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”失うときは一瞬だから”ライフスタイルを見直し、たどり着いた館山|LAC館山コミュニティマネージャー・北村亘さんインタビュー

2021年11月、LivingAnywhere Commonsに新しく「LivingAnywhere Commons館山」(以下、LAC館山)が加わりました。

館山市は千葉県房総半島に位置し、東京駅から車で80分、高速バスに飛び乗れば約2時間で訪れることができる、海と里山に囲まれた自然豊かな街です。

今回は、LAC館山のコミュニティーマネージャーであり、館山市地域おこし協力隊でもある北村さんにお話を伺いました。

広告代理店営業から地域おこし協力隊へ

ーー本日はよろしくお願いします。まずは現在のお仕事について教えていただけますか。

現在の仕事の柱は地域おこし協力隊(※)で、他には貸別荘業もやっています。
地域おこし協力隊の活動は、6割がLACのコミュニティーマネージャーとしての活動、4割が館山市全体に関わることです。

(※)「地域おこし協力隊」は総務省が2009年からスタートし、地域ブランドや地場産品の開発・販売・PR等の地域おこしの支援や、農林水産業への従事、住民の生活支援などの「地域協力活動」を行いながら、その地域への定住・定着を図る取組。
北村さんは2021年8月に館山市の地域おこし協力隊としてワーケーション推進業務に配置された。

画像1▲地域おこし協力隊の委嘱式の様子(中央が北村さん)

ーー前職は広告代理店の営業をされていたそうですね。前職の経験で今に活かせていることはありますか?

前職で鍛えられたのは、課題に対してどうアプローチしていくかの「直観力」と、どのようにして解決に導くのかの「先導力」です。それは今の仕事にも活かされていると感じています。

プロジェクトを進める時には、多様なアイデアを出したうえで、時には柔軟に方向性を変えてゴールに持っていくようにしています。

生き方の転換点となったボランティア活動

2011年3月11日に起きた東日本大震災では、大津波や火災などにより12都道府県で18,000人以上の死者・行方不明者が発生しました。
災害時に参加したボランティア活動が、北村さんの生き方の転換点となったそうです。その時のお話をうかがいました。

ーー東日本大震災の時にはボランティア活動に参加されたそうですね。どのような活動をされたのですか。

震災当時、僕は江戸川区に住んでいましたが、隣町の浦安で液状化現象が起きたと聞き、自転車で向かいました。たまった砂をバケツにかき集めて別の場所へ運ぶ作業に参加しました。

被害の大きかった東北の陸前高田や気仙沼に訪れたのはゴールデンウィークです。
がれきの撤去や泥かき、土砂の撤去をしながら遺留品を探したり……1週間で色々な活動をしました。

僕が訪れたときは震災から2ヶ月が経っていましたが、7、8割の場所が手つかずという印象でしたね。ボランティア仲間とも繋がりができたので、声をかけあって1ヶ月に一度は現地に通いました。

ーーそれまでもボランティアはされていたのですか。

ボランティア活動に参加したのは震災の時が初めてです。それまでは「柄じゃない」と思ってしまっていたんですよね。

でも自分がサーフィンをやっていることもあって、津波など海で起きたできごとが恐ろしいと感じました。
被害の大きさをみて、今回は何かやらなきゃいけないなと思っていたときに、ちょうど浦安でボランティアの募集があったので参加しました。

参加してみて驚いたことは、予想以上に沢山の人や様々な年代の人が活動をしていたことです。偽善ではなく、助け合うことや、参加することが必要だと感じました。

画像2▲ボランティア活動の様子

ーー震災をきっかけに価値観やライフスタイルが変わったそうですね。

そうですね。震災ボランティアがワークライフバランスを考えるきっかけになったと思います。

というのも、沢山の被災地の現場を見たり、被災された方々の話を聞いて、いい家や車や服を持っていても、失われるときは一瞬なんだなと思ったんです。

それ以来、できるだけコンパクトに、シンプルに生きたいと思うようになりました。

週末2拠点生活を経て、移住へ

ーー2015年から、東京と館山の週末2拠点生活を開始されたそうですね。なぜそういうライフスタイルを選ばれたのですか。

もともとは定年を迎えてから移住しようと思っていたんです。

でも僕のやりたかったことは、サーフィン・田んぼ活動・家庭菜園そして地域のコミュニティに加わり活動することだったので、体が元気じゃないと楽しめない。

じゃあ体が元気なうちにやればいいじゃんということで、まずは週末2拠点生活を始めました。

ーーなぜ館山を選ばれたのですか?

