見出し画像

バーチャルYouTuberとハガキ職人は似ている

この半年〜1年ぐらいで「にじさんじ」界隈にめちゃくちゃハマっている。

画像2

「にじさんじ」とは、約100名が所属するVTuber(バーチャルYouTuber)グループです。

ハマり具合で言うと、上記のリンク先のライバー103名(2021年6月29日時点)の内、およそ40名ぐらいをちゃんと把握できている。これだけ色々な動画を観たつもりでも、まだ半分も行っていないことに驚きますが。

今の僕の状態をお笑い好きの方に分かりやすく伝えるとするならば、「吉本芸人」にハマってる、みたいなことに近い。

画像3

「あ、あの人とこの人は同期なんだ」
「あ、ここは仲いいんだ」
「ここはユニット組んでいるのね?」
みたいな、関係性や歴史が人の数だけ無数に存在するので、掘れば掘るほど情報が立体的になっていくのが楽しい、という状況です。新人も増えるし、関係性も変化するし、知らない交流もある。終わらないコンテンツです。


ゲームや雑談など、長時間の生(き)のままの状態がそのままコンテンツになるVYouTuberの方々は、人柄(にん)が面白い人が多いので、どんなジャンルの動画でもある程度楽しんで視聴できるのが凄いと思います。


「○○県には全く興味はないけど、@@さんが歩くならこの街ブラ番組見ようかな」みたいなことです。たとえまったく興味のないゲーム/企画の動画だとしても、「あの人がやるなら見よう」となるから、やはり人柄(にん)の強みはコンテンツにとって大きな武器になるな、と実感します。


また、VTuber界隈では一つの動画が2時間を超えることもザラなのですが、そんなハードルを下げてくれるのが、ひろゆきさんなどで広く認知され始めている「切り抜き」という文化。いわるゆ”切り抜き師”が長時間の動画の面白い部分を抜き出して編集し、数分の動画にしたものをアップしているため、短い動画でその人の魅力を知ることができる。

これまた芸人さんで例えると、「@@さんの名ツッコミ集」といったような形。動画ごとにコンセプトをもってまとめられているので、とても見やすい。

また「@@さんの名ツッコミ集」的な動画の多くがテレビやラジオ番組の違法アップロードであるのに対し、VTuberにおける切り抜きはオフィシャルに容認されているようです。

「にじさんじ」が公式に「各ライバーや公式番組等の配信をファンの方々に切り抜き動画(生配信の見どころを切り抜いた動画)として投稿していただき、それをきっかけに「にじさんじ」を多くの方々に知っていただく機会が創出されました。」と書いたりしていて、認知拡大における有用な手段として認められているらしい。なんなら切り抜き専用の「にじさんじ」公式チャンネルも存在している。こういうの、テレビでもやれたら面白そうなもんだけど。

画像4


※ただ切り抜き動画における収益などに関しては細かい決まりがあるかもしれませんが


VTuberとハガキ職人

この一年間、色んな動画を観てきて感じたVTuberの魅力を書こうと思いnoteを開いたのですが、好きな要素をいくつか挙げていったところ、「ハガキ職人」と共通点があることに気付きました。ので、少しまとめてみようと思います。




★匿名性とコンセプト

言わずもがな、どちらにも匿名性がある。VTuberに匿名性があると言うのは、「ガチャピンは着ぐるみだ」と言うようなもので、野暮ではあるのだが。

VTuberにはそれぞれキャラクターとしての設定/コンセプトが掲げられています。「ニートのゲーマー吸血鬼」だったり、「高校二年生の学級委員長」だったり、「異世界の悪魔」だったり。

また同じように「ラジオネーム」という異様な看板を掲げているラジオリスナーにも”キャラクター性”を抱えている人が多い。「名は体を表す」ではないですが、そうした”コンセプトを掲げて個性を出す”というプロセスに、両者に共通する姿勢を感じたりしています。

