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まるで大喜利フリップの中みたいな1年間

放送作家という仕事を始めて2年目の時、僕にとっては初めての「レギュラーの作家仕事」が舞い込んできた。“作家仕事”と書いたのは、それまではいわゆる「調べ物」、リサーチ仕事が主であり、台本を書く“構成”を初めて担当する番組だったから。

まだタイトルも決まっていない段階で、番組に誘っていただいた先輩作家と共に、打ち合わせに行きました。

きこえタマゴ!「スペースシップちきゅーん」。
NHKラジオ第1で放送されていた、20分間のラジオ番組です。

大事なのは、これが「こども番組」であり、
パーソナリティが「かもめんたる」であるということ。

「かもめんたるMCのこども番組」とは、なんともまぁ“大喜利の答え”のような、奇妙で絶妙で巧妙な、組み合わせである。

『エアガンでガンガン撃たれることも辞さない、現代社会人の“家来”が、奇声をあげて暗転するコント』で日本一に輝いた2人が、小学生がターゲットとなる番組のパーソナリティを務めるのだ。

ここまでエッジの効いた組み合わせは、お題が何にせよ、まさに『大喜利の答え』として出てきそうなシチュエーションである。

大喜利なら「ははは、そんなの、全く想像できないな」なんて、無限の余白に笑っていられるが、そうもいかない。ペンはこの手に。その余白を塗らなくては。番組スタッフとなった僕は、その”想像できない”を作らなくてはいけない。かくして、大喜利のフリップの中に迷い込んだような1年間が始まった。

そもそも、数年前までラジオのハガキ職人をやっていて「すっぴんを落としたら誰なのか分からないのだから、道ですれ違う人や、もしかしたらあなたの周りの女性でさえ、本当は全員トランプマンかもしれないんです」「射的で当てた歌丸さん、小遊三さん、マギー司郎を握りしめて持ち帰り、自宅の水槽の中で”僕だけの笑点”を完成させました」みたいな奇文をこしらえ続けていた僕にとっても、「こども番組」というのは初めての担当にしてはハードルが高い。勝手がわからないまま、先輩方やNHKのスタッフさんにおんぶに抱っこのまま、初回を迎えた。

基本的には、毎回こどもたちと電話をつなぐ構成。顔の見えない、年齢の離れた他人と会話をするというのは、たとえそれが番組じゃなかったとしても難しい。だが、そんな制約さえも逆手にとって、強みにできるメディアだと、ラジオ好きの僕は知っていた。

声のトーンを含め限りなくこどもに寄り添った目線で受け答えをするマキオ(槙尾さん)と、大人の目線から背筋を伸ばしたままで自然体で言葉をかわすウダイ(う大さん)の組み合わせが、「こどもラジオ番組」とベストと言っていいほどのマッチングを果たしていると気づくまで、時間はかかりませんでした。


番組は、地球に不時着した宇宙人2人が、こどもたちの声のパワー(=エネルギー)を貯めて宇宙へ飛び立つためにラジオ番組を行う、という設定。

月に1度の“決算日”には、貯まったパワーで飛行をテストし、「これでお別れだね」「今までありがとう!」⇒結局パワーが足りずにまた不時着、という茶番が定番となった。この辺りの「どうせ失敗するんしょ」という前提を共有した”コント”は、こども番組にしては高度なはずなのだが、リスナーたちはそれを”受け取る”ことに成功しており、それは紛れもなく「かもめんたる」のコント師としての手腕であると、実感していた。

そして番組を続けるうちに、「2人が星に帰るためにラジオ番組をする」という設定が、強烈なエモーショナルを引き起こしていることに気づき始める。「2人が地球を脱出するために協力する」ことがリスナーの目的なのだが、それは同時に2人が帰ってしまう=番組が終わってしまうことに近づいているということなのだ。小学生たちも、徐々にそれを実感していく。

大好きな彼らにとって、僕たちの地球から飛び立って去ることが幸せなのだ。僕は、どうすればいい?大切な人にとっての良いことは、私にとって悲しい。自分が小学生の時に、この番組があれば。そんな風に思った。ものすごい角度から“倫理的ジレンマ”をくすぐってくる。
とはいえ「すぐ使うからダメなんだ!2、3ヶ月貯めてからエンジンにスイッチを入れなよ!」なんて無邪気なメールも来るので、それはそれで笑ってしまうのだが。

