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手をつなぐとき:Be My Love【3,614文字】

漆黒の空には、オリオン座が輝いていた。
都会の空にもかかわらず、これほどはっきりと星座が見られるのは、空が晴れていて空気も澄み、周囲に光がないからだろう。住宅街には、ところどころその暖かな家庭を象徴するかのようなオレンジ色の光が窓から漏れていた。

私はあの時、決断した。
噂の真相を確かめるため、本人の口から聴きたかった。
今までの私たちの関係は何だったのか?


これが思春期特有のホルモンのなせる業にすぎないのに、誰もわかりやすく説明してくれなかったし、学校で優秀だと評価される彼自身ですら当事者になればそれが何なのかきっとわからなかったに違いない。
子どもの頃から知っていた彼は、中学生になった時突然声が変わり、私の身長を追い抜き、中年のおじさんのようにひげを生やし、時々発する言葉は、妙に私の心に残った。
いつからだろう?それを意識するようになったのは。
登下校で彼を見つけるとつい見惚れて、電信柱にぶつかった。

同じ高校に通うことになって同じ駅から高校に向かう時、4月のまぶしい桜吹雪に晒される彼を映画のワンシーンのように美しく感じた。
高校への通学電車で彼を見つけると目が離せず、最寄り駅で降りて高校に向かう坂道で話しかけ、一緒に話しながら正門をくぐった。
バレンタインデーにチョコレートを贈ると、ホワイトデーにお返しが来た。
それは、中学生の頃から数えて5回。

高校最後の文化祭の時、フォークダンスで偶然手をつなぐことになった私たちは、一人、一人、と順番が近づくのをお互いに見ていた。貴重な数分間で私は彼に何かを話したことは覚えているのに、内容はもう思い出せない。彼の表情はいつものように穏やかで、私の話を受け止める。でも私の頭の中は真っ白で、彼と偶然とはいえ初めて手をつないだ瞬間が幸せなのか、緊張しているのか、自分の感情がまったくわからない。この瞬間が終わらないことを望みながら、早く離れたいような居心地の悪さも同時に味わっていた。心臓は早鐘を打っていた。
彼からパートナーが変わった途端、私の身体は震えが止まらず、つないだ手からその震えが名前も知らない次のパートナーに伝わったのだろう。その人はもう誰だったか覚えていないのに、不思議そうな表情を向けながら、私とフォークダンスを踊ってくれたことは覚えている。

高校生最後の文化祭のフォークダンス。
それが、子どもの頃から知っている彼と最も近づいた瞬間だった。


親友に電話して、「今晩泊めてほしい」とだけお願いして、快諾してもらった。私はコートのポケットに財布だけ入れて、自転車で家を出た。
親には「親友の家に一晩泊る」とだけ、伝えて。


「君に対してどうしたらいいのか、わからなかった。
こんなことは初めてだったから。」

駅までの道すがら、彼は自転車を引きながら歩く私に向かって、ぽつりとそう言った。
それは、私も同じだったけど、私は努力した。

「どうしてはっきり言ってくれなかったの?
私の友達と付き合うことになったって。
言葉で言わないとわからないのよ。
わかってもらっているつもりで、黙ってないでよ!」

それでも、彼は黙っていた。
私は、結局噂の真相を彼から聞くことはできなかった。どうして話してくれないのかわからず、私はそれが赦せなかったのだ。
でも、この沈黙は、私たちの関係が今までと違い、すっかり変わってしまうことを意味していた。
それが彼なりの優しさだったのだと後でわかっても、私は赦せなかった。
彼と別れた直後、私は電車に乗って親友の家へ急いだ。
涙は出なかった。


翌年、彼がたった半年で私の友達と別れ、手紙を送ってきた時、私は動揺した。
そこには私に対する受験の応援と気遣いが綴られていた。付き合っていた私の友達のことや私の彼に対する気持ちについては何も触れられてはいなかったが、それは不用意な言葉によって私と私の友達を傷つけまいとした彼なりの優しさだったのだと、私は理解した。付き合いが長かったからこそ文面から想像できたことだった。彼は、言葉を超えるメッセージを私に送ってきていた。
それでも、私はそれを確認するために彼と再会しようとはしなかった。
私は彼より遅れて大学進学することになり、地元を離れることになったからだった。彼が子どもの頃からの夢を追って地元の有名大学へ一足先に進学したように、私には譲れない私の夢があったのだ。

