見出し画像

「経営者」へとつながる、目の前の仕事を愛する力 #羅針盤のつくりかた

恵比寿にある、ノベルティ制作の会社「合同会社 LA BOUSSOLE(ラブソル)」。

宝塚歌劇団のファンクラブで出会った女性2人の共同代表という形で設立されたこの会社は、現在ノベルティ事業部のほか、コミュニティ事業部・メディア事業部・デザイン事業部・Web制作事業部など多岐に渡る業務を行っています。

変わらず基幹事業であるノベルティ制作を取りまとめるのは、今回ご紹介する池田実加。冷静さを感じる第一印象とは打って変わって、ものづくりへの情熱と関わる人への愛情が深い女性です。

この記事は、LA BOUSSOLEと関わりのある方々の魅力をご紹介するインタビュー企画 #羅針盤のつくりかた の特別編 LA BOUSSOLE Member's note。改めて 合同会社 LA BOUSSOLEの代表2人をご紹介しながら、この6年間で辿った軌跡を追っていきます。(インタビュアー:LABOUSSOLE アライアンスメンバー 柴田佐世子)

LA BOUSSOLE 共同代表・柴山由香のインタビュー
>企業で働くキャリアウーマンはコミュニティビジネスの世界に飛び込んだ 

画像1

池田実加(いけだ・みか)
合同会社LA BOUSSOLE代表 / ノベルティ制作や取材時のカメラマンを担当。

神奈川県生まれ。商社マンの父を持ち、サウジアラビア在住経験を持つ帰国子女。一浪して早稲田大学に入学、大手化粧品会社へと入社する。経営者である父に後を継ぐよう声をかけられるも、安定した企業で会社員として生きていく方が良いと断る。小さい頃から好きだった宝塚歌劇団に20代前半でどハマりし、人生で初めて私設ファンクラブに入る。そこで出会った柴山由香と共に起業する。


「数字を追うのも、計画をたてるのも苦手なの」

ー実加さんのインタビューは、初めてでしょうか。今日はよろしくお願いします!

実加:うん、よろしく!

ー早速ですが、ラブソルで働く前と今で、実加さんへの印象はかなり変わっているんです。

それ、よく言われる。ぱっと見、数字に超強そうでザ・経営者ってイメージを持たれやすいんだよね。こういう感じでしょう?

画像2

そういう感じです。

わたしね、めちゃめちゃ文系なの。数字苦手。経営者になってからも判断は大体感覚だし、丼勘定。あと、スポーツも苦手。大人しそうに見える由香(共同経営者の柴山由香)の方が、スポーツ万能なんだよね。

ーそれが意外でした。お父様も経営者ということですが、もともと経営者を目指していたんですか?

いや、全く。父親の派手な性格がちょっと苦手だったこともあって、普通のごく一般的なサラリーマンでいいじゃん、って思ってた。めちゃめちゃブラックで、その後、会社が粉飾決算で問題になるような状況だったから色々あったけど、それなりに楽しくやってたよ!

ーすごくポップに「粉飾決算」という言葉が出てきましたが…。

新卒で入社してラブソル設立まで12年かな、ずっと一つの会社で働いていたの。その会社、私が入社した数年後に粉飾決算で経営陣が逮捕され、上場廃止になることになるんだけど…まだ、化粧品のブランドは残っているので、あまり知らない人もいるかもしれないな。

入社当時は国の再生機構が入る数年前で、経営状況はかなり悪かったみたい。ボーナスなんてもらったことなかった。入社して数年はドラッグストアの営業担当をしていたのだけど、特に最初の3年間はかなりブラックだった。通常3,000万の売上目標が6,000万とかになってて、どんなに努力しても不可能だから、お店の店長に無理やりお願いして商品を大量に仕入れてもらったりして。返品を隠して海に捨てたって噂がたつ同期とかもいたな。新入社員にまでやらせるって、すごいよね。

ーすごいことを、ものすごくあっさり言いますね…(笑)

無茶な目標なのに、「どう達成するつもりだ !」なんて、ようやく仕事が終わった夜中に課長に怒鳴られたりするんだよ。でも、それが普通だと思ってた。生産的じゃないことをしているんだろうなとは思いつつ、他のみんなもやってるしなって。

ー仕事を辞めようとは思わなかったんですか?