「大切な人にとっての”良い”は、私にとって”悲しい”の…と悩む小学3年生」とは、これまた、まるで大喜利の答えのようである。


コーナーに出演するこどもと、毎週電話をした。「それは少し過激な表現だから止めましょうか」「それは商標だからNHK的に難しいので他の案いただけますか?」大人相手なら一言で済むことも、小学生相手だとそうはいかない。その子の好きなものを聞いてから話を膨らませたり、色々と遠回りをしながら、打ち合わせ。

「社会人2年目、一番大事な仕事は9歳の女の子との電話ミーティング」とは、これまた、まるで大喜利の答えのようである。


夏には、島根県から3日間の生放送も実施した。かもめんたるのお二人、スタッフ数人に付いて、初めてのロケだ。マイクを持ったり、時計を持ったり、業務としてはADさんのようなものではあったが、とても楽しかった。

実際に普段から番組を聞いてくれているこどもの家にお邪魔した。純朴な、男の子2人。誰かがこの番組を聴いている、分かりきったことだったが、実際にリスナーを目の前にするというのは、とても大きな経験だった。「本当は宇宙人だけど、今は地球人の姿に変身しているんだ」。僕のサンタさんだった父親は、「ほしいものを手紙に書きな」と言った時、どんな気持ちだったのだろう。そんなことに思いを馳せたりもした。


自分の考えたコーナーが採用されたりもした。生放送中に「AとB、どっちが好きか?」ホームページからアンケートを取るコーナーだ。

「《予知能力》と《空を飛ぶ能力》どっちがいい?」

「《冬》と《夏》、どっちがすき?」         

シンプルな2択でも、こどもたちに理由を聞くと、意外な答えが返ってくる。最初に、どちらに投票するか迷っている子に電話をつなぎ、そこに別の子が、ウダイが、マキオが、「こっちの方がいいでしょ!」アピールしあう、勧誘バトル。

こどもの”大人っぽい意見”とMC2人の”子供っぽい意見”が良いコントラスト・ハーモニーとなったコーナーで、とても好きでした。何より、長年ラジオリスナーをやっている身にとって「自分の考えたコーナー」を番組で行うというのは、胸部がはち切れんほどの興奮なのでした。そんな心の高鳴りは、できるだけ顔には出さなかったけれど。むっつり、ラジオ好き。


担当曜日の関係もあり、最終回に台本を書くことになった。

最終回は、冒頭で宇宙船の飛行に成功し、1年間おたよりや電話をくれた全国のリスナーの家の上空を回りながら放送をする、という流れになった。

「ラジオ聞きながら、空を見上げてほしいですよね」

先輩が会議で言った一言が、今でも心に残っている。

「もしかしたら、いまウチの上を飛んでいるかも」そんな風に、リスナーが窓の外を見る。夢に溢れた、幼少期のキレイな思い出の1ページにひとつ思い出を添えるような、そんな仕事ができる。作家になった時に、そんなことは想像できていなかった。


最終回の後の打ち上げ。心に留めておきたい、と思い
かもめんたるのお二人の言葉をスマホにメモした。
(ちょっと気持ち悪いですが…)

マキオさん「みなさんの準備があった、それを読めば成立する、くらいの準備。そこにどれだけ自分の声を足せるかがやりがいだった。」

ウダイさん「自分のお笑いは子供向けじゃない。そんな中で、子供の楽しさ、発想力のきっかけになるような仕事ができてよかった」


マキオさんの言葉は一人の“スタッフ”として、ウダイさんの言葉は一人の”お笑いファン”として、僕の心に染み入りました。毎週、毎日平日に20分の生放送。お二人にとって、決して楽なはずはなかったこの1年間が、少なからず良い経験として残っていることを祈ります。僕にとっては、正直、これまでやってきた番組の中で、1番楽しく、1番やりがいのある1年間でした。


「想像できない」から始まった1年間のラジオ仕事。一歩一歩、”現実味”を足していく作業の連続。でも、それが「番組作り」というものなのだと学びました。「これがこうなって、こうなるでしょうね」なんて、簡単にプロセスが見えてしまうものには、誰も惹かれません。

右往左往して、試行錯誤して、やっとのことで完成する。遥かに離れた場所にある二つのピースをつなぎ合わせた橋。遠ければ遠いほど、完成した時には美しい輝きを放ちます。

「かもめんたるMCのこども番組」

まるで大喜利フリップの中みたいな1年間。

結果的には、
それが”大喜利として成立しなくなる”くらいに、
正々堂々と、「こども番組」になりました。

こういう仕事をするために、
いまも僕は放送作家を続けています。

いただいたサポートは、作家業の経費に充てさせていただきます。