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美容師がヘアケアメーカーを立ち上げた理由9

前回の記事からの続き


理由をつくる


心斎橋での2年半は、かなり濃厚でした。

それまでは、郊外型サロンだったので、

家が近いお客様のご来店が多かったのですが、

心斎橋となるの、97%のお客様が電車に乗ってのお客様ばかりで、平均すると1時間くらいかけてサロンに来てくださる方ばかりでした。

そうなると、家の近くのサロンさんより、選んでもらう理由が必要で、

当時、約10年くらい前に、Instagramなどが普及されて、

ブランドサロン→個人ブランディングの時代になっていく最中でした。

ここで、やり方に戸惑いながら、試行錯誤しながら

デザインや、ファッション性を見つめ直したと思います。

遠くから通ってもらえる自分づくりは、

接客は勿論だが、技術、センスも高いレベルで無いとダメで、

ここに来て、もう一度、1からカットの技術を見直したし、

撮影もクオリティを上げて、雑誌の仕事をもらえるように、月2回くらい、月曜日に撮影をしたし、

センスという部分が、この時の自分の分析で著しく低かったので、

この2年間、センスを磨く。という所を重点的に鍛えた気がしますし、

今思えば、センスも努力で埋めれると本当に思います。

後、

徹底したのは、次回提案

プレカウンセリングも大事だが、

アフターカウンセリングに特に力を入れた。

来る理由として、1番大事だと今でも思ってます。

次回の提案を最低でも2スタイルは、提示してあげる。それをカードに書いてました。


力技


それと同時に、移転して、売上が激変した僕は、

何とか売上を戻したい一心で、何もかもやった気がします。

予約が無い日は、朝から

外へ出て、名刺をもってハント【キャッチ】をしてました。

プライド的な所も、そこそこ出てきた27歳でしたが、

それよりも、売り上げが低いという事実の方が

嫌すぎて、めちゃくちゃやりました。

1日に5人連れて来たこともありましたが、

この時に、本当の意味で


1人のお客様を連れてくる大変さ

がわかった気がします。

なので、せっかく来てくれたお客様を失客することは、

めちゃくちゃ勿体ない。

そう思うようになり、さらにサロンの制度が上がった気がします。

後は、SNSもずっとやり続けました、

mixi ミクシィ もやったし、

アメブロもやったし、

Facebookも、Instagramもリリース当初からやりました。

何がなんでも認知をあげたかったし、

お客様を集めたかった。

脳内の95%は、それだけだったと思います。


その甲斐あって、

半年で100万円

1年でお店のトップになりました、

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代償


そうやって走り続けたのですが、

大きな代償がありました。

それは、

家族


朝は8:30に出勤して、

1:00か、2:00の帰宅。

子供には会えず、家にいても、

ずっと仕事のことを考えて、ピリピリしてたと思います。

そのストレスから

外でハメをはずして遊んだり、

思った以上に所得も伸びず、家族との中は、

どんどん冷え切って行ったように思います。

身体もガタが来てて、毎日エナジードリンクを飲み、

半分つかれて、意識が朦朧としながら

サロンワークをしてたように思いますし、

お客様との会話も最小限だった気がします。

それは、会社がどうというより、

大体どこのサロンも、そういう感じの労働環境がほとんど残ってたように思います。


で、

そこで勤めてた2年半。

その後に独立をきめます。



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