爆笑問題カーボーイのハガキ職人に多い、ネタメール前の自己紹介の定型文にも、そういったニュアンスを感じる。

VTuberもハガキ職人も、素顔を出していないのに。
「声だけで/文字だけで」というある種の制約の中で個性が噴き出す。

そこから、徐々に個々のパーソナリティが立っていく。
画面の向こう、電波の向こう、見えない奥が興味を駆り立てる。




★切り抜き動画

上で書いた「切り抜き動画」で認知が広がるという点も、共通しているかもしれない。ラジオ番組でも、コーナーごとの切り抜き動画、ハガキ職人ごとの切り抜き動画、多くのリスナーにまたがった”ノリ”をまとめた切り抜き動画…などなどが散見している。

もちろん、VTuberと違ってラジオの方は全て違法アップロードではありますが、そこがラジオ好きの入り口になったという人も少なくはないでしょう。





★自己の深化/好きのプロフェッショナル

VTuber(に限らずYouTuberもですが)には、「自分のチャンネル」があって、自分の出したい動画をいくらでもアップロードできます。そこに色が出てくる。

「あの人はAPEXのプレイが楽しい」
「あの人は雑談配信にエンタメ性を組み込むのが上手い」
「あの人は歌が上手い」

自分のチャンネルという不可侵の聖域で、とにかく自分の「好き」を追求し、配信/投稿を重ねていく。この繰り返しで、とてつもないサイクルの”自己の深化”が進み、個性が際立っていきます。

それは「川に流された岩が下流に行くに従って丸みを帯びていく」のまったく逆のプロセス。「コーンフレークの五角形のグラフ」の逆とも言えます。

「やらされている」わけじゃないから、自分の好きにどんどんと特化していく。さながら「好きのプロフェッショナル化」といったような現象が、これまたその人のパーソナリティを際立たせていく。「のめり込む人」の姿は、いつだって誰だって魅力的です。


VTuberは「自分でやろうと思えばいくらでも動画を出せる」が、一方でハガキ職人は「採用されないと世の中にアイデアが表出しない」ので、その点は大きく違います。

しかしハガキ職人においては、VTuberにとっての「チャンネル」が「お気に入り番組」であったり、その中の「特定のコーナー」であると言い換えられると思う。

『霜降り明星のオールナイトニッポン』で言えば、ノコササさんが「ポケひみ」というチャンネルに大量に動画を投稿している、みたいなことです。

「このコーナーにしか送ってこないやつ」
「あの番組でしか名前を聞かないあの職人」

特定の範囲に絞って自分のクリエイティビティを注ぎ込む職人たちが、週を追うごとにクオリティを上げていったり、クレイジーさが極まっていったりするのを肌で感じる。これはまさに、「好きのプロフェッショナル化」と言える、共通した魅力の一つではないだろうか。

「配信する側」であるという点では、VTuberは「ハガキ職人」よりも「ラジオパーソナリティー」に近いのでは?という面もあります。

が、その自由度の高さ、フットワーク、良い意味での「チャンネルの私物化」というわがままさは、ラジオ局のタイムテーブルに沿って放送する“オフィシャル”なパーソナリティよりもむしろ、神出鬼没で野武士な「ハガキ職人」に共通項を見出してしまう自分がいるのです。



★共通言語を育てていく

ハガキ職人のキャラクターが助長していったり、メールのノリが職人間で伝播/拡大していく経緯を、毎週毎週、時間経過とともに実感できるのは、リスナーにとってこの上ない喜びだったりする。

「ともに歩んできた」と書いてしまえば陳腐ではあるが、変化を共有するということは、同じ時間を過ごすことであり、そこには連帯感と親近感が生まれるのだ。僕で言えば、そういった温もりが欲しくてラジオを聴いているところもある。

