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子育てって成功だ、失敗だと測るものでもない

中学1年生の長男、反抗期が始まった模様。
注意されると「うるさいな!」
「この家は異常にルールがありすぎるんだよ!」
とか言う様に・・・。


長女の反抗期が始まったころ、或いは今まで
長女が言う一つ一つの言葉をまともに受け止めて、
同じようなことを言われたら
「どこがうるさいの?」とか
「他の家のルールとうちのルールとどこが違ってどう不満なの?」
なんて、頭で考えたり問い詰めてしまっていたかもしれない。

でも、息子の反抗期が始まって
「へぇー、反抗期がやってきたんだ」
「言ってることにあまり意味はないんだよな。」と
分かっていて
「へぇ~。」とか「今のあなたにはそう見えるんだ」と
思ったり、流したりできる自分がいる。

成長。

子供の見えていること、理解できていることはとても狭くて、
もちろん子供たちの主張は本人にとっての真実なのだとは思うけれど、
もっと大人になって視野が広がったら、違った解釈ができるようになる
だろうことが多い。

だから、今はそう見えていても仕方ないな~という気持ちで
受け止めていたらよかったのかもしれない。
長女の「お前らの子育て失敗なんだよ!」という発言も・・・。

20歳だけれど、ASDの特性が強めだからだと思うが、
長女の行動は同じくらいの年齢の子に比べて、
想像力や常識に欠けることが多い。

親としては社会に出ても困らないようにしてあげたいと思う訳で、
例えば「一緒に暮らしているんだから挨拶は
しないといけないと思うよ」とか
「食事がいる時と、いらない時の連絡は入れてもらわないと困るよ」
等と言った難しくないことを注意したのだけれど、
キレてなぜか「お前らの子育ては失敗だ」発言をされてしまった。

その言葉はショックで悲しかったので、
自分の子育てについて振り返ったりしたのだけど、
結論としてはどの子育てにも失敗と言える要素も
成功と言える要素もどちらもあるものだと思う。

 どんな親だってその人達の置かれている状況の中で、
その人が出来うる選択の中の最善のものを選んで子育てしていると思う。
だから、親をしている人に対して「成功だ。」とか「失敗だ」といった
評価をするものではないのだと思う。

例えば高校受験をするとして、その人なりの最大限の準備をしたとする。
それでも志望校に落ちてしまうことはある。
その時に、その人は責められなきゃいけないんだろうか?
「失敗だ」と言われるだろうか?

「仕方ないよね」と言うし、そうやって結果を受け入れると思うけれど、
それと同じじゃないだろうか。

子育てはサービスではなく、無償奉仕でボランティアだと思う。
だから、あたかもサービスの受け手であるかのような子供が
サービスの提供者であるような親の用意したものに
不満があるからと言って
親を安易に批判するのはどうなんだろう?

私自身の親も過去の記事に書いたように、なかなかな親だったし、
実家にいた頃は現在進行形で暴力をふられていたから、
親の事を恨んでいたけれど、
実家を出て様々な人と出会って、様々な家庭の形を知り、
人の心の仕組みなどを勉強するうちに、
「あの人達にもあの人達なりのあんな育児になる理由があったし、
不健康な形だとは思うけれど、あれがあの人達の子への愛情だと
思うものだったんだな」という風には理解している。

私の親は苛烈だったけれども、その人達から受け取ったものの
全てが害ではないし、今の私を助けてくれているものも
沢山あると感じている。

だけど、それは親と離れて、親と一緒に過ごした時間と同じだけか
それ以上の時間を実家を出て過ごしたから解ったことだと思う。

長女には来月から独り暮らしをしてもらうことにした。
私と夫は「自活できるようなること」が子育てのゴールだと思っているし、
それは子供と良い関係を築くことよりも優先されることだと思って
子育てしてきた。

長女の子育てを終えてみて、
「子供とはいずれ家族になり、大人同士として、個人同士として
協力できる関係になれること」も子育ての要素として大事だったな、
と反省するけれど、同時に親子には相性もあって、
努力しても近くにいることが心地よくない相手もいる、
ということを学んだ。

子育ては親も子供も楽しい思い、心地よい思いをするために
あるものではなく
(もちろん出来るだけ心地良い時間が多ければ嬉しいけれど)
親も子も関係を通して多くを学ぶための体験なんだな、と思う。

長女が実家を出てもっと広い世界を知り、
視野を広げてものを見れるようになれば良いと願う。



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