思わなかったなー。極限状態だと人は結束するから、会社の人とすごく仲良くなったりして。もともと会社員だった父が独立して会社を経営しはじめた頃で、「一緒に働くか」と声をかけてもらったけど、そっちに行こうとも思わなかった。

ゆくゆくは継いで経営者になるかもしれないと思うと、一人で荒波に漕ぎ出す立場になることだけは、絶対に嫌だと思っていたんだよね。


天井のないポジティブさがラブソルの空気をつくる

画像3

ー子供にとって親の職業は一番身近な存在ですから、習う方も多いとは思いますが、実加さんは違ったんですね。ちなみに、どんな子供時代でしたか?

口から生まれてきたって言われていたくらいよく喋る子で、生意気なことを言ってたみたい。女の子らしいものはあまり好きじゃなくて、男の子と遊んでいる方が楽な子供だったな。小さい頃はね、忍者になりたかったの。毎日刀を持ち歩いて、こたつから飛び降りては鍛錬を積んでいたらしい(笑)。幼稚園の頃は親の転勤でサウジアラビアに住んでいて、その頃から写真を撮るのが好きだった。

ー今もメディア事業部の取材などでカメラを担当されていますが、幼い頃から身近にあったんですね!

年に数回の家族旅行でヨーロッパを旅していた時に、親のカメラを借りて撮っていたんだよね。両親が褒めてくれることが嬉しくて、好きになったんだと思う。今見ても、子供が撮ったにしては結構上手なんだよ♫

ー小学校入学と共に帰国して、日本での生活は滞りなく?

覚えてる限り、大きな壁はなかったかなぁ。あ、突然「ゴリラ」ってあだ名が付けられたことはあった。でもその時の私は、可愛いキャラクターとして捉えたんだろうね。「わたしゴリラって呼ばれてるんだよね〜。だからゴリラのぬいぐるみ買って」って母親にお願いして買ってもらったことがある(笑)。相手は悪口のつもりだったのかもしれないけど、ポジティブに受け止めすぎて、その後いじめられることはなかった(笑)。

画像7

その時のゴリラさんは、こちら。

「この子すごいわ…多分いじめられてると思うけど」って母親はびっくりしたらしい。後ろで手を組むのが癖で「おばさん」って言われたこともあったな。今でも無意識でやっちゃって、由香に怒られることがあるけど、それも笑い飛ばして終わった気がする。

画像4

めっちゃ笑ってますけど、人によってはトラウマになります、多分。

ー実加さんと一度話してもらえればわかると思うんですけど…、死ぬほどポジティブ!

生まれてこの方、自己肯定感だけはめちゃめちゃ高い。母方の祖母に、まさに「目に入れても痛くない」レベルで可愛がってもらったことが大きいとは思うけど、一緒にいるならそのほうが楽しいじゃん。とはいえ、基本的には親の期待に応えてきたし、敷かれたレールに乗って、真面目に生きてきたタイプだと思う。今は、降りてしまったけど。

ー実加さんの根っからの明るさと由香さんの視野の広さがかけ合わさって「ラブソルの居心地のよさ」になっていると思うんです。人と一緒に何かを作ることは、もともと好きなんですか?

