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コロナ禍で変容つつある「圏外アイドルファン」としての自己憐憫

2020年7月31日に配信された日向坂46のオンラインライブを鑑賞しました。開演が19時半でしたが、チケットを購入したのが19時22分ごろ。8分前にチケットを買って、そのまま自宅で残った仕事を片付けつつ、3時間のライブを観る。なんとも凄い時代になったものです。

自分は、アイドルのライブを(実際に足を運んで)観に行ったことがありません。理由は2つあって、「チケットの購入を諦めているから」そして「熱意が見合っていないから」です。

アイドルファンの熱量はスゴイ。文字通り燃えるような熱。作家の養成所に通っていた頃、同じクラスに乃木坂46の大ファンの人がいました。その人は休日、僕と友人を握手会に誘ってくれたんです。僕にとっては初めての握手会、彼は握手券を2枚譲ってくれました。詳しくないのですが、CD1枚につき握手券1枚?ですよね?それを2枚くれるってかなり大きいことじゃないですか。決して安くないです。「自分が夢中になっているアイドルの良さを、友達にも知ってほしい」自分が楽しむ、という枠に留まらない。好きが延焼していく。彼が乃木坂の話をする時、目の輝きがほとばしっていました。

そんな人々が、ファンクラブに入ったり、販売時間にモニターの前にかじりついたりして、チケットを買いに来るわけです。東大を受験しないのと同じですね。僕はずっとチケットを買おうとすら思っていなかったです。どうせ買えないし。


2つ目は「熱意が見合っていないから」。これも同じく、熱狂的なアイドルファンの姿と自分を重ねた時に、その”スタンスの軽さ”に気後れしてしまう、ということで。

今も好きですが、大学生の時にハマっていたのが「ももいろクローバーZ」でした。既にスターど真ん中のアイドルグループでしたが、動画共有サービス「Ustream」に、過去の道のり・ドキュメント的な映像を数多く残してくれていたので、後から丁寧にその歴史を追いかけることができたのが、ももクロにハマった大きな理由だったと思います。

でも、ライブに行ったことはありません。自分の熱量は一般的な「モノノフ(ももクロファンの愛称)」の方々に比べて、“とろ火”程度のものだと自覚していたからです。たぶん現場に行っても、サイリウムも振らないし、グッズも買わないだろうし。毎週30分の彼女たちの冠番組を観たり、曲は聴いたりするけれど、「ライブに行く」という行為には、(あくまでも僕にとっては)ひとつ大きなハードルがある。

ここで、自分が2015年にブログで書いた記事を転載します。

【圏外アイドルファン】
アイドルは「現場でお客さんからパワーをもらえる」と言う。現場が苦手な僕、大声でサイリウムを振る姿が自分にしっくりこない僕、他のファンに圧倒され気持ちが閉じてしまう僕は、ファンとして彼女たちの糧になれていない。多分、彼女たちは「そんなことないよ」と言ってくれる。
「出演したテレビや映画を見てくれてありがたいです」「ライブビューイングのお客さんもありがとう」「CD買ってくれるだけで本当に嬉しい」おそらく色々言ってくれる。全部本音だと思う。
それでもやっぱり、現場でファンから貰うエネルギーこそ彼女たちの活力になるのも事実。「ライブを大事にしてる」と口を揃えて言う。だからこれは自分の考え方の問題。「彼女たちを見ているだけでいい」且つ「彼女たちの力になりたい」と考えてしまう傲慢で遣る瀬無いファンが、現場に飛び込めないことで感じる自己嫌悪。こういう人、もしかしたら意外と多いんじゃないかな。どうだろう。
「心の唯一の支えがアイドルなんです」という、日常生活で他者とのコミュニケーションが上手くいかずに心が痩せ細ってしまっている人。「ライブを全力で楽しんでいる自分」の姿を考えるだけで少し恥ずかしく、ある種の嫌悪感すら覚えてしまう人。そういう人にこそアイドルという存在は、心の中で大きな太陽になると思う。映像を見て、曲を聴いて、救われているファンがいる。僕もそう。だが「やっぱりライブが一番ですね」と言われて、遂に気付いてしまった。というか、今までは気付かないフリをしていたのだけど。「対 観衆」の図式とはいえ、ライブでは真正面から「全力対全力」の、アイドルとファンとのコミュニケーションが行われる。「大勢の中のほんの1人」ではあれど、ファンは満足するのだ。なんたって直接、自らの声を届けられるから。そういう意味では、スクリーンの前で、テレビの前で、パソコンの前でイヤホンをし、爪を噛んでニヤついている僕は「居ても居なくても彼女たちのモチベーションにとってほとんど関係のないファン」である。「そんなことないよ」という声が聞こえてきた。アイドルというより、泣きそうな自分の声だ。でも、そんなことなくはない。「意味のないファン」とは言ってないから。CDを買うことでお金を落としているし、テレビの視聴率には影響する。僕はやってないけど、ブログでコメントを送ればその声は彼女たちのパワーになるだろう。いろんなルートでファンの気持ちはアイドルたちの利益・喜びに還元される。ただ、ただそれでもライブに行けない僕は、「彼女たちにとって最も重要で、最も力を入れている仕事に参加出来ない」のであり、それが辛い。彼女たちにとって最も糧となるのが「ライブ参加」という感謝の伝え方であり、それが出来ない。先ほどチラッと言ったが「傲慢」ではある。「力を貰ってるから、僕もパワーを届けたい」「ファンとしてアイドルに影響を与えるような存在でありたい」という無意識の傲慢。そこに気付くことで、更に自己嫌悪が進んで行く。泥沼。
この文章にオチがないように、ずっとずっと死ぬまで僕は自分の意味について考え続け、多くの嫌いな自分と出会い、ナルシズムとネガティブが渦巻く粘着質な黒い液体の中に沈んで、窒息する。こんな暗いファンたまったもんじゃない。そんな現状から目を逸らす為に、今日もアイドルの曲を聴く。アイドルとマイナス思考の永久機関。でも、無理して1度でもライブに行ってしまえば、彼女たちはこんなシステムぶち壊してくれるのでしょうけどね。