館山は東京から毎週通えるくらいの距離にあって、海がめちゃくちゃキレイ。さらに、里山を利用したアクティビティもできそうだなと思ったんです。

それまでも週末には必ず、サーフィンやキャンプのために千葉や茨城の海岸に通っていましたが、最終的にはアクセス・海・山の全てが揃っている館山を選びました。

ーー今年の6月に会社を退職し、館山に移住されたとうかがいましたが、退職の決断は重かったのではないでしょうか。

重かったですね。

でも、震災をきっかけに自分の価値観が変わり、さらにコロナの流行で「自分の価値観」と「仕事でやっていること」のズレを感じるようになりました。

次第に仕事に気持ちがのらなくなり、苦しくなってしまったので、「今がいいタイミング」ととらえて退職を決意しました。

「館山市」=「多様なワーケーションができる場所」をめざして

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ーーあらためて館山の魅力はどんなところですか?

やはり都心からのアクセスの良さは魅力です。

そして、エリア内で朝日と夕日が見渡せるところも気に入っています。僕は大晦日に館山側で夕日を見て、太平洋側に朝日を見にいくんですよ。

さらに、農業や水産業も盛んなので、本当に恵まれた街だと思います。
実際に価値が見直されていて、移住してくる人も多いんですよ。

ーー地域おこし協力隊の活動について聞かせてください。

まだ活動は始まったばかりですが、館山市が多様なワーケーションができる場所として注目されるように、様々な体験やイベントを企画していきたいです。

働き方のバリエーションを増やすお手伝いや、ワークライフバランスを推進する仕事も自分の価値観に合っていると感じます。

画像4▲地域おこし協力隊として様々なPR活動を行う北村さん(写真左)
※房日新聞様より許可をいただき転載しています。

ーー今考えているイベントの構想があれば教えてください。

地域が抱えている課題を知ってもらえるようなイベントを企画したいですね。

例えば「ジビエバーベキュー」。

最近、イノシシが里山を荒らすことが問題となっているのですが、なぜ里山が荒らされるのかというと、耕作放棄地が増え、イノシシのテリトリーが里山に下りてきているからなんですよね。
通常は、駆除されたイノシシは解体して山に埋められますが、その肉をみんなで食べることで、耕作放棄地の問題を知ってもらうきっかけになればと思っています。

すでにそういうことをテーマに活動している仲間もいるので、一緒になって普及させていきたいです。

画像5▲北村さんはバーベキュー協会にも参加されているそうです。

ーー地元の方との触れ合いはどんなかたちで実現していく予定でしょうか。

移住組と館山のライトファンの方とは波長が合いそうですし、共通の課題意識があれば協業の機会もあると感じています。

生粋の地元の人とは、農業や漁業のボランティアを通じて接点を増やし、課題を共有する場を作りたいですね。

画像6▲農業体験の様子

ーー今後のビジョンについて聞かせていただけますか。

まずは自然に触れる体験をしてもらい、「楽しかったから今度は家族でいこうよ」と、何度も足を運んでもらえるようにしたいです。そのためには、家族で参加できるイベントも企画したいですね。

あと、僕の住んでいるところは館山最南端の海岸の近くで、ウミガメが産卵しにくるんです。そういうのを見ると、ゆくゆくは自然環境を守るための取り組みもしていきたいですね。

インタビューを終えて

取材をお願いした時はもう肌寒い季節でしたが、「まだまだ海に入りますよ~」と少年のような笑顔を見せてくださり、本当に海が好きなんだなと感じました。

海・里山があり、豊富な食材が揃う館山。
そこに自然を愛し、地域に貢献したいというエネルギーを持つ北村さんとLACが加わることで、さらに魅力ある街になりそうな予感がしました。


《聞き手:透谷 凛
《文:上嶋 かなえ

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