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心と身体を繋げていく 2023/10/12〜18

2023/10/12 (木)  はれ


あるコマが一つ動いただけで、連鎖的にたくさんの動きが増えてくる。

カウンセリングサービスを退会することは少し失恋にも似た感覚だった。
嫌いになって退会するわけじゃない。好きだけど別々の道を進むことに決めた。

感謝が溢れてくるし、「もしあのまま付き合っていたら」と空想することも、感傷に浸ることもある。

けれども、双六の順番が回るように、自分のコマを進める順番がくる。動かなきゃいけない状況が重なっていく。今までとは違う流れが入ってくる。「動かなきゃ」が「動きたい」にも変わってくる。

心も体もフットワークが軽くなっていく。

シュガーマウンテンが言っていた。

「全て」を敢えて差し出し者が最後には真の「全て」を得る

ジョジョの奇妙な冒険


真の「全て」が何かは分からない。
でも、分からないから進んでいこう。



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読まれるように日記を書くことで、少しずつ言葉が裸になってきた。

言葉が軽くなっていく。自由に、自然体に。


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仕事を独立することで、妻との関係が夫婦の形だけではなくて、仕事でのチームの形も追加された。これまでも応援してもらったし、支えてもらった。

チームは相手を信頼していないと成立しない。

カウンセリングサービス以前の会社では、スポーツチームの心理に関して勉強させてもらった時期がある。チームを強くする為には、技術やフィジカルの改善向上だけではなくて、信頼を築き上げるコミュニケーションが重要だった。

タッグチームとして妻は僕の未来を信じている。
その妻の想いを僕は全力で信じる。

桑野量は大穴の馬券かもしれないのだ。
そこにベットしてくれた妻の為に全力で走ってこう。

2023/10/13 (金) はれ


祖母に出す手紙の便箋を買いに行く。
コロナになって気軽に会えるタイミングもないし、何度も読み返せるように定期的に手紙を書くようになった。

仕事のこと、休みの日のこと、自分にはどうでもいいというか、当たり前すぎることを手紙に書く。それでも祖母は喜んで何度も読み返してくれる。

この日記も頭の中にあることをただ書き綴っている。

昔から人の日記を読むことが好きだった。
勝手に人の日記を読んでいた訳ではない。

はじめは芸人板尾さんの「板尾日記」を読んだ。

「本は高尚で立派なことを書いてあるもの。そこから教訓や感動を得られるもの。」

という思い込みがあった。

板尾さんの日記には日常が坦々と書いてある。仕事のこと、日常のこと。どれも詳しく書いてないし分からない。でも読み進めてしまう。

今では有名人ではなくても本を出せるようになった。ZINEと言われる個人で作成した日記も読むことがある。名前も顔も知らない人の日常をただ読む。

誰かの日常を読むことで、自分の日常と照らし合わせているのか。

どこかで誰かが1日、1日を生きている。
そのリアルな現実が世界はひとりじゃないことを教えてくれる。

会ったこともないし、これから会うこともないかもしれない。
でも、そこに1日、1日を生きている人がいる。

僕たちは砂漠で一人歩いているわけじゃない。



2023/10/14 (土) はれ


仕事の合間にジムに行く。

昔は「まとまった時間がないとジムに行ってもな、、」と思っていたけど、20分でも身体を動かせるなら積極的に足を運ぶようにした。

筋トレよりもジムまでの散歩と言った方が正しいかもしれない。
歩くリズムでカウンセリングの内容を整理していく。

歩きながら振り返ることはオススメだ。
前に進みながら過去を振り返る。

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昨日ジビエ料理を食べた。
ラムに、アナグマに、シカに。

野生スイッチがオンになった。森の中で生活していた祖先のDNAが反応したのか?新しい味に脳がスパークしたのか?

鉄分やビタミンなどの栄養素が豊富なこともあるが、体がポカポカしてくる。

食材を食べるでも、走り回るでも、歌い踊るでも、動物(生物)としての感覚が大切。野生スイッチ。体が喜ぶことは心が喜ぶ。

現代は喜びを頭で考すぎているかもしれない。

嬉しかったら踊って、楽しかったら歌う。
悔しかったら走り回って、疲れたらゆっくりと眠る。

そんな風に生きれたら、悩むことを忘れて自然と心と体が繋がる。
痛みとは心と体が分離する状態かもしれない。

野性のスイッチ押してこう。

2023/10/15 (日) はれ


年齢を感じる一つに、文章を書きたいのに疲れて書けない現象がある。
机に向かって書き出しても、言葉を綴っていく集中力と気力が続かない。

父兄参加の運動会のリレーでは、学生時代に体育会系でブイブイ走り回っていたお父さんほどコケるらしい。スポーツ全盛期の動きのイメージと年を経て実際に動ける動きにズレが生じるからだ。

