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表現したいことの話

表現したいことがない。

「自分がこの世に存在していていいかわからないが
書いている時だけは確かに存在している」
という話をどこかで読んだ。
その「自分が存在していていいかわからない」
という悩みは、そこそこ大人になった人でもちょくちょく言っているのを見かける。
と書いている自分も20代の半ばごろはそんな悩みがあった。

自分自身に何かが欠けているような感覚がある方が
創作活動は捗るのかもしれない。
そんな感覚もすっかり忘れた。
歌が歌えない自分なぞ価値がないと思ったこともあったが
もはや歌なんて歌わなくても毎日幸せだ。
そう、私は満ちているのだ。
表現活動に勤しまなくても自分はここにいて充分幸せなのだ。

表現に対する特有の渇望感、表現したいことが尽きることなく湧いて出てくる人が羨ましいと思うことはある。
暇がなくなるし、人とつながることができる。
活動していると自然と人とつながれるのは魅力的だ。
一方で「自分が存在してていいかわからない」なんてなかなかアンバランス、と言うか間違うと心を病んでしまいそうな状態がいいとはあまり思えない。
芸術家は心のバランスを取るのが難しいのだろう。
かく言う自分も舞台をやっていた時は現実に戻ってくるのが大変だったし、
いつか見たモーツァルトやベートーヴェンを描いたミュージカルでも主人公は苦悩していた。
心の平穏と引き換えに人から称賛される作品を生み出すか、誰にも気付かれずそっと幸せに暮らすか。
いや、ほとんどの表現者は陽の目を見ない。

なんてことを考えなくとも、表現したいことが湧いて出てきて、表現しなくてはやってられないのが表現者なのだろう。
その時点で私は完全に脱落している。
それが不幸なわけでもないけれど。

ただ、こうして書いていること自体が表現活動なのだろうとは思う。

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