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同志団結!韓国鉄道労組の闘い。

 鉄道に限った話ではないのですが、どこの仕事に就いていても国の政策で180度内容が変わることがあります。実際日本国有鉄道の場合は泥沼の労使交渉であり、国鉄労働組合は解体されました。その後JRでは2つの巨大単組ができましたがJR総連は自滅、JR連合に至ってはライバル組合が消えたのにも関わらずほとんど組織化に成功せず、これもまた消滅する支部が出てくる模様です。国有鉄道や公社の場合は経営側が国家にあるため、その闘争は激しいものとなります。私は労使協調支持派であり、無用な対決は避けるべきとあくまで話し合いによる交渉は続けるべきとここまで私の「note」を読んでくれている人には分かっていただけると思いますが、こう労働運動に携わると闘争の準備を始めないといけないということに出くわします。関東の方では一部の私鉄、現在でも函館バスが争議を行っているので友好組織としては助けることは当然です。例えその当事者が多少クセが強い人でも、労働組合と言う組織上、経営陣のために引くという選択肢はないわけです。とはいえどこの職場でもいろんな職種の人が働いていますよね。産別同士の対立はあれど実は組織内にも色々と対立を抱えているケースも少なくありません。

国鉄労働組合の場合

 若い方にはピンとこない国鉄労働組合。JRはかつて日本国有鉄道でした。国が社長だったといえば分かりやすいですかね?そこで組織された国鉄労働組合(国労)は国鉄従業員すべて加入しているわけではなく比率としては駅員や車掌といった職種の組合員が圧倒的だったわけです。ちなみに運転士は国鉄動力車労働組合(動労)、国労の闘争路線に批判的な組合員と事務職員など非現業職員を中心とした鉄道労働組合(鉄労)があり、職種ごとで所属労組が違っていました。後に分割民営化の際、反対派の国労、動労、方針を受け入れる鉄労とあり、動労が妥協する形で分割民営化推進派となり、雇用を求めて国労は脱退者を続出させるという結果に終わるのですが・・
 鉄道労組はなかなか一体として組織を動かすことができない弱点があります。運転士や機関士で構成された動労は、駅員と車掌の国労を明らかに「上」にみていた節もあったことが数々の元国鉄職員から確認されています。

2000年代 韓国

 韓国は冷戦の最前線の分断国家であり、独立以降反共右派、極右もしくは軍部独裁の政権でした。1990年代冷戦終結とともに雪解けモードや長年の民主化闘争が勝利し、現在の民主主義国家になっていくわけですが開発独裁で何十年も国を統治していた弊害で数々の国家機能の肥大化で財政的には豊かではなく、民主化後歴代政権は新自由主義の潮流のもと数々の市場経済を導入していきます。ただ国有鉄道である韓国鉄道は万年人員不足。過重業務からの労働災害が多発する危険な現場でした。「徹・徹・非」と言われると現役であろうが元であろうが血の気が引くのではないのでしょうか?鉄道員の勤務は基本的に24時間勤務です。一応仮眠の時間などはあるのですが、体に溜まる疲労は多く、人員不足にもなれば恐怖の「ヨンパチ勤務」が待っています。ヨンパチの意味、ここまでの説明でなんとなく検討がつくと思います。48時間連続勤務のことです。当時の韓国鉄道の24時間勤務者は全体の4割強。そのうちどれだけの割合がヨンパチ勤務を行っていたのか、数字は分かりませんが一人で線路整備していたら、近づく電車に気づかずそのまま撥ねられて死亡した事故も多発していました。
 こんな有様なのに関わらず、韓国鉄道庁は人員削減を実行しようとします。鉄道労組の長い闘いが始まりました。

国家による不当労働行為

 まず組合員の給料を差し押さえました。鉄道庁はストライキ不参加に誘導させるという公式な文章を残しているので、組合員の弾圧に躊躇がありません。ストに参加した幹部は刑事告発、一般組合員は反省文を書かせるなどまさに常軌を逸した態度で臨みます。さらに組合費はおろか組合員の給与まで差し押さえる訴えを裁判所におこします。さすがに法治国家なのでそんな無理なことはしないはずと思われたのですが、裁判所は経営側の訴えを認め本当に組合費の一部と給料を差し押さえたのです。ここまで態度が強硬的だと私も労働運動家の端くれとして闘争本能が燃え上がりますね。さらに昼休みがほしいといった組合員に対して会社はなんと暴力行為でそれに答え十字靭帯を断裂させるような大けがを負わせたり最早無法地帯でした。2009年のストの後は会社は組合に損害賠償を請求します。その賠償金が100億ウォン以上。日本円でいえば10億円です。さらに次々スト参加者に対して懲戒、停職、減俸、刑事告訴まで行い罰金刑まで課された組合員もいます。この異常事態を韓国や日本の右派マスコミは「過激派労組の暴走に一定の歯止めがかかった」と書き立てました。人間が人間としての尊厳を奪い言論で嘲笑する彼らは自分がその立場になったとき誰も助けてくれる人がいなくなるんでしょうね。