一律に「みんなで」は好きじゃない。自分の好きな仲間だったら、どんなことでも苦じゃないけど。「好きかどうか」って私にとってはめちゃくちゃ大事で、今でこそ「好きなことを仕事に」とか言うけど、ちょっと前まではあまり聞かない言葉だったよね。

それこそ就活の時、OG訪問で先輩に志望動機を聞かれて、「好きだから」って答えたら「それじゃダメだ」って怒られたの。すごく腹が立ったのを覚えてる。「好きじゃなきゃダメだろ」って。結局「好き」から会社も興しちゃうし、大事なものさしであることは変わらないな。

振り返ればずっと持っていた「ものづくり」への情熱

画像5

ー大手化粧品会社で新卒から12年間働き、営業から商品開発へとキャリアを重ねていったそうですね。そこからどうラブソル設立に至るのか、お話を聞いていきたいのですが…。

「ものづくりがしたい」この想いは、昔からブレないと思う。就活の時に他に受けたのは旅行業界と食品業界で、特にカップラーメンの商品開発をしてみたかったんだよね。これもただ、自分が食べるのが好きなだけ(笑)。好きなもの、かつ、手に取れるものがよかったんだと思う。

ー手に取れるもの。

うん、「もの」。父が長く商社マンをしていたんだけど、スケールが大きすぎて何を動かしているのかわからない仕事は、あんまり自分が取り組むイメージができなかった。それよりも、売るべき商品が手元にあって、どう売るかを考えながら動かしていく方が性にもあっていたと思う。

実際、化粧品会社の営業の時も、美容部員さんと販促MTGをして、おまけをつけてみたり、自分でラッピングをして店頭に並べてみたり。販促用のPOPも作ったし、売上をあげるために思いついたことは、何でもやったと思う。

ーラブソルの強みは、クライアントさんが求めることに対して「どうしたらよくなるか」のしつこいくらいのプラス1提案だと思うのですが(褒めてます)、会社員時代からやっていたんですね。

そうだね。だって「好き」だし「たくさんの人に手にとって欲しいから」、どんどん思いつくんだもん。

6年目から商品開発になって、これもめちゃめちゃ楽しかった。商品のコンセプト作りから、パッケージデザイン・成分の処方まで、全部商品開発の仕事だったの。

研究所や工場の方と商品の中身を作って、デザイナーさんや包材メーカーとパッケージを作って、広報やPRの方と売り方を考える。各所と打ち合わせをしながら、一つの商品を作りあげていくっていうのがすごく楽しかった。この頃からもう、仕事は趣味だったと思う。

画像6

このお方は、目の前の仕事を愛せる人です。

ーラブソルの基幹事業であるノベルティも、「何を作るか」から「どう届けるか」までを全てプランニングして進めますよね。やっぱり、通ってきた道があって、今があるんですね。

人と協力してやっていくこと自体は苦じゃないけど、人のためという感覚はあまりなくて、本当に自分のためにしかやってこなかったと思う。だから、ずっと楽しかった。好きじゃなかったら、こんなに時間も手間もかけられないよね。

ちょうどその頃、家族で恵比寿に引っ越してきたこともあって、小さい頃から好きだった宝塚を劇場に観にいくようになり、久々に深くハマった先のファンクラブで由香と出会い、今に至るっていう感じかな。

ー多くの人が自分のやっていることを「誰かのため」と言ってしまいがちなところ、実加さんは「自分が楽しければ最高!」と言い切れるところが気持ちいいんですよね。

経営者なんて大変そうだから絶対に嫌だと思っていたし、だから父親の会社を継ぐことも断った。安定している会社員が最高だと思っていたし、なのになんでラブソルを起こすことになったかって考えると…。

やっぱり「好きだった」しかないよね。宝塚を好きになって、ファンクラブで活動するうちに、販売するグッズを作るようになって、ものづくりは好きだからこだわりたくなって…。そこに需要があったから、起業したという話

さすがに「好き」だからって、勝算の無い起業なんてしない。でも、出会えた人が由香だったから、というところはすごく大きいよね。


<LA BOUSSOLE Member's note>
Next ... 03 LA BOUSSOLE起業(coming soon...)

取材・執筆:柴田 佐世子
編集:柴山 由香
撮影・バナー制作:小野寺 美穂

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?