見出し画像

CAから転職後、キャリアウーマンの道をひた走っていた。そして今はパンツ一丁。人生は素晴らしい。

私は、夢に向かって突き進むタイプだった。
人生一度きり、やりたいことをやる!みたいな。

とりあえず、やってみたい仕事1位だったCAになってみた。
詳細はまた別の記事で書くけれど、かなり特殊な世界で、貴重な出会い、経験をし、陰と陽を同時に見たような、人生で最も忘れられない経験の一つとなった。

私はキャリアを積んで、ガンガン昇っていきたかった。
だから、キャリアとしてはカウントされないCAの世界に、長居をするつもりはなかった。

若くて怖いもの知らずだった私は、行きたい会社に手紙を書いた。
それも日系・外資系の大手企業へ。
英語が少し得意なことと、中途半端に法律の勉強をしたくらいで、他に何の特技もないというのに。

そして驚いたことに、殆どの企業から返信が来た。
外資系でドライなイメージの企業からの、私に合わせた丁寧な手紙には、少し感動した。
企業は思っていたよりずっと真剣に、そして丁寧に採用活動をしているのだと知った。
返信の内容は「近々に面接を」「ポジションが空いたら連絡します」等々。
面接のチャンスを与えてくれた全ての会社で面接を受けた。
なんと受かった。3社も。
年功序列で重くて堅い日系企業より、年齢も新卒も中途も関係なく、色んな出入口があり、やる気次第で上っていけそうな、米国外資グローバル企業に飛び込んだ。
売っている商品やそのブランドより、私みたいな人間を雇って試してみようと思った企業に、面白みを感じた。

全てが面白かった。
CA上がりで20歩も30歩も出遅れていた私は、人が嫌がる仕事を進んで引き受けた。泥臭い仕事ほど、着実に力をつけている感じがした。
そのガッツは認められ、遂にアシスタントから昇格し、自分の仕事を持つことになる。
やる気はますます上がった。
全く割に合わないような、誰もが嫌がる海外出張も、進んで手を挙げた。なぜか、私なら何とかなるんじゃないかと思った(全く根拠なし)。
事実、何とかなった(笑)

特別な能力もない、ただのCA上がりが認められるようになるのは簡単ではなかったけれど、小さな結果を重ねていき、評価されるようになった。
評価されるとすぐにポジションで応えてくれるのが外資系企業の面白いところ。
ますます仕事に没頭していった。

その頃は、仕事に繋がることにばかり時間を使っていた。
仕事の合間にやっとできた時間で、通信制の大学院で学び、休日はレポートに追われる。
いつ寝てたんだろう?と思うほど忙しかった。
でも、ぐいぐい前に進んでいる気がして、”理想の自分”に近づいている気がして、楽しかった。
今思えば、小さい頃に思い描いていた理想の自分と、年を重ね経験が増える度に少しずつ変わっている理想の自分に、私はまだ気づいていなかった。
というか、気付く暇なんてなかった。

突然、衝撃のシーンが訪れる。

近所の公園で体を動かしていた時。
ベンチでボーっとしていた私に、小さい男の子が近づいてきて、私に向かって手を伸ばした。
ん?なんだなんだ?と思って、私もその子に向かって両手を伸ばした。
その子の手に、小さな草花が握られていて、それを私にくれようとしてたのだ。
その子のママさんが横で、
「すいません、、今さっきそこで摘んだんです。どうしてもあげるって言うので、、」

その子にまっすぐに見つめられて、小さな手から、少しクタっとした草花をもらった時、射抜かれたような衝撃が走った。
キラキラと自己主張の強い花束を、ギラギラした大人がギラギラした大人に渡すシーンは沢山見てきたが、今のこのシーンは、人生で初めてだった。と思う。
ぎゅっと握られた柔らかそうな手、微かな草の匂い、私に向けられた無垢な笑顔。
まるでスローモーションみたいな。
ガツガツ・ガブガブな時間を送っていた私には、時が止まったようにも感じた。

今思えば、たぶんそこから私の変化が始まってたんだと思う。

その数年後に私は息子を産んだのだけれど、その数年間の事を、実はあまりよく覚えてない。
その都度よーく考えた、という記憶はあるの。
でも、「気が付いたら、産んでた」が一番近い感想。

私は家庭への憧れは一切なかったし(ご存じの通り、両親がまぁまぁアレで)、特に子供好きってわけでもなかったし。当時の彼(今の夫)とは付き合いも長く、一緒に住んでいたけれど、結婚せず、パートナーとして生きていくつもりだった。

そこからなぜか結婚して、息子が出来て、産んで。
育休は1年も取らず、子どもを産んでなるべく早くに仕事復帰するつもりだった。
しかし、息子が全然寝ない子で、私は産後うつ状態でフラフラ。身体が全く回復せず、仕事復帰どころではなかった。

それでも上司は言ってくれた。
「働く女性のモデルケースになって欲しい。その為に会社に必要な制度をヒアリングしながら作っていくから、女性の道を開くためにも、是非戻ってきて欲しい」と。
自分の経験が、今後の女性の道を開く助けになるなんて、嬉しい提案だった。
フルタイム復帰は無理なので、時短復帰という形で、会社の制度や枠組み作りをしていった。

私は”女性の大臣””女性の管理職”など、”女性のなんちゃら~”という考え方がナンセンスだと感じていて、
「優秀な人を採用したら、たまたま女性だった」
というのが理想だと思っている。
その為には、女性は学部の選び方から意識を変える必要があると思うのだ。

世界中で、あらゆる分野で理系人材の需要がこれだけ高まっているのを分かっていながら、専門性の低い、ふわっとした文系の学部を選ぶ女性が未だに多い。事実、理系の大学・学部の殆どが男性。他国では類を見ないくらい、日本では女性は文系に偏っている。なぜ?自由に学部を選んでいいし、数学が禁止なわけでもないのに。
好きな事を学ぶための学問だから、もちろん好きに選べばいいのだけれど、それにより就職に差が出るのは当たり前。それは性別関係なく、企業が欲しい人材に育っていない、だから採用されない、というだけのこと。
専門性が乏しく、数字にも弱いとなると、例え大企業に入ったとしても、重要なポストにつくのは難しい。どこも経営陣の多くは理系人材ばかりだ。
こういう点から、女性の選択が、女性の社会進出を遅らせている面も否めない、と私は感じていた(採用側からの視点で)。

女子、もっと理系行けよと。

おっと熱く語ってしまった。。。まぁこの話はまた別の機会にするとして。

まぁとにかく、私はあの男の子にお花をもらって、ベタ踏みだったアクセルを緩め、ゆっくりハンドルを切って車線変更したの(例えが分かりにくい)。

人生には計画も夢も努力も大事。
でも、柔軟性が一番大事なのではないかな、と今は思う。
若いうちに自分の夢をガッチガチに固めてしまうより、時には偶然出会ったものに時間を委ねてみる冒険心とか、あらゆる方面への好奇心とか、夢なんて途中でいくらでも変えればいいわけで、道の取り方に自由度が高い方が、色んな意味で、良い結果が得られる気がする。

思いのままに書いてみた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?