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あれから10年の時を経て、私はある人と偶然出逢う。
ほとんど初対面の人達同士で、ビリヤードでグループごとに競い合っていた時、その人は歯に噛むような笑顔で自分が負けることを宣言していた。あの時は何か賭けてたんだったっけ?そんなことはもう覚えていない。ただ、その場にいたほとんどの人が自分がいかに勝つかに夢中になっていたのにも関わらず、勝負にこだわらず、誰かを勝たせてあげるその姿が、懐かしい人と重なった。その人とは初対面なのに、私は強烈な懐かしさを感じた。あの子どもの頃からずっと学校が一緒だった彼を彷彿とさせるものがあった。


子どもの頃から成績優秀だった彼が、中学生になって私とテストの点数を競い合うことになった時、一度だけ彼の成績を私が超えた時があった。
私は将来の夢を叶えるために中学に入ってから必死に勉強していた。それは彼も同じで、私たちはテストで競争せざるを得なかった。志望する高校への進学に必要な点数を1点でも多く得るために。
私の席に集まったクラスメイト達は私の成績をのぞき込み、優秀だと評判の彼を負かしたのが誰なのか、どの科目にどれほどの差があったのか興味津々だったのだろう。そこにはその彼もいたのだが、さぞかし憎まれ口をたたかれるか、悔しいという気持ちを表現するだろうと私は予想していた。

しかしその予想は見事に裏切られることになった。

「すごいじゃん!」
そう言って彼は、私に爽やかに笑いかけた。

自分がテストの総合点で負けたことなんて全然気にしていない。
彼は今までずっとクラスで1番だった。学年でも1、2を争うほどの優秀さで学校でも有名だった彼は、誰かに一時的にその座を明け渡すことなんて大したことではなかった。ただ、自分を超えた相手を認めるだけ。
それだけなのに、私はあの瞬間にたぶん恋に落ちてしまっていた。
そして、彼は、次のテスト以降私を勝たせることはなく、やはり1番を取り続けた。
おそらく見えないところで、たくさんの努力をして。
当時の親友に「あなたはインテリ好きなのね。」と言われたけど、それよりも私はもっと別の部分、彼の人間性にどうしようもなく惹かれた。それを私は親友に説明できなかっただけだった。


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本当に自分に自信のある人は、
必要以上に自分を大きく見せることはしない。

いつしか私はそう思うようになったが、ビリヤードで勝負していた時に出逢った彼は、まさにそのように映った。

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「手をつないでもいい?」
「どうして、ここで手をつなぐの?」
オリオン座が煌めく夜空の下で私が同意を取って夫と手をつなぐと、夫は初めて会った時ビリヤード戦でも見せたちょっと照れたような笑顔を向けながら、いちいち言葉にする。その声は、中学生になった時に変わったあの彼の声よりも低かった。

「だって今日は、あなたの誕生日でしょう?」
子ども達を夫側の祖父母に預け、二人で冬空の下を歩いている時、私は何となく手をつなぎたくなったのだ。

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上の子がまだ赤ちゃんだった頃、自宅に子育ての手伝いをしによく来てくれたお姑さんが、
「誕生日くらいデートしなさいよ。子どもは私が預かってあげるから。」
と言ってくれて、今まで10年以上その習慣が続いている。
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カイロが入ったポケットに手を入れるよりも、お互いの手がつながると手だけじゃなくて心まで温かくなる。ただそばにいるだけでホッと安らぐ。
たった数十分の夜の散歩だったけど、私達夫婦は、オリオン座の光に照らされて幸せな時間を過ごした。

(本文ここまで)


久しぶりに「エッセイと創作の間」の記事作成をしてみました。
今回は、過去と現在の繋がりを意識して、時間軸を交差させながらフィクション多めでお届けしております。
Jazz Standard 「Be My Love」をKeith Jarrettのピアノ・ソロで聴きながら、フィクションの物語のイメージを拡げました。

本年もどうぞよろしくお願いいたします。

Ladybug


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