5年前、暗いなぁ!!なんだ貴様!!


確か、それこそUstreamでももクロのライブを配信していたのを見た後に書いた文章だったと思います。現場に行かない/行けない自分は、アイドルから見えないところにいる「圏外アイドルファン」としてのアイデンティティ、その傲慢さに苦しんでいました。

しかし今、コロナの影響もあって、多くのアーティストが無観客での配信ライブを実施しています。モニターを通した“参戦”が一律に公式なものとなったこの形式に、とてつもない居心地の良さを感じている。

アーカイブの有無など差異はありますが、自分の家からひっそりと、遠くから「生」を共有する感覚は、ラジオ好きの自分にとってしっくりくるのかもしれません。

何より、座席の上限がないオンラインライブ、「チケットの購入」そして「見合っていない熱量」という自分にとってネックだった部分が共にクリアになっています。

一瞬だけ話は変わりますが、JALが最近展開しているのが、自宅にいながら飛行機に乗って観光を疑似体験できる「リモートトリップ」という企画です。

現地の旅行会社のスタッフの案内で、神社や港と中継を結んだり、島民の方の話を聞いたり、貝の採取シーンを見せたり、カヤックから中継したり…。外出を自粛しなければいけない今こそ、求められているサービスです。

また、身体の自由が利かない人が、遠地の景色を共有しつつリアクションも伝えることができる「分身ロボット」なども、何年も前から注目されています。

こうした「リモート」「オンライン」によって様々なサービスを受けることを可能にする取り組みは、このコロナ禍をきっかけに、一時的なものではなく、継続的に展開されていってほしい。

現場でしか感じられない熱がある。もちろん分かっています。ですが、「モニターを隔てて身を投じる」そこには利便性・需要も確かに存在するのです。

自己憐憫に沈んでいた、浅い「圏外アイドルファン」の自分でも「ライブ」を楽しむことが出来る窓口が、新しいスタンダードとして定着するかもしれない。配信という形式をとっただけで、日向坂46の3時間ものライブを、後ろめたさや劣等感を一瞬も感じることなく楽しめたことに驚きました。良い意味で客観視を消し去ってくれるオンラインライブが、今後も様々なコンテンツで取り入れられることを密かに願っている今日この頃です。



余談
と、言いながら、結局今でもほとんどのアーティストが口をそろえて言う「いつかまた皆さんに直接声を届けたい」という言葉に、少し心を痛める自分もいて。相変わらず面倒くさいですね。「とっとと現場に行け!」で済む話なのかもしれませんが、こんなところで苦悩してしまうのが、圏外アイドルファンたるゆえんなのでした。

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