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いつだって星の光のとおさに僕たちは慄いている

最近とにかく物を手放したくて、その日は服をたくさん手放そうと思った。ダイソーで買える一番大きなサイズの、IKEAみたいな袋に、パンパンに服と靴を詰め込んで、下北沢に持って行った。わたしはどうしたって“捨てる”ってことが難しい。あんなにたくさん思い出の詰まった服が、たったの数千円にしかならなかったけど、物を手放すってそういうことだよね。知らない誰かが着たり、私の知らないところでうまく処分したりしてもらえますように。
一年以内に着ていない服はもちろん、好きなブランドのものだとしても、なんとなく自分の今のテンションに合わない服は全部手放すことにした。いつか着るかも、でとっておいたらキリがない。なんだってそう、いらないものは全部一回手放したいって気分。じゃないとどれが本当に必要なものがわからないでしょ?本当に必要なものは何度だって出会い直せる。

最近あまりにも自分のダメなところに気がつくような出来事が多く、わたしはどうしたって自分のことを大切にできない。
自分のことを大切にできない人は他人のことなんて大切にできるわけがないのに、いろんなことを置き去りにして、大切にしたり、大切にされたいとばかり思ってしまう。

大好きな教授が、あなたは愛の人だよねと言って、フロムの「愛するということ」を読むように勧めてくれた。教授の知っている私は間違いなくそうだったし、そう思ってもらえていることが心の底から嬉しい。でも今の私は自分のことをうまく愛せないのに、他の人たちにはたくさんの愛を与えたいと思ってしまっていて、これは愛を与えるという行為と呼ぶべきではないと思った。自分が満たされていないのに、他の人たちを満たそうとするのは、もしかしたら依存とすり替わっているのかもしれない。

大人になりたい。色んな人と対話がしたい。
知らない人と知らない価値観を共有したい。
わたしは、自分の考えをぶつけて、ぶつけてもらう以外でのわかり合い方がわからない。私は人になんでも共有したくなっちゃうから、何も共有しないでいる人に憧れる。そういう人の話が聞きたい。

誰かによって、何かによって、自分の好きなものに対する「好き」が薄まっていくということって、すごく怖いことだよ。わたしはわたしの大切なことを、絶対忘れたくない。でも、逆に他の人に対してもそう思っていたい。

わたしはいつもわがままで神経質で、必要以上に繊細で、感情の起伏は激しいけど、それがあなたなんだから、無理して治す必要はないと思うよーってけろっと言ってくれちゃう人たちと、私はこれからも一緒にいたいと思うし、大切にしたいと思う。
大泣きしながら食べた、綺麗にむかれた桃の味と、丁寧に淹れてもらうお茶の味がいつもそこにある。

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