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「やりたいことって、なくちゃだめ?」ただ、今できることに夢中になる #羅針盤のつくりかた

宝塚歌劇団のファンクラブで出会った2人の女性会社員が、共同代表となり、会社を設立する。 恵比寿のノベルティ制作会社「合同会社 LA BOUSSOLE(ラブソル)」は、こうして生まれました。


現在ではノベルティ・デジタルマーケティング・メディア・デザイン・Web制作と、多岐にわたる業務を行っています。


今回ご紹介するのは、代表の柴山由香。事業部全体をプロデュースする傍ら、敏腕編集者の秘書・企業のオンラインサロン運営・著者のプロデュースなど、個人指名での仕事も複数持っています。


この記事は、LA BOUSSOLEと関わりのある方々をご紹介するインタビュー企画 #羅針盤のつくりかたの特別編 LA BOUSSOLE Member’s note。改めて代表2人をご紹介しながら、この6年間で辿った軌跡を辿っていきます。(インタビュアー:LA BOUSSOLE アライアンスメンバー 柴田佐世子)

LA BOUSSOLE 共同代表・池田実加のインタビュー
「経営者」へとつながる、目の前の仕事を愛する力 #羅針盤のつくりかた

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柴山由香(しばやま・ゆか)
合同会社LA BOUSSOLE 代表 / 全事業部のプロデュースと共にデジタルマーケティング事業部を担当。
東京都生まれ。実家は小さな会社を営み、幼少期は自然いっぱいの中で遊びまわる活発な子供であった。幼い頃からの本好き。勉学にも勤しみ高校は市内の進学校に入学する。大学時代にフランス留学を経験。大手飲食チェーンでの店長職、ベンチャー企業でウェディングプランナー、大手企業での品質保証といった経験を積んだのち、宝塚歌劇団の私設ファンクラブで出会った池田実加と共に起業する。

「やりたいことは、いつか見つかるんだろうって思っていた」

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ー今日はゆかさんにこれまでのお話を聞いていきたいのですが、その前に、肩書きって何個あるんですか?


何個だろう。ラブソルの他に、秘書をやったり、著者さんのプロデュースもやっているし、何かサービスをはじめたいという方がいれば、マーケティングのお手伝いをしたり…オンラインサロンは、ラブソルメンバーと一緒にだけど、個人と企業合わせて4つ見ていて…。どれも愛おしいものばかりで、本当にありがたいよね。


ー…寝てますか?

寝てる寝てる! 私主婦だから、仕事が終わったら家事もしないといけないし、みんなに寝ていないイメージもたれてるけど、ちゃんと普通の人の生活をしているよ(笑)

ー人の5倍動いている印象なんですよね。その処理能力は、いつ身につけたんですか?

うーん…高校生でモスバーガーでアルバイトしていた時は、「7倍で動け!」って怒られてたよ。今でも尊敬する上司だけど、当時加盟店を含めて1000店舗以上ある中で、接客コンテストの一位を目指すような店長だったの。仕事を深く愛していて、真剣に向き合っている人だったな。でも、それまでの人生で人から「急げ」って言われたことなかったから、びっくりした(笑)


ー怒られて、どうしたんですか?

なんで怒られるんだろう? とは思ったけど、「そんなに言うなら、じゃあ7倍で動いてみよう」って、すぐに受け入れた気がする。

飲食店の大変さって、接客・提供・掃除と常に複数の作業を同時進行することなのね。だから、一つひとつが遅いと、どんどんオーバーワークになっちゃう。でも、一つひとつ「この作業をする本質は何で、どうしたらスピードが上がるか」と向き合うと、どんどん早くなるんだよね。

手元の作業が早くなれば、周りを見る余裕が出来る。他のことも改善ができるようになって、どんどん良い営業ができる。判断が早いのは、ここで培われたのかもしれないな。

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何が書かれているんだろう、この手帳には。

ー飲食業での経験が今でも活きているって、ゆかさんよく言っていますよね。


飲食業は、結果が出るのが早いからとにかく面白かったの。最初は怖かった店長に「森永さん(旧姓)がいると安心する」って言われた時は、うれしかった。
このアルバイトでお金を貯めて大学生の時に念願のパリ留学も叶ったし、大学卒業後も、迷わずモスバーガーを運営するモスフードサービスに就職したよ。就職活動は一社だけだった。

ー 一社だけですか? 他にやりたいことがあるかも、なんて目移りはしなかったんですか?

