レジ店員とアイドルが共有するやりがいと切なさ

スーパーのレジの仕事はアイドル業である。

と私は考える。というのも、仕事で相手にするのがお客様でありオーディエンスであるためだ。

これからそのわけを噛み砕いて説明するとともに、最近取り沙汰される仕事のやりがいについて新しい考え方を提示したい。

1 . アイドルとの共通点

スーパーのレジの仕事の大部分は何であろうか。実は笑顔で対応することなのだ。
レジ店員が担当していると多くの人が考えていると思われる、商品をスキャンする作業や、お代の領収は瑣末なことで、本当の仕事は笑顔での対応なのだ。

なぜそのことに気がついたのかを述べるのは難しいが、覚えているきっかけを述べたい。

まずチーフが全員素敵な笑顔でお客様に対応し、それによって即座に対応が済んでしまう様をみていたこと。

自分がいくら早くスキャンしてお釣りを渡しても、お客様の笑顔は見られなかったこと。瑣末なことで不機嫌にさせてしまったこと。

逆に自分が最大限の笑顔で接すれば、今までより早くなっていなくとも、お客様の笑顔を見たり、満足度が上がることを肌で感じられたこと。

つまり、笑顔でいることは接客の全ての難関を解決できるのだ。

ちなみに笑顔も気をつけていたがスキャンの秒数も磨きすぎてしまい、伝説のレジ店員となってしまった。その弊害としてはお客様が他のレーンより多く並ぶことだが、捌くのも早いため問題にはならなかった。

アイドルもそうだと思う。少なくとも見つめていると思う。一生懸命取り組んだ上で、何があっても笑顔で接することができるか、それだけの男気があるか、それが試される職業だと感じる。

2 . アイドルと共有するもの

アイドルと共有しているのは前述のような仕事内容の認識の世間とのズレにある。
どの部分で苦労しているか、そもそも苦労しているとわかってもらえているのか。
それが私たちの共有する切なさである。

また、たくさんのオーディエンスを相手とするため基本的にはステージに上がったならば、一瞬たりとも気は抜けない。いつだって笑顔で対応するのが仕事だからだ。

また、どの一瞬も自分にとってはたくさんの一瞬であるけれども、それぞれのお客様にとっては大切なただ一回の一瞬かもしれないというのも共有している部分だと感じる。そのもしかしたらの一回のために一瞬一瞬に全力でいなければならないのだ。

一方で、その一瞬で報われることもある。大きな笑顔をもらったり、感謝の言葉をもらったり、そういう少しのことが大きな報いとなる。そういった当たり前のこともこの仕事をして教えてもらったことの一つである。

自分が一瞬で元気になれるなら、逆に自分も一瞬で誰かを元気づけられるかもしれない、それがやりがいであり切なさでもある。その矛盾を乗り越えられるかを試されるのがレジ店員とアイドルなのだ。

3 . あたらしい仕事のやりがい

では、やりがいとはどうあるべきだろうか。最近聞くのは給料は少ないがやりがいはあるというもの。やりがいを価値として企業が提示するようになっているように感じる。

しかし、本当のやりがいというものは、自分の中で難しいと感じるもの、チャレンジすることの結果得られるものである。したがってやりがいを価値として推し出すのは間違っている。

むしろチャレンジする場が多くある、もし失敗してもフォローする体制が整っている、そのことをアピールするべきである。そのような場でしか人は成長できないし、やりがいを感じることもできないはずだからだ。

そう考えると給料の件も考え直す必要があると分かってくる。やりがいがあればあるほど給料は上がっていくべきなのだ。

しかし一方で仕事であることも雇用される側は忘れてはならない。その給与でその仕事を全うすると約束しているのだから、どんなに給料が安くても環境が悪くても自分の中でやりがい、つまりチャレンジする点を見つけ続けなければならない。

それが雇用者と被雇用者の矛盾を孕んだ関係性である。やりがいというのは被雇用者が内在させるものであって、雇用者が提示するものではないのである。
なぜならば、仕事内容は同じでも各人によって挑戦すべき点は異なるからである。

それはその人の能力とも直結していく。得意なことは伸ばし、不得意なことはカバーできる方法を編み出していくということだ。その鍛錬を積んだ先に見えるのがあたらしい仕事のやりがいであり、あたらしい課題点なのだ。

以上、アイドルになりたければまず伝説のレジ店員になろう、というお話でした。


文責  綿来すずめ

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