見出し画像

鍼灸技術の流派に属するべきなのか?

治療ができる、治せる鍼灸師になりたい。と思って卒業すると思う。そうしたら、「今の私はどんな治療をする鍼灸師になるか」ということを一生懸命探すのがいいのではないだろうか。その治療を勉強する場所は学会だったり、研究会なのだと思う。

・15年目の鍼灸師と流派


鍼灸学生は、今どんなふうに自分の技術を向上していこうと考えるのだろう?

生の声が聞きたいなってよく思う。

というのも、多分、私がこれからそんな仕事をする予感がするからなのだけれど。


15年前、鍼灸師になる直前。学校にはポスターがよく貼ってあった。「全日本鍼灸学会のお知らせ」「伝統鍼灸学会のお知らせ」「〇〇研究会〜」など色々。

お金かかるし、まだ学生だし、就職してからでいいよね。というか、流派に所属することや、会に入る必要ある??ぐらいに思っていた。(つい最近までそう思ってたし、実際、私は、現時点でも1つしか入っていないけどね)そう、思いながらも、同級生が、勉強会に行ってきたとか、学会で勉強してきたっていう話を聞いて、ちょっと内心焦っていた。

 就職してからは、治療院が現代鍼灸をメインにしている院長だったので、勉強しろよ。と言われて、東大で行われる研究会に行っていた。その職場を退職してからは、行くこともなくなり、勉強する時といえば、就職先の先輩に教えてもらったり、ネットでの知識だったりで、それで十分だと思っていたし、それで治療をしていくこともできたのである。

ただ、心の中の不安はつきものだった。鍼灸師数年経った自分に自信を持ってできる。と言えることもなかったし、症状が長引く患者さんがいても、今の私の治療を続けててもいいのだろうかという不安、私の技術はこれで大丈夫なのか、何かがこれではいけない。という漠然という不安が常にあった。自分の治療の元がないから、トリガーポイントや筋肉の硬結ばっかりを追って、自分がどんな治療をしたのか、目的はなんなのか、患者さんにどんな経過を辿るだろうとかも言えない自他ともに不安ばかりな治療者だった。

鍼灸師を休職した時期、子育てが大きな理由でもあったけれど、もう一つの理由は、漠然と治療することが怖かったのもある。私のような知識も技術も適当なものが治療していいのかという不安が鍼灸師という経験を重ねるごとに、増してきたことに怖さがあったのだ。

5年後、あるきっかけで鍼灸師を復帰することになる。声をかけてくれたお師匠さんには、正直に伝えた。「私は、治療をするのが怖い。したくない。」それでも流れに沿って、鍼灸師をはじめ、師匠の所属する会に入り、流派を学び、治療を見学して、自分でも施術に入り勉強を今まで以上にしている。いま、もちろん怖さもあるが前のような漠然とした怖さはなくなった。

なぜだろう。
それは、理論がしっかりあり、それを実践しているスーパーバイザーが近くに居るからなのだと思う。こうなったら、こうなるという理論が現代鍼灸にも伝統鍼灸にもある。それは、決して曖昧なものでもなく、はっきりと明確なものが多い。学会や流派はそんな理論やスーパーバイザーがいてくれる。

15年前の私の
「学会に入るべき?」「研究会に入るべき?」
の回答に答えるなら

「入った方が近道?余計な不安は感じない」答えると思う。

ただ、自分の肌にあう、つまり理論や感覚、考え方がマッチする研究会や流派をゆっくりでいいから探すこと。
その時々で、マッチする流派は違うかもしれない。違くていいのだと思う。今自分にあう、流派を探せばいい。そんな流派が見つかれば、それを勉強する。すると、知識も技術も向上し、不安(持っていることも大事だと思うけど)も少し解消されると思う。

探し方はそれぞれ、
治療を受けに行って、肌で感じるでもいい
学会に行ってみれば、たくさんの流派の先生方の話を聞ける
友人やSNSを頼ってもいいかもしれない

治療ができる、治せる鍼灸師になりたい。と思って卒業すると思う。そうしたら、「今の私はどんな治療をする鍼灸師になるか」ということを一生懸命探すのがいいのではないだろうか。それを見つけたら、その会に入り、まずそこの技術や理論、患者さんへの考え方などを極めるつもりで勉強することをお勧めする。

そしたら、仲間もでき、自分の治療の基準ができ、少し安心しながら鍼灸師歴がすすめるのではないかなと思ったりする。




この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?