アルバイトで経験を積んできているし、受かる自信しかなかった。それに、今だからこそ思うけど、他にやりたいことを見つけたらその時転職すればいいじゃない。その時は飲食業がめちゃめちゃ楽しかったから、迷わなかったな。


ーゆかさんは、これまでに何度か転職をされているんですよね。

そうそう、(共同代表の)実加は新卒からラブソル設立まで一社で勤めていたけど、私は4回転職したかな。

24歳で結婚して、結婚式が楽しかったからウエディングプランナーに転職。でも土日が仕事だし、家族との時間をしっかり取りたいなと、家の近くで働けるエクセルシオールカフェに転職したの。この時に妊娠・出産して、働き方は大きく変わった。

飲食業界の経験が「お客様対応のプロ」と評価してもらえて、大手飲料メーカーに転職したり、起業を見据えてからはITの会社で営業の勉強をしたり。よく、「好きなことを仕事にできていていいですね」って言ってもらえるけど、最初から今の道を決めていたなんてことは、全くないよ。


「結婚・出産…女性が感じる天井って、本当にある?」

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ーそもそも会社員時代に結婚・出産されて、そのまま専業主婦になる、という道はなかったんですか?

思い浮かばなかったな。出産して社会復帰した時、会社からは「体のために」って本社勤務を勧めてもらったの。確かに、現場は忙しくて体力勝負だし、子供に何かあったらすぐに迎えに行かなければならない。でも、私は現場で働きたい。

「じゃあどうしたらいいか?」にまず意識が向かうのは、もう癖だよね。その結果、自分一人が抱えていた社員業務を、アルバイトの子たちにも任せてみることにしたの。

ー社員の業務を、アルバイトに!

それまでは正直、「自分がお店にいなければ」と思い込んでいたと思う。でも、子供を抱えてそれまでと全く一緒の仕事をするなんて、まず無理。振り返ってみれば自分だって、期待してくれる社員さんに連れられて、本来であれば社員でなければ参加できない研修にも参加したことがあったんだよね。

「任せる」ことの大事さに気がついたのはこの時。相手の役割や能力を「ここまでだろう」って勝手に制限してはだめなんだよね。目の前にいる子の可能性を信じて、任せてみないと。「あなたがいてくれてよかった」って言える方が、本人も絶対嬉しいじゃない。

ーゆかさんがアルバイトの時に実感したことを、同じように返したんですね。

もっと働きやすく・そして売上をあげるにはどうしたらいいのかを自分の頭で考える。飲食業界だからこうだとか、固定概念は一度壊してみることで、結果が出るようになったと思う。スタッフたちはどんどん新しいことにチャレンジするようになって、みるみる業績が上がって。それが注目を集めて、気付けば他店から視察が来るようなお店になっていました。

ー「子供を産んだら仕事をセーブする」「働きづらい」という考えが一般的な中で、「どうしたら子供がいる状態でも働けるのか」を模索するって、大事なことな気がします。

なぜか女性は、いろいろな面で、知らない誰かが決めた天井に悩まされるじゃない。「女性だからそんなに頑張らなくていいよ」って。心配してくれて言ってくれているのもわかるけど、私は、自分の人生の舵は自分できりたい

ー旦那さんも、お仕事にはすごく理解がある方ですよね。

仕事については、ほとんど何も言わない人なの。自分の趣味をちゃんと持っていて、楽しそうだよ(笑)。唯一「(転職をしても)年収を下げない」ことが彼との約束だから、それだけは守りながら、ここまできたって感じかな。

「さあ、これからの自分には何が出来る?」

ーラブソル設立に向けて話を聞いていきたいのですが…。実加さんもゆかさんも、お父様が経営者とのことですが、そもそもいつかは経営者になろうと思っていたんですか?

父は社員100人を抱える会社を経営していたけど、支える母と共にすごく忙しかったから、あまり教えを受けたり、影響を受けた思い出はないんだよね。だから、起業なんて考えたこともない。祖母に育てられたようなものだし、東京の田舎の方出身だから、幼い頃は野山を駆けずり回って、遊んでいたもん。運動も得意だったし、活発な子だったよ。

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意外でした。リリアンとかやってそうな子だと思っていました。

ーではなぜ、ラブソルを起業することに?

