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美容師がヘアケアメーカーを立ち上げた理由7

前回からの続きです。

1〜6話で、ヘアケアメーカをしたりする大まか流れを書きました。

9月からはじめたヘアケアメーカー、施工プロデュース。様々な方が携わってくれてます。

売るプロの方もいれば、作るプロの方といる。

この作るプロの人達と、表面上を作るだけで無く、

僕の想いから引き出す作業をしたりする。

今ちょうど投げられてるお題が3つあるんだけど、

その1つが

これまでの美容人生


今回はそこから文を書きたいと思います。

僕は、地元の高知県から18の時に、

大阪に出てきました。

美容専門学校に入学したんですが、

普通の学生で、みたいな感じがよくあるんだけど

全く普通じゃありませんでした。

3学期の中に中間テスト、期末テスト、実技と筆記共にあるんですが、

当時は、ランキングが1〜最下位 200人くらいの順位が毎回はりだされてました。

僕は、1学期の中間テストで 確か 

下から5番目くらい

これが、悔しくて悔して、

めちゃくちゃ悔しかったのを覚えてます。

そこからスイッチが入って、

午前中2枠、午後2枠 昼休憩以外の休み時間は、

一切休まずに、実技のレッスンをして、

家に帰ってからも、ご飯、風呂、寝る以外は、

ずっとレッスンをしてました。

友達と遊ぶのも週一くらいの、

超絶変わったやつでした。


そこから、2学期の成績は、真ん中くらい。

1年の3学期には、1位になりました。


これが僕の原点だと思います。

プライド


多分、超絶高すぎた、よくわからないプライドがおられて、そのままでは、恥ずかしすぎる。それをどうにかしたい。

という感覚が、今でも残ってると思います。

その経験が大きくいきて、

大体最初に習うことは、僕は上手くいかないタイプですが、

努力。

というか、毎日積み重ねてたら、何とかなる。

という感覚が今でも大きくいきてます。

そして、這い上がっていく事の、気持ち良さを覚えてしまいました。

なので、卒業する頃には、オール5、すべての項目で成績順位は3位以内に入ってたと思います。

それで、就活も、希望した1社を受けて、当時200人くらい受けてたのですが、合格の10名に入りました。

僕の頭の中では、

当然

そういう感覚の嫌なやつでした。

この時を考えると、かなり偏った

本当に僕なら、友達になりたくない人でした笑笑


価値観の偏り


僕自身、今、学生時代を振り返ると、

価値観が著しく偏ってたと思います


成績が低いのは、恥ずかしい事だ。

から始まり、

成績が高いおれはすごい。

に代わり、結果これは、良いきっかけになったのですが、

僕の中での価値観は、この美容師としての成績や、後々に仕事。に変わるんですが、

仕事、成績が高い俺は価値が高い。

低い人たちは価値が低い。

こういう、少し考えると、終わってる感覚を持っていました。

それが、ある程度を過ぎないとわからなかったと思います。


僕は入社試験の実技、筆記、作文、面接、

全てに置いてトップの自負がありました。

それが、いざ現場に立ってみると、全く仕事が出来ない人間でした。

こんな性格なので、接客、お客様のコミニュケーションも疎か、

機転がきかず、要領もわるいので、

サポート業がスムーズに出来ない。

10人いる新卒の中でも、ダントツで下でした笑笑


成績が価値観の1番上で、動いてた僕には、

ここが第二の試練だったと思います。

そこから、少し考え方をシフトして、

接客がうまいスタッフ、

コミニュケーションがうまいスタッフ、

要領がうまいスタッフを見て、

見様見真似で、そこを学んで行ったと思います。

そこから、

店を変わり、21の時に

スタイリストとしてデビューしました。


今日は長くなったので、ここまでにします。

次はスタイリストデビュー編🎶




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