見出し画像

【アートのみかた】葛飾北斎 Hokusai

【人物像】日本美術の結晶

通称 赤富士で愛される「凱風快晴(がいふうかいせい)」や、海外でBig Waveとして愛される「神奈川沖浪裏(かながわおきなみうら)」。そして36とか言いながら実は46枚ある「富嶽三十六景(ふがくさんじゅうろっけい)」など。世界に愛される北斎を形容する代表作は数多く知られています。

グローバル企業の幹部クラス*が「自分のルーツの国の美術の話ができないなんて恥ずかしい*」といいながら専攻外の美術史を学ぶのであれば、「日本人は北斎や利休の話ができないと恥ずかい」という論法になるかもしれません。

これほど有名な画家のため、多くの方が北斎について議論を交わしています。
ここでは北斎の浮世絵を「浮世絵が辿った背景」と「北斎独自の感性」の二方向から考察することにしましょう。

画像1

(神奈川沖浪裏。富士と波で静と動を表現した作品。またこれほど平面的でグラフィカルな作品でも遠近が簡潔に表現されている。ゴッホが弟テルに当てた手紙で絶賛したり、作曲家ドビュッシー(月の光など)が影響を受け、交響曲「海」を作画したとも言われる。)

なぜグローバル企業のトップは美的センスを磨くのか。どうやら世界では、サイエンス重視の意思決定では不十分だと感じ美意識を鍛える人達がいるそうです。このブログは、歴史上の偉大な画家たちをテーマに、少しでも多くの人にアート思考を築くきっかけにならないかと書いています。
まずはそれぞれの画家の特徴を左脳で理解し「頭ではわかった」状態にさせることがこのブログの目標です。あなたがその後、展示等でその画家に改めて触れた時、あなたの美的感覚が研ぎ澄まされるように。その下準備として御活用下さい。あなたの味方となり、見方を変える彼らの創造性を共有します。
目次
【人物像】日本美術の結晶
【時代】美術が高貴な嗜みではなく、一般大衆にも浸透している国
【核心】コンセプチュアルな作品たち


画像2

(凱風快晴。凱風とは南風、初夏の早朝を描いた富士の絵です。引き算とデフォルメの絵画は、日本を代表とする作品と言えるでしょう。)

【時代】美術が高貴な嗜みではなく、一般大衆にも浸透している国

浮世絵は天文末期(1550年頃)から明治(1900年頃)まで続いたとされるようです。浮世の字の如く、当時の現代文化を描いた風俗画として登場しました。
初期は肉筆(筆で書く一点物)でしたが、木版画は大量に量産が可能なことから、一般大衆に向けて描かれたようです。そのため1700年-1800年の西洋で、貿易の際に陶器のクッション材としてクシャクシャに丸められた浮世絵を見て、その美しさに大騒ぎになるまでは、おそらくそこまで価値を感じるものではなかったのかもしれません。浮世絵がその後の印象派登場に大きく影響すると、どれ程の日本人が感じていたでしょうか。

私が思うに、元々美的センスの魂が日本人には幹として存在するのではないかとさえ思うんです。

小さな島国で、他国と比べ圧倒的に戦争に触れていなく、貧しくも感性を澄み渡らせる環境にあるように思います。日本の家紋はデザインの賜物で、今でこそ世界の企業が美しくデフォルメされたロゴマークを掲げていますが、それも現代になってからです。江戸の日本髷を見ても、庶民がこんなにも丁寧に髪を結う文化は他にあったでしょうか。

こんなに熱く語っていると、なんだか痒くなってくるのでこの辺りにしておきますが…笑
とにかく日本の歴史を辿ってみると、他国とは全く異なる感性の磨き方をしていたのではないかと思います。少なくとも昔は、美術というのは貴族層が嗜む高価なものではなく、庶民も嗜み、浸透しすぎて当たり前にすらなっているものだったのではないでしょうか。

【核心】コンセプチュアルな作品たち

そのような国で育ち育んだ北斎の感性は、他の浮世絵師とは違った味のある・コンセプチュアルな作品と言えるのではないでしょうか。

画像3

(江戸日本橋、葛飾北斎)

画像4

(日本橋 朝之景、歌川広重)

例えば日本橋を2人浮世絵師が描いたものです。上が北斎、下はまた浮世絵師で名の高い歌川広重の作品です。
広重は中央に橋を置いて丁寧に日常風景を描いているのに対し、北斎は手前でわらわらと人がごった返すばかりで殆ど橋が見えません。
これは北斎が、単なる橋の紹介に終わる絵ではなく、そこを渡る人々の目線を描いたようにも感じられます。まるで渡る途中の映像を切り取ったような視点からは、溢れんばかりの人が群がり、忙しなく渡る様子が伺えます。後ろには立派な城や素晴らしい情景が広がっているにも関わらず、それが当然であるように過ごしているようです。
現代の私からすると、広重の作品も好きですが、広重を見た後(当時の日本橋が想像できる準備ができてから)北斎の日本橋を見ると、また違った面白さを感じます。

画像5

(東海道金谷ノ不二)

最後に私の当時の地元を描いた作品を紹介します。大井川を渡る人々と茶畑、丸みを帯びてピンボケを思わせる富士山を描いています。
大荒れで難所とされた大井川を描いた浮世絵が幾つか残っているそうですが、北斎の大井川が一番人々の息遣いが聞こえてくる作品ではないかと思っています。
海のように荒々しい河川を、人が肩車などしながら渡った様は、人間が自然の摂理には及ばないのだと感じさせる一点です。それでもたくましく生活する人が、自分のルーツなのかもしれないと思うと、感慨深いものがあります。

いつもたくさんのご支援・ご声援、ありがとうございます。