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我ら狂気のアメリカン・ファミリー🤪

これは私がまだ高校生の頃、交換留学生として1年間日本の高校を休学し、アメリカ・アイダホ州へ行っていた時の話。

私が通っていた高校は、キリスト教系の英語学習が盛んな学校で、高校2年生になると、学校を一年休学し、交換留学生として、海外へ学びに行くことが当たり前だった。

一年休学するのが嫌、海外へ行く度胸がない、親に反対されている、余程そうした理由がない限り、クラスの半分以上は、約1年間どこかへ留学していた。

学校を通して行こうと思えば、オーストラリアの提携校に行くのだが、推薦枠が決まっているので、希望者全員が行ける訳ではない。ロータリーを通じて行くこともできるが、色々と条件がある。

そこで私は、友人たちとの情報交換を重ね、「EF Foundation」 という、全世界を留学対象先として抱えている業者を通して行くことにした。英語圏に行きたかったので、私の英会話の先生がアメリカ人だったということもあり、行き先はアメリカにした。

アメリカには50州あるが、基本、自分が行きたい州には行かせてもらえない。会社に言われた州へ行かなければならない。

私は結局、アイダホ州へ行く事になった。アイダホ州なんて聞いたことない人もいると思うが、ジャガイモの生産で有名な州だ。

アメリカの学校は9月に始まる。それに合わせ、7月の下旬頃から、ワシントン州にある “The Evergreen State Collage”というところで、実生活に必要な英語やアメリカ文化について他の留学生と共に学び、新学期スタート直前、現地のホストファミリーの元へ渡った。

私を最初にホストしてくれた家族は、いかにもアメリカンドラマに登場しそうな、庭にプールがあって、飼い犬が二匹飼いて、家の中央に螺旋階段がある家。ホストブラザーはイケイケの高校のアメフト選手で、その妹も活発なブロンドの少女。

田舎育ちの私にはあまりに眩しすぎる、気後れしそうな家族だった。しかし彼らが私をホストしてくれたのは、ほんの一月。

留学を斡旋する業者や機関によって、生徒のホストファミリーを探す条件は異なると思うが、私が利用した “EF Foundation”は、基本的にキリスト教の教会に張り紙をして、慈悲ある信者さんに、無償で1年間ホストファミリーになってもらうようお願いするというシステムだった。

この絵に描いたようなアメリカ人一家も、教会を通じて私を受け入れてくれたようだったが、ある理由により、受け入れてくれるのは1ヶ月に留まった。

私は次のホストファミリーの家へ移った。前回の、ドラマのようなアメリカ人家庭の家に比べると、その家のサイズは約半分で、中庭にプールもなく、2階へと続く螺旋階段もなかった。

若くて美人な、長い黒髪に緑色の目が印象的なホストマザーと、長身で白髪混じりの、寡黙だが優しい雰囲気のホストファーザー、そして私より5つぐらい年下の、歯の矯正器具がギラギラと光る、長い焦茶色の髪を垂らした女の子が私を迎えてくれた。

前回のホストファミリーに比べ、何となく質素というか、静かな雰囲気の家族だった。まだまだ英語の拙い私は、彼らとあまり上手く会話することは出来なかったが、取り敢えずこの家のルールのような物には慣れ始めていた。

この新しいホストファミリーのお家へ移って約2〜3ヶ月経った頃だろうか。ある日、ホストファーザー方のお爺ちゃん、お婆ちゃんが家を訪ねて来た。

我々は車で一緒にコストコ的な大型食料品店へ行き、そのお爺ちゃんお婆ちゃんは、何やら色々と、この家族が普段スーパーでは買わない物をカゴに入れていた。

その中には、日本のスーパーでは見たことのない、例えるなら、スペイン料理店で出てくる、イベリコ豚の燻製の塊ぐらい大きい、骨付きの生肉も入っていた。

戦利品を持ち帰り、キッチンで満足気に袋から食品を取り出すお爺ちゃんとお婆ちゃん。私がとても気になっていた、大きな骨付き生肉も取り出す。

そして、この家へ来てから数ヶ月、リビングにある、ただの一度も上げられた所を見たことがない白いブラインドを、お爺ちゃんは上げた。すると縦長の窓の外には、小さな白いデッキと、草ぼうぼうの庭が広がっていた。リビングが1階部分だとすると、その草ぼうぼうエリアは、地下に相当する場所にあった。