VTuberの動画を見ていると、そのほとんどに「知らない挨拶」や「謎のノリ」がある。最初は「なんだこれ?」状態なのですが、興味を持って過去の動画を遡っていくと、どこかにそのノリの発端が埋まっているので、「あ、ここからできたノリなんだ!」と、そこからまた一気に解像度が上がります。

「共通言語を育てていく」楽しさ、それによる連帯感というのは、これまた共通点の一つであると思います。





★簡単に、二度と会えない

VTuberの色んな切り抜き動画を観て、「この人面白いな」と思って調べてみたら…残念ながら既に引退していた、というケースがいくつかありました。

引退すると、チャンネルごと動画のアーカイブを全て削除することが多いらしく、それを嘆いているファンの方も多いです。

インターネットに彗星のごとく出現するVTuberは、時折、そのまま流れ星のようにフッと消えてしまう。どこに行こうが、その背中を追いかけることはできません。同じように、「一時期よく読まれていたあのリスナー」の現在を、知る術は僕らにはない。

動画で、ラジオのメールで、常に受け手の僕らは供給されるだけ。去る時は一瞬でいなくなる。匿名性の高さゆえに「立つ鳥跡を濁さず」で、消えていくカリスマを引き留める手段もなく、ただ喪失を感じるのみです。そんなほろ苦いところにも、共通点があるように思う。




★狂気

好きを突き詰めた先には、ドロドロの野心と執念と覇気が混ざり合って、とてつもない化物が誕生するものです。VTuberにも、ハガキ職人にも、「狂気」を感じさせる人が何人もいます。

ハガキ職人で言えば、前述のノコササさんとかもその一人です。

「アルコ&ピースのオールナイトニッポン0」の農機具さんのメール【ポポゴリラ】なんて、もう8年以上前なのに脳裏にびっしりと狂気がこびりついています。

あとは、邪悪なお坊さんとか、さんぺいさんとか、とかとか?

打率/採用率はもちろんのこと、文面から滴るような異形の念が電波越しに伝わってくる。


そしてVTuber界で言えば、個人的には文野環さんという方がそれに該当します。

画像5

色々な伝説を残していらっしゃる方ですが、特に度肝を抜かれたのはこちらの動画です。

今年2月に、「にじさんじ」と海外VTuberグループが合同で『#NIJINYANJI(にじにゃんじ)』という企画を行いました。にじさんじ・海外各国合計59チャンネルのライバーが『Nyanyanyanyanyanyanya!』という人気のMVをカバーするという動画企画です。

「猫」のキャラクターであるにも関わらずその企画に選抜されなかった文野環さんは、「色々とぶっ壊してやろうと思って」と、事務所への復讐として一人で14時間『Nyanyanyanyanyanyanya!』を歌い続けるという配信を行ったのです。

これを狂気と言わずになんと言うでしょうか。

ハガキ職人でもたまに、「一人で100通送ってきた」みたいなことがあります。想像を絶する「執着」。


こうした「キラリと光る狂気」がアクセントになるというのは、突出した個性が表面化しやすいVTuber界、ハガキ職人界に共通する魅力ではないでしょうか。


※ちなみに文野さんは他にも「電子ドラッグ」としか言いようのない配信(https://youtu.be/5GdkXAKAyqM?t=1334)もしていたりと、目が離せないVTuberさんです。




自分がVTuberにハマった理由を深く掘り下げていけばいくほど、不思議なもので、自分の好きな「ラジオ」「ハガキ職人」に通ずる魅力が続々と出てきます。

2つの大きな共通点として、今回の記事内で使った言葉で一番しっくり来たのは「好きのプロフェッショナル化」でしょうか。

得意不得意の次元ではなく、自分の「好きという思い」を磨き上げるプロフェッショナル。そこから生まれるものは、「不完全」「不均衡」すらも武器になるようなパワーがあるのだと思う。



画像1


お読みいただきありがとうございました。

それではまたラジオの前で、
深夜にじさんじ頃にお会いしましょう。

いただいたサポートは、作家業の経費に充てさせていただきます。