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【アートのミカタ】ムンク Edvard Munch

【人物】鬱から生まれる大作


小さい頃は「ムンクの叫び」が作品名なのかと思っていました 笑
その抑圧された苦痛や不安を表現するムンクの作品の数々は、「表現主義」と呼ばれる一つの派閥を作るきっかけにもなったそうです。

しかし最初は「未完成」「薄汚れた絵」など酷評も浴びたようです。
元々精神病を患っていたムンクはどんどん鬱のドツボにはまったようですが、芸術にかける思いは精神病と相反するように大きくなっていったようです。
ムンクがどのような想いで「叫び」などの作品を仕上げたか、書いていこうと思います。

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なぜ美的センスを磨くのか。科学の発展に伴い、心を作る芸術的思考もより広く知ってもらいたい。
このブログは、歴史上の偉大な画家たちをテーマに、少しでも多くの人にアート思考を築くきっかけにならないかと書いています。
まずはそれぞれの画家の特徴を左脳で理解し「頭ではわかった」状態にさせることがこのブログの目標です。もしあなたが美術鑑賞に苦手意識があるのなら、まずは理解することから始めてみませんか。その後展示等でその画家に改めて触れた時、あなたの美的感覚が研ぎ澄まされるように。その下準備として御活用下さい。あなたの味方となり、見方を変える彼らの創造性を共有します。
目次
【人物】鬱から生まれる大作
【背景】次々起こる家族の死
【核心】生命のフリーズ

【背景】次々起こる家族の死

19世紀-20世紀ノルウェー出身。
このブログでも多く取り上げている年代ですが、それまで貴族階級や宗教普及を主目的として絵画が、新たな側面を見せた時代といえるでしょう。世紀末芸術と呼ばれるほど、1890年代とは多くの国にとっても変革の時代だったと言えます。

ノルウェーと言えば「世界一幸せな国」と称されるほど精神的に豊かな国の印象があります。
幸せいっぱいの国にムンクとのコントラストが強すぎるのでは?と始めは感じました。
しかし当時は同君連合からの独立がようやく叶う頃でしたので、ムンクの悲痛な想いを表現した作品に、少なからず共感を得たのかもしれません。

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エドヴァンド・ムンク「病気の子ども」(1885-1886)

国の影響があったか否か。
歴史を漁ると、彼があの「叫び」を発表するに至った経緯は幼少時代まで遡ると言います。

医者の息子として生まれたムンク。
しかし5歳で母を結核で失い、13歳で姉と死別します。(その後も父を亡くし、妹を亡くし、妻を亡くし…)
幼いながらも死を身近に感じ、その恐怖に怯えていたそうです。

その後、機械技術を学ぶため工科大学に入学しますが病気がちで中退。独学で絵を学ぶこととなります。

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エドヴァンス・ムンク「画家カール・ジェンセン・ヘルの肖像」(1895年)

その後もキャリアを築くため奮闘しますが、彼が根底に抱え精神まで食い尽くしていた「死への恐怖」「苦痛」が、芸術の世界で花開くこととなります。


【核心】生命のフリーズ

「印象派は表面的な化学実験のようなものだ」と解釈したムンクは、独自に内面的なエネルギーを表現する作品を提案することとなります。

それが後の「生命のフリーズ」シリーズです。

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エドヴァンス・ムンク「絶望」

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エドヴァンス・ムンク「マドンナ」(1893-94)

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エドヴァンス・ムンク「不安」(1894)

精神病を芸術の力としたムンクは、
表層だけの美しい絵画ではないと主張するかのように展開していきました。
内側に問いかけモチーフを探し、「生命」「不安」「絶望」といった秘めておきたい感情を描いていきます。

人の心が動くほど、絵画は価値を増すと私は思っています。
ムンクの「生命のフリーズ」は、まさに心をえぐられるような恐ろしさが浮き上がるからこそ、歴史を超えて私たちが目にできるほど価値をつけてきたのでしょう。

晩年はガラリと印象も変わってきますが、ここでは全盛期「生命のフリーズ」に焦点を当ててきました。現在開催されている展覧会情報も下記にありますので、その後が知りたい方は是非。


ここまで読んでくださってありがとうございます。
まだまだ書ききれないことが沢山ありますが、今回はここで終わります。画家一人一人に焦点を当てると様々なことが見えてきます。環境や時代の中で見つけた生き方や姿勢を、命をかけて提示してくれているんです。現代の私たちにヒントを与えてくれる画家も多くいます。それをぜひ、少しでも多くの人に知ってもらいたいです。

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らち
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