才能だけじゃ輝けない 本当に大切なもの
伊藤若冲といえば、江戸の芸術黄金時代。日本史では化政文化、日本美術史では江戸中期と言われる時代の、京都の絵師。
今回第120回でこの鶏ばっか描いている若冲についてお話しさせていただきました。
Podcastアフタートーク
番組としては、どうしても西洋史を取り上げた回の方が多いため、(記録に豊富に残ってるのはどうしても西洋なので)久々に日本美術史をやった印象でした。この若冲を取り上げたことで改めて、美術史全体を見直すきっかけになったと思います。
歴史×美術史は最強
私は高校から美術科だったので、授業の半分はデッサンやデザインの授業、美術史の授業でした。そのため最低限の教科単位しかとっておらず、学生時代は日本史をとっていませんでした。
そこで大人になって改めて日本史を見直したわけですが、この江戸時代は凄く見やすい。
何せ歴史目線だと(私個人の感想ですが)戦争戦略ばっかりで「誰がどうやって勝ったか」「なんちゃら法って法律を偉い人が作った」みたいな感じで、凄く男性的だなあと思っていました。
もちろん私の日本史の知識というのは、たかだか中学の授業レベルだったわけですが、叙情的な余裕が無く、平和な時代はすっ飛ばして大変だった時代ばかりフォーカスされてる感覚がありました。
それが嫌だった、でも歴史を見なくちゃいけなくなった時に、どうやって私の嫌いな歴史を好きになれるか。それを考えた結果が「世界史×美術史」「日本史×日本美術史」だったわけです。
歴史上、平和で穏やかな時代が全くなかったわけではない。ただ、歴史の授業では取り上げられない。そうゆう時代は美術史が面白い。
そう解釈したときに、私は一気に歴史が好きになりました。
日本史から見たアート
美術史から言うと「江戸初期」「中期」「後期」と区分し、日本史的には「元禄文化」「化政文化」と区別する。
この差異はどこから来るのでしょうか。日本人絵師を取り上げるのは今回で5人目(北斎、宗達、光琳、古邨、若冲)なので少し日本史を整理した、という流れでした。
日本美術で言う「江戸初期」と言った方が、ゆったりを時代を取ってる感じがして、「元禄文化」と言うと凄く狭い感じがします。
尾形光琳や俳句だと松尾芭蕉、浄瑠璃や歌舞伎の作者である近松門左衛門。
この区分(元禄文化)の所以としては以下2点を抑えていきましょう。
まず最初に、江戸時代突入の際に、政治は現在の東京に行き、しかし文化は上方(京都など)に残っているとの見方。これは江戸の後半になっていけばだんだんこの理屈は崩れていく(江戸でも成熟するだろうとの見方)もあるのかもしれない。
そしてもう一つは、5代目綱吉の時代だという見方。
徳川将軍は初代から3代目まではしばらく武家っぽい政治が続くわけですが、だんだん変化していきます。特に綱吉(犬将軍)は、なかなかのマザコンだったようで、カリスマ的に先導するタイプではなかった様子。お母さんの仏教思想の影響を受け「生類憐れみの令」を発令(6代目になると速攻取りやめになったらしい)ついでに5代目の後はお金使い過ぎてやばくなってたらしく、色々としないことを整理したのだとか。
と言う、凄くゆるゆるの時代だったので、文化が花開いたのではとの時代。確かにどれだけ優秀な絵師が居ても、環境が整っていないところでは評価されないわけで。
この後の若冲の時代(化政文化)もそうですが、歴史に残るような人物って時代的に集中してるんですよね。
本編でも話しましたが、この時代は田沼意次が出てくる時代です。だいぶ規制がゆるいとき。「役人の子はにぎにぎをよく覚え」とのように、賄賂が流行った時代で、グレーというかアウトなことも多かったですが、そういう金銭的に余裕が出て来ると、文化の発展にも一役買うわけですね。
才能と環境どちらが大切?
さて、若冲に限った話ではないのですが、今回改めて考えさせられたのは「才能と環境」について。
確かに後世の私たちも知ってるような画家(絵師)というのは、おおよそ時代と場所がまとまっています。
ルネサンスのイタリア。バロック期のオランダ。江戸の北斎…。
彼らの才能を疑うまでもありませんが、では果たして同じ時代違う土地には彼らのように優れた画家はいなかったのだろうか。
現在、これほどネットワーク環境が充実してる中、またコロナによりさらにオンラインとオフラインとの差が急速に縮まる中、この「環境を整える」という点に関しそれほどコストをかけずとも出来てしまう中、改めて環境の大切さを痛感しています。
少しの労力で最高の環境が手に入るならやらないてはない。
メールありがとうございました^^
本編でご紹介できなかったものにお返事しています。
中国美術は、中国人もよくわかってない部分も多いんですよね。西洋と違い紙ベースなので保存が難しいのと、メールにもあるように定期的に燃やしたり壊したりしてるので。
この時代は南宋・北宋です。
唐からの五代十国の変容の話は少ししたことがありましたが、また中国でまとめてみるのもイイかもしれませんね。
基本、五代十国は乱世なので、その後の南宋・北宋(メールにある「中国かっけー」はこの南宋で描かれた南宋画のことを指しています)ではその息遣いが続いています。豪華絢爛の唐の逆張り。それが南宋。水墨画万歳、のとき。ちなみにこの後チンギスハンが来るのでぶっ潰されます笑
すいません、単品枠は少しお待ちいただけると反映されますので。お手数おかけします。わざわざメールありがとうございました。
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