お爺ちゃんはおもむろに、その縦長の窓を横にスライドし、生肉の塊を持ったままデッキ部分へ出た。そして、オリンピックのやり投げ選手のように、力一杯、生肉をぼうぼうの草の中へ放り投げた。

するとどうたろう。明らかに「何か」が動き始め、先程投入された骨の位置に向かって、「それ」は全速力で走っている。この生い茂った草の中には、何かが住んでいる。しかし、その生き物の姿は見えない。

暫く様子を見ると、どう見ても野良犬にしか見えない、ガリガリのダルメシアンのようなブチ犬が、あの巨大な骨付き生肉を口に咥え、デッキに登って来た。お爺ちゃんは、「お腹空いてただろう?たらふく食えよ。良い子だな〜」と、その犬を撫でる。

私はビックリした。この新しい家に来て3ヶ月近くも経つのに、ただの一度でも、犬がいる気配なんて感じた事がなかったし、この家の人が犬を散歩に連れて行ったり、撫でて可愛がっているのを目にした事もなかった。

もしかして餌も水も与えていない?散歩にも連れて行っていない?ここの家族が、犬に餌を与えている姿を見た事がない。お爺ちゃんも「お腹空いてただろう?」と言っていたくらいだし。

このお爺ちゃんお婆ちゃんは、それから2日程この家に滞在した。そして彼らが帰る日、お爺ちゃんは再びブラインドを上げ、縦長の窓を開き、犬の名前を呼んだ。

犬はまたあの何も見えない草むらからデッキに現れ、お爺ちゃんに尻尾を振っていた。「お〜、立派に太ったな〜。お前、もうあばら骨なんか全然見えてないじゃないか。これでまた暫く餌やらなくても大丈夫だな。良かったな〜」、と犬が標準体型に戻ったことを喜んでいた。

私は拙い英語で思わず、「え?もう暫く餌を与えないんですか?」と聞いた。

するとお爺ちゃんは、「犬はね、骨が見えてるぐらいが丁度良いんだよ。今さ、たっぷりの肉を食べたおかげで胴回りがふっくらしてるでしょ?でもあれじゃ駄目なんだよ。暫く餌を食べなければ、またあばら骨が見え始めるから、結構細くなってきたら、またあげたら良いんだよ」。

日本では聞いたことのない理論。だが、一応犬は元気そうに生きているし、私の知らないところで、実はお父さんがたまに餌をあげているのかもしれないし。

実はこの家、室内では猫も一匹飼っていた。私は実家で犬は飼っているが、猫は飼ったことがない。なので、当時は勝手な偏見で、猫は犬みたいに無闇に触ってはいけないのだと思っていた。

実際この家の人たちも、特に猫を触って可愛がるという風ではなかった。そしてこの家のお父さんは、「この猫は水アレルギーだから、絶対にお水あげないでね」と言っていた。

ある日のこと、私は一人お留守番させられた。トイレに行くと、猫も一緒に着いてきた。私がトイレの水を流し終わると、その猫はトイレによじ登り、中の水を飲み始めた。

この猫の変な習性かと始めは思ったが、その後も、この猫は私が家に一人の時には決まって一緒にトイレに着いてきて水を飲んだ。だが他の家族がいる時は決して私に着いて来なかった。

この猫は水アレルギーなんかじゃない。だけど、この家族は勝手にそう思い込んでいて、水を与えていないのだ。恐らく同じ思い込みから、犬もちゃんとケアしていない。

この家族と長く一緒にいればいる程、彼らが普通の家族とは少し違うことに気づいた。まず、家に食べ物がなかった。お母さんは夜勤専門の看護師さんだったので、昼夜は外で済ませ、家ではコーヒーしか飲まなかった。

お父さんは、主に家のガレージで仕事をしていた人だったが、タバコばかり吸って、小腹が空いたらスニッカーズを口にし、何も食べなくても平気な人だった。

一応朝はシリアルは置いてあったし、私も昼は学校で食べた。そして夜はと言うと、用意されない日も多かったし、大きめのジャガイモ一つなんてことはしょっちゅうだった。

そうした家庭環境は、明らかにホストシスターの精神状態にも悪影響を及ぼしていた。この子はまず、食べ物への執着が異常だった。稀に、お父さんが食品の買い出しに行ってペプシやポテトチップスが家に補充されると、彼女はそれらを独り占めしたがった。