鉄道労組の団結

 ここまで弾圧が酷ければ運動として成り立たず、どこかで息切れする者ですが韓国鉄道労組は闘争の継続を宣言していました。実は1988年や1994年に機関士によるストが行われたのですが、その時はほんの一部の譲歩しか勝ち取れず職種ごとに団体行動をしても何も勝ち取れないと判断します。実際望まぬ配置転換など、その後の報復人事も行われたので職種を限定せず従業員なら全員で組織化すべきという結論に至ったわけです。実際韓国鉄道には一部鉄道庁の命を受けた人員で旧執行部の再建を行います。旧執行部は封建主義で上意下達の御用組合でした。特に保線と電気部門(個人的にここらの部署が保守的なのは私も元鉄道職員なので分かります)は旧執行部の牙城であり、民主派は何とかこれら部門の組織化を計画します。そこで設けたのが「局長」制度でした。指導部が各部門に局長を任命し、その局長が現場の問題点を把握し指導部に伝達。指導部が直接問題解決を行い職場の民主化と組合の理解を図る目的に創設されました。これによって職種間の連携も柔軟に取れるようになり、保線、電気部門も民主化勢力が拡大していきました。
 とはいえもう一つ労組には団結を阻害する要因があります。それはイデオロギーです。政治と労組が違いほど、その柔軟性は失い団結は崩壊します。実際日本国有鉄道で言えば、国労は社会党支持、動労も社会党でしたが新左翼の活動家も多く、鉄労は民社党、国労自身も民社党支持者や共産党支持者も抱えていて、民営化闘争の時この支持党派の違いが分裂を生み出しました。韓国鉄道労組にも政党支持とまではいかないけれど、政治グループがなんと6つあったと言われます。ただ幸運なことに韓国には労働組合を代弁するような労働者政党がかなり小規模であり政治的影響力は小さくなりますが、党派で分断されるケースはあまり多くありませんでした。さて韓国鉄道労組の場合はどうやってそれを乗り切ったのかというと、政派ごとの代表者の合議体で決定することはもちろん、一つの政派が執行部を占めている時は残りの派閥は協力するという連立政権でした。当然その方向性は政派ごとで合議で決められています。会社の弾圧で処分者が多くなると執行部の支援として数々の政派が協力して民主指導部を維持しました。全労連に怯えて何もできないナショナルセンターと労働組合を党の食い物にしか感じていない日本共産党に爪の垢を煎じて飲ませてやりたいぐらいです。連合と全労連が歴史的それが単なる妥協だとしても協働して労働破壊を敢行する勢力と対峙するなら日本の労働運動はさらに発展できるのに・・と忸怩たる思いもあります。「我々同士で争えば敵の餌食だ」韓国鉄道労組の同志がそう訴えます。日本の労働運動家が学ぶべき点が多いです。

突きつけられた課題

 このように韓国鉄道労組は労働組合員の団結をいとも簡単にやりとげました。韓国鉄道労組の次の目標は政治的影響力の強化、組織内議員の進出を目標としています。革新的な労働者政党の規模がまだまだ二大政党に及ばない韓国政界。私たちは韓国の労働組合に比べ多少選挙については熟知しているので是非鉄道労組が知りたいと思った時は協力したいですね。私たちは政派同士ならまだしも同じ労働者同士で足を引っ張り合いをしています。職種や政派が同じ場合でも組織内ヒエラルキーが不毛な内部抗争を行うことがあります。よく自民党が保守分裂でさらに組織が強くなるという論がありますが、分裂でそれほど簡単なものではなく当事者が選挙から去らないと必ずしこりが残ります。団結の重要性は私たち労働組合員がよく知っています。知っているはずなんですが理想と現実はどうも違ってきてもどかしい気持ちもあります。私たちは必ずやり遂げる。労働者が勝つその日まで。


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