ「肉親」は強い。色々な制度等で、(同居)家族が必要になることもある。例えば、自分が老いて耄碌した時に、自分の代わりとなって様々な意思決定だったり手続きをするのは我が子だ。その時に
「縁を切ってるので知りません」
とか言われるようでは、あまりにも虚しいではないか。

未来のことはわからない。家族仲だって、現実的には、多少嫌いかもしれないけど制度としての家族をお互いちゃんとやろうね、あたりが目標かもしれない。ならば、それを僕の中で最低限の勝利条件としたい。もし、それ以上に仲が良いならそれはご褒美だ。

ご褒美が貰えるかもしれないなんて、素晴らしいことじゃないか。
人生には楽しみが満ちている。

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