私がペプシを飲もうとすると、すごい剣幕で家のどこからか台所へやって来て、「今ペプシのボトルを開けるプシューっていう音がした!ほらやっぱり!それ私のだから飲まないでよ!」と。これは何度もあった。

ある時なんかも、お腹が減って仕方がなかった彼女は、丁度キッチンに置いてあったゼリーを作る粉を見つけ、珍しく私に一緒に作って食べようと提案してきた。でも、お母さんに見られたら怒られるから、帰ってくる前に作っちゃおうと。

ボウルにゼリーの粉と水を入れて、冷蔵庫で2時間ぐらい冷やせば完成する簡単なもので、ホストシスターは折角だからと巨大なボウルを準備し、ワクワク顔で粉と水を混ぜた。我々はそれを冷蔵庫に入れ、固まるまで待つことにした。

「まだかなまだかな〜」、と完成が待ち遠しい様子のホストシスター。ふと窓の外を見ると、急に顔が凍りつく。「あ、お母さん帰ってきた!まだ帰って来ないと思ってたのに」。

「別にいいんじゃない、そのまま冷やして置けば。後で食べようよ」、と私は彼女に言ったが、「ううん、絶対に怒られる。お母さん、私がこういうの食べると怒るから」。

そう言うと、彼女は冷蔵庫を開け、まだ固まっていない水状のゼリーを取り出し、まるで大杯を両腕で抱えるような格好で、それを一気飲みした。何かもう、彼女が妖怪にしか見えてこない。その数分後母親が帰って来たが、ゼリー作りはバレる事なく、彼女も怒られずに済んだ。

冒頭にも書いたように、ホストマザーはとても綺麗な人だった。体型、髪型、爪の先にとても気を配る人で、自分に比べ、娘が美容への拘りを持たない事によく苛立っていた。

ホストシスターは、食べ物への執着以外にもう一つ、「シャワーを浴びない」事へも執着していた。彼女はほぼ毎日のように放課後バスケットボールをして汗だくになって帰って来ていたのだが、何故かシャワーを浴びなかった。

母親はそれをいつも注意した。でも、色々と理由を付けてはシャワーを浴びる事を避ける。そしてある日、ホストマザー、シスター、私の3人で買い物に出かけた。

車内がやや暑かったので、ホストシスターはおもむろに窓を開けた。ハイウェイだったので、まあまあ強い風が入ってくる。ホストマザーは運転しながら、バックミラー越しに娘に一言こう言った。

「凄いわね、外の風がこんなに強いのに、あなたシャワーを浴びないから、髪がベタベタで全くなびかないじゃないの」。先ほどまで気持ちよさそうに窓に寄りかかっていたホストシスターの顔が、一瞬で地獄に突き落とされたかのような表情になった。その日流石に、彼女はシャワーを浴びていた。

1年間の交換留学は素晴らしいものであったが、ホストファミリーに関しては、結構大変だった記憶しかない。よく、「タダほど高いものはない」と言うが、全くその通りだと思う。

教会にホストファミリー募集の張り紙をしても、なかなか希望者が集まらないらしい。そりゃそうだと思う。食費・光熱費を手出しして、学校の送迎だったり、その他色々と仕事が増えてしまう。

実はこのホストファミリーに決まるまで、私は一番最初の家族のご友人一家を紹介されたが、一日一緒に過ごした結果、断られた。素晴らしいご家族だったが、やはりまともな家族は、そう簡単に外人を家に無償で住まわせたりはしない。

ホストファミリーを無償で引き受ける家族全員が変だということは決してない。ただ私を含め、同時期に留学へ行った人たちの家族を見る限り、かなりの確率で、難癖のある家族に当たった人が多い気がする。

高校留学では、家賃・食費・光熱費等、自分では支払わないパターンが多いと思うが、もしこれから行かれる方で、支払って家に住まわせてもらうという選択肢があるのであれば、その方が、変な家族に当たる確率は低いのかもしれない。

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