大学のアップデート時代
さてさて、【アートのミカタ】を駆け抜けて投稿していきましたnoteですが、今はひとまずお休み(お引越し)をし、音声コンテンツとしてお届けするスタイルに変更いたしました。
2017年にしていたこと、
2018年にしていたこと、
2019年にしていたこと。
目まぐるしく自分の取組みスタイルを変えていった私ですが、今年もよろしくお願いします。
既得権益への疑問が浮きぼりになる時代
先日、こんな引用RTを飛ばしてみました。
私が受験生だった頃から「東京芸大(芸大)いっても、大半は露頭に迷っているイメージ」というものを高校時代に思っていました。まあ、あくまでそれも外から見たイメージでしたが。
結局私は多摩美へ行き、芸大にたいしては今でも外からの印象でしかありません。
創立時の秘密
1879年設立。その後日本人向けに3学科(日本画、木彫、工芸)に発展し現在の礎を築くのが1887年。
その創設時には、美術指導家である岡倉覚三らが欧米視察へ行き手本としたそうです。(学校webサイトにて)
(「欧米」ってなんだろう…と突っ込みたくなるけれども)
話はそれるが、19世紀初頭のアメリカといえば、18世紀半ばにようやくあめりか独立戦争が勃発し、「アメリカ」という国が出来たばかり。まだまだ現在のような大陸ではなくて植民地のままである未解決地が多い中、19世紀に入っても南北戦争などで大忙し。世界史での華々しい初登場は20世紀の第一次世界大戦の後半。
さて、話をヨーロッパに変えます。
1867年のパリ万博、ここには特に日本の幕府らも参加し、また留学をした(明治維新という名の洗脳/ビジネス社/苫米地英人)そうです。同じくパリを視察しそこで目の当たりにした芸術表現を「最新の知見」と輸入したということになります。
19世紀のフランスといえば、西洋美術史的にどの位置に属するでしょうか。
西洋では15世紀のルネサンス期において、(日本美術史の系譜には存在しない)芸術家という道筋を築きました。これはそれまでの職人という立ち位置を覆し、より格の高い職であるというポジションを獲得した、美術史においては革命的なタイミングです。
しかし時代がすぎれば、それも昔話。18世紀頃より、それまでの古典的(ルネサンス時代の画風・ルールなど)に疑問を抱くようになり、様々な派閥の画風や思想が登場しました。
そして最もインパクトの大きかった印象派。フランスで誕生した新たな派閥です。
現在の芸大を設立するための礎として視察した19世紀前半のフランスとは、後期印象派の時代です。つまりかなり革命的な思考転換が行われた後の時代となります。
西洋と日本のやり方をヘンテコに混ぜて出来上がり
そこまでなら何も問題ありません。
問題なのは、自分たちがもともと持っていた美術の歴史(日本美術においての、美意識の作り方やセオリー)と、うまいこと複合していったことにあるのではないかと考えています。
因みに「美術」という言葉もその頃誕生しました。
元々持っていた美に対する思考と、後期印象派の「考えるな感じろ」精神とが、訳もわからず複合し、現在の美術教育の基盤が出来上がっているのです。
よい掛け算で終われば良かったのですが。
転換のとき。大学のミカタをアップデート
さて、そんなこんなが続き、140年間マイナーチェンジのみを繰り返した美術大学。そこに見える疑問や隙。
そうゆうところに、今を生きる私たちがすけいる居場所があり、新たなステップアップが見つかるのではないでしょうか。
私自身、この時代にはとてもワクワクしています。
まだまだ小さな一歩でしかないけれど。現代は正に、何が出来るかの時代ではなくなっている。「何が出来るか」ではなく「何をしたか」行動量がモノを言う。
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