老いることは鈍感になることか、敏感になることか。

若い頃も疲れていなかったわけではない。その疲れに鈍感でいられただけかもしれない。睡眠不足でも仕事に行けたし、何時間も起きていられた。

老いることをマイナスイメージで捉えてしまいがちだけど、より繊細に敏感になったと解釈するようにしている。ご飯も繊細な味付けを好むようになった。刺激的なジャンクフードも食べられなくなった。若い頃はどれだけ食べても平気だった。

傷付いた人ほど他人の痛みに繊細になれる。
年を重ねることは経験を積むことだ。

若い頃は鈍感に見過ごしてきた世界と繊細に出会えるのなら、年齢を重ねることは悪くない。


2023/10/16 (月) はれ


自分の中でモードの切り替わりがある。

(1)外の世界に積極的に刺激を探す狩りモード
(2)外の世界の収穫物を自分の内側で熟成させる発酵モード


季節の移り変わりを人間にはどうすることも出来ないように、モードの移り変わりも流れにまかせていく。

五行歌(五行で成り立つ詩の形式)をやっていると、自分のモードの変化に気が付く。いくら歌を作ろうと思っても、内側から発酵する言葉がなければ、たった五行でも埋めることができない。

どれだけ発酵を待っても、種となる刺激がなければ、育つ言葉がない。

「刺激を探しにいく」と書くと、インパクトのある行動をイメージするけど。探しに行く刺激は些細なもの。

近くの公園に座って風を感じる。気になっていたお店に入ってみる。本を読む。劇を観に行く。知らない街をただ歩いていく。会いたい人に会いにいく。

どこにでもある日常の風景だけど、そこにしか流れてない風にあたってみる。
初めての場所や人に会いに行って新しい風にあたってみる。

ぬか漬けのぬかを混ぜで新鮮な空気を混ぜるように。

心に溢れている言葉と新しい空気が混ぜ合わされる。


2023/10/17 (火) はれ


祖母への手紙をやっと書き終える。気付いたら便箋が11枚にもなっていた。
手紙には独立をすることにも触れた。カウンセリングサービスに対する想いが出てくる。本当にたくさんの人にお世話になった。

他界した祖父は今の自分と同じ年頃に会社を独立した。祖父の事務所にはいつも祖母がいた。小さい頃に事務所に遊びに行った時にぼんやりと眺めていた2人の働く姿。それが今の自分に影響しているように思う。

戦中、戦後を生き抜いた祖父と祖母の生き方が教えてくれたことは多い。知らずに受け取っていたこともたくさんある。

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昨日は久しぶりにコーヒーを飲んだ。
カフェインへの耐性が低くて、午前中にコーヒーを飲んでも寝れなくなるので、ずっと控えていた。睡眠の質をあげたかった。

コーヒーが飲めないのは構わないけど、お気に入りのカフェに行けないのは寂しい
。コーヒー以外にメニューもあれば、行けるけど。

行ったカフェもコーヒーしかないので、ずっと行けなかった。でもどうしてもそのお店の雰囲気を感じたくて足を運んだ。お店の方が顔を覚えてくれていて嬉しかった。

自分もそんな人になりたい。そのお店の雰囲気を感じたくて行く。ただ時間を消費するのではなくて、感動や心地よさに会いにいく存在に。

カフェもたくさんあるし、コーヒーもどこでも飲める。
だけど「このお店に行きたい」と。

たくさん文章を発信しているけど、消耗品ではなくて、心地よさを感じられるように、自分の言葉に誠実に向き合っていこう。

言葉は忘れられるかもしれないけど、その文章を読んだ時に感じたことは残り続ける。

2023/10/18 (水) はれ


午前中に髪を切りにいく。美容師とのどうでもいい会話が心地いい。
どこにもオチがつかないし、話題はコロコロ変わる。目的はない。どうでもいい会話。

美容師との会話が苦手な人が増えている。オチや話の内容を求められる空気を感じるのかしれない。気を使うのがめんどくさいのかもしれない。

「どうでもいい話をしてはいけない」

学校でも、会社でも、話にオチや方向性がないとイケナイ空気があって、そのせいで、会話をすることで深呼吸してリラックスできないのかもしれない。

「私うまく話すことが苦手で、、、」とカウンセリングで相談されることも多い。全然そんなことはなくて、むしろ上手な人がほとんどだ。

会話にうまさを求める必要はなくて。
なんでもない、どうでもいい会話にも心地よさがある。

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