美容師がヘアケアメーカーを立ち上げた理由8
前回からの続き
価値観のベクトル
スタイリストになってから、僕の価値観のベクトルは、
指名売上
になった。
何としても売上をあげないと、と言う事を毎日考えた。多分、カットしながらとかのサロンワーク中も、仕事が終わってからも、
どうやってあげるか?
というよりは、
何でもなった
カットが上手くとか、そういう所だけで無く、
お客様には、放置時間には話しかけて仲良くなって、
DMは、毎回書いて、
空いてたら、チラシ、キャッチ。ブログ全部やりました。
当時はSNSで情報収集など無かったので、
美容専門誌を片っ端から買って、
お客様を増やす方向、指名を増やす。っていう特集を
全部ノートに取ったと思います。その方法を片っ端から試して、実行し続けたと思います。
ご飯行っても、となりの人に話しかけたし、
とりあえず、売上をあげたい!っというのと、
売上が無いと恥ずかしい
という感覚の方が多く、勝手に
追い込まれてる感覚がありました。
そこまでやり込んだので、確か1年くらいで会社のトップになって、
22歳で店長になりました。
多分、ちょっとだけズレてて
普通はカット上手くなって→お客様を増やしたい
なんですが、僕の場合は、
お客様を増やしたいから→カット上手くなりたい。接客、カウンセリング
の考え方だったと思います。
自分では無いとダメ
ある程度やって、売上も安定して店長になって、
その頃から、少しずつ目指す像が明確にイメージする様になりました。
たとえば、セミナーもいっぱい受講してたのですが、
いつかセミナーをする側になりたい
美容雑誌をみてたら、
いつか雑誌に載りたい
そういう事を思い描くようになりました。
その時、お客様も家の近くの方も多く、
僕がいっぱいの時は、他所へ行く人もいて、
何となく、
自分でないとダメな理由
を探してたんだと思います。
確か、この頃の話は、以前のこのマガジンで書いたと思いますが、コンテストなんかにも毎月出て、
全国まわってたと思いますし、
雑誌の持ち込みをしていて、運命というか、かなり後々にターニングポイントになる人にも出会いました。この話は、また別で書こうと思います。
挑戦
このサロンで6年くらいスタイリスト、店長をやらせて頂きました。
そのサロンはどちらかと言うと郊外型サロンで、近所の方が来る感じでした。
さっき書いた僕の中で、
わざわざ選んでもらえる自分
と言う探究心と、
まだまだ上に行きたい
という追求心が、まだまだ強い27歳。
店長で恐らく40〜45万くらいもらってて、満足いってたのに、
その部分を捨てて、
僕は、中心街のサロンに転職する事に決めました。
ここで、また1から出直した感じだったのですが、
給料も半分以下、労働時間も1.3倍くらいに増え、
何よりお客様も、月に300名から、50名以下に減りました。
これによって、かなりメンタルをやられそうな時もありましたが、
結果的に、
自分でないとダメなお客様の振り分けが出来た
と思います。
ここでの2年間は、
自分でないとダメな理由作り
多数から選んでも貰える方法
このあたりを形成する2年になったと思います。
実際の詳しい内容は、次回書きます。
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