同じスピード感で物事に取り組める実加に出会えたことが、一番大きいと思う。29歳で宝塚歌劇団の魅力に心奪われ、好きになるとどこまでも深く探求してしまう私は、あっという間に、とあるトップスターのファンクラブに入会。

今もそうだけど、参加する側より運営する側が圧倒的に楽しいと思うタイプなのね。だから、2つ目のファンクラブで運営に声をかけてもらった時はすぐに受けて、そこで実加に出会った。やるからには他のファンクラブよりも、良いお茶会を開きたい、良いお土産を用意したい。夢中になるってこんな感覚なんだって、本当にのめり込んだな。

ー仕事と家庭の両立だけでも大変そうですが、そこにさらにファンクラブの運営まで!

体力は減っているのに寝る時間は減る、なのにこれが全く辛くないの。ノベルティ制作の需要に気がついたのはこの頃で、「これが仕事になったらめちゃめちゃ楽しいのに」と、当時は本当に夢物語。時を同じくして、経済評論家の勝間和代さんのオンラインサロンに入って、大企業で出世を目指し続ける道に、疑問を感じ始めたんだよね。

ー大企業に所属して、優しい旦那さんと可愛いお子さんがいて、大好きな趣味もある。十分だと、思うところではありますが…。

当時は、30代そこそこ。その瞬間はいいの。でも、このまま40歳になったとして、勢いも新しいアイディアも持って社会に出てくる20代に勝てるだろうかって、すごく不安があった。言われた仕事をやるだけでは、わたしがいる意味がない。

年間100個の事業改善提案を自分に課して、部署をまたいだネットワークを作り、業界全体のしきたりを変えたこともあった。でも、このままここで歳を重ねていった先の、会社員の魅力とは何だろう?

ようやく社内でもそれなりの評価を得られるようになったけど、もっと違う何かにならなければならないって、ずっと焦っていた気がする。「40歳になった時に、いらないと言われるおばさんにはなりたくない」って。

ー今の姿からは想像できないですが、そんな時期があったんですね。

あった、あった。焦ってはいても、行動ができない時だってあった

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なんか、安心しました。

ーなぜ、決断できたんですか?

2011年3月11日。
この日を境に想像し得ない日常が広がって、それは、私だけではなく、あの時を生きた全ての人が感じたと思う。初めて思ったの。「明日死ぬかもしれない」って。それなのに、1日会社を休むことさえも、上司に許可を取らなければいけない。一体会社に何を差し出していて、どうして、こんなにも縛られているんだろう

「起業できたらいいな」から、「事業として成り立たせるにはどうするか」に、意識が変わったの。そうとなればと、 営業のスキルを身につけるためにIT企業に転職して…。修行とばかりに、バリバリと働き始めた矢先のこと。父の死期が、迫っていました。

子供がいる、家事もしなければならない。もちろん、仕事も。合間を縫ってお見舞いにいくも、父が横になるベッドの横でバタバタと仕事をする私を見て、父が笑いながら、ぽつりと言ったのです。

「キャリアウーマンになんか、なるからだ」

若くして起業し、病に倒れるまでバリバリの経営者だった人です。大企業という枠の中で意識高く仕事をしていた私は、どう見えていたんだろう。今思えば、あの時やっと、覚悟が決まったのだと思う。

「起業しよう」

誰かの決めた枠組みの中で生きるのは辞める。そんなキャリアウーマンにはならない。父の忙しそうな背中を見て育ったわたしが、気がつけば同じ道を歩むことになったのだから、不思議だよね。

ーなんだか、必然な感じもしてしまいますけどね。そこから、実加さんと起業に向けて、動き始めるんですね。

会社名もなかなか決まらないし、事業計画も初めて作るからすっごく大変だった。起業したての頃は仕事も少なくて、2人して寝て過ごすこともあったよ(笑)。まさか、7期目を迎えられるなんて。夢中になれないと仕事にできない私たちが、相思相愛でいられるクライアントさんに恵まれて、本当に感謝しかない

<LA BOUSSOLE Member's note>
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取材・執筆:柴田 佐世子
編集:柴山 由香
撮影・バナー制作:小野寺 美穂

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