労組から立候補
岡崎市議選挙はこの前も同じような事を言いましたが、連合愛知会派が存在します。市職労、名鉄、トヨタ、中電、東レ、三菱自動車岡崎、デンソー、ジェイテクト、フタバ産業から組織内が出ます。フタバ産業労働組合は自動車総連ですが、非トヨタ系製造業労組などからの支援を求める傾向があります。定数が削減され3000票とっても落選するかもしれない地方議会選挙において、基本的に地域の顔役の市会議員が労働組合の組織内にでもなれば、名簿を持ってランク分け、積極的支持層はガチガチに固めて、迷っている人は集会を行う。市外からの応援部隊も「ボランティア」で来てもらうため、その采配は当然出身組織が全部責任を持ってやり傘下の単組もその選対に入り、効率よい選挙期間を闘うわけです。当然選挙期間中から選挙を一から始めるのは、よほど知名度がある人、もしくは実は大きな支持基盤がある人に限られトヨタ労連ですら1年前に動いているようなら遅いです。最近では労組に後援会がありながら、割と組織外それこそ生活相談をやっている人は選挙になると思いの外得票しています。組織にあぐらをかいている人はこうした投票率が低い選挙戦になれば、案外脆いでしょう。投票率が低い事は組織票が固定的にちゃんと積み上げてくれる事が前提で、その組織票が実はどこかに流失するような事があれば、致命傷です。100人の組織で100票獲得できるような団体は伝説の動物を見る事と同じです。3割は仕方ないぐらいが最近の票読みです。3割以上になれば組織票の意味はほぼほぼ無くなります。ヒラリー・クリントンは多くの産別から推薦を得ましたが、やはり3割ドナルド・トランプに流出し敗れたというデータがあります。かつての強さはないとは言え、アメリカ民主党の中核の一つである労働組合もその3割に泣いた事があります。
組合内候補決定のプロセス
昭和の時代、みんなに担がれた人が選挙に出馬しました。労組の事務所でも木造建築でなんとなく勤務終わりに立ち寄って世間話から政治議論など激論を交わし、運動会やハイキングなど組合員同士親睦を深め、いざその人望ある人が出れば我先に組合事務所に出入りし、ローラー作戦で票を積み上げました。皮肉な話ですが、組合が大きくなり木造から鉄筋の組合事務所が出来上がるとその出入りは大幅に減ってしまい当然ですが、運動会やハイキングなどのイベントは無くなりました。皆様のお勤めの職場でも経験あるかもしれませんが、顔も見た事がない同僚なんかごまんといるはずです。それで持って社宅内でも交流はゼロとは言わないが共働きが急増している以上、ご近所付き合いがたとえ集合住宅であっても激減している。そんな中で「同じ組合員だから○○さんを応援してね」と会った事がない組合役員がやってきて、急にそんな事を言われる。これで組織票が減ったと嘆いても当然の結末です。
最近はこの人を自分達の代表に議会へ押し出したいというより、出たい人が出る、それが前任者の単なる後輩で選挙前なら有名人に会えるかもぐらいの割と人から担がれるより、個人のやる気というか上昇志向が評価されます。人間関係が希薄になってしまったので、それは当然淡白な組織決定となり、傘下の単組も淡白に決定され、ワードで1分で作れそうな推薦書を候補者に渡します。連合という反共集団の組織内はいかに悪辣な決定を経て反共人士を選んでいるんだ!と期待した人はいたのでしょうが、そもそも顔も知らない同僚を一応組織として担ぐ場合は当然顔はともかく名前ぐらいは覚えてもらわないと困るため、ありとあらゆる組合の広報に立候補者は掲載され続けます。その期間は前述したように有力単組でも1年ないし場合によっては2年です。よくも悪くもこれが実態。そして労組組織内といえど、地域の代表なんだからまずは校区から中心に固めていきます。その辺りは自民党というか保守系と変わらないです。なんなら公明党も日本共産党も基本戦術としてはそうです。
社会民主主義フォーラムの選挙
社民党元党首、大分県職労組織内の参院議員吉田忠智が参院補欠選挙に出馬した時、大分の選対に入っていた連合大分の同志は組合関係者だけど連合系じゃない組合旗もよくあったそうです。吉田は又市征治などに比べると相当良心的な組織内ですが、ちゃっかり連合から分裂組、特に最近組織が融解しつつあるJR総連系の離脱組織など旧民主党どころか社会民主党も応援していなかったような単組がポツポツと陣営に入っていました。それで本当に勝ち切れば権力闘争の第一歩として、スタートを切れたのですが結果として社民党立憲入党組は吉田の落選、独自候補の擁立は難しくても赤松広隆らと特になんら条件もつける事なく逢坂誠司の推薦者になる。やはり止まらない退潮傾向、社民フォーラムの看板を下ろした地域もあり、など吉田はともかく唯一の代議士吉川元ではいつのまにか赤松側近忖度ズの一員になるでしょう。意見の差異はあっても、やはり社民フォーラムには新垣邦男のような最左翼のような信条がありながら行政経験が豊富で、権力闘争も、その維持もできるであろう人がリクルートできなかった時点でこうなる運命だったのかもしれません。吉田忠智の出身組織である大分自治労は江田三郎派「水曜会」の九州随一に近い拠点であり、その立ち位置は人によって見れば右派というより、日本社会党出身と言っても右派なら民社党の大部分と信条が重なるのだから当たり前ですが、彼の補欠選挙敗退は社民フォーラムに激震を及ぼして本来リーダーシップを取るべき吉川元は当てにならないという状況なら前途は暗いです。アメリカ民主党のスクワッドとまではいかないけど、かなり候補者選定に手間取っている社民フォーラムが大挙して主導権を確立するには現在の政局ではチャンスのように見えますが、吉川じゃ無理でしょう。そして多分吉田は次の参院選も勝てない。
福島瑞穂の権力闘争
社会民主党は連合の大枠の支持が無くなり、土井たか子が再登板された後「市民派、NPO、労組を主軸とした政党」を目指していました。だから土井の人選は自身が日本社会党委員長時代と同じ、そのリクルートは弁護士や市民運動出身者などこれまでの政界にいないタイプを選び次々と代議士にしていったので96年当選組は「土井チルドレン」とマスコミは報道していました。その一環として参院議員にはテレビで人権派弁護士として活動していた福島瑞穂をリクルート。ただこうした土井の神通力は1度の大敗で通用しなくなり、福島を選挙大敗の責任者でしたが党首へ昇格。一貫して党内主流派を勝ち取るため、旧来社会党に大勢いた大産別の役員を務めた後、国会議員になった一丁上がり組の典型的な又市征治を登用。その一丁あがりの人間は小さな政党にとっては、大変ありがたい組織票を持っているので反執行部の人間が党首選に立候補しようとしても、また立候補したとしても福島ー又市ラインは常に強大な主流派でした。「鴨桃代さんを社民党のスターにしたい!」と言って立候補させるものの選挙で負ければ疎遠となって次の「スター候補」に会いに行く。その抜群の知名度と人脈はやはり彼女にとって武器で、都合のいい著名人を乗り換えては捨て、その後は没交渉の政治スタイルですが、実際又市や吉田忠智が基本的に個人技ができないタイプなので福島のような強烈な個人技は消滅するかもと十数年言われてもしぶとく根強く生き残った小さな要因でもあります。まさか全く政治信条も相容れない、民主党政権時は批判的だった蓮舫参院議員にも接近する政局の人間です。彼女は社会民主党がなくなっても、引退してもそれなりに政治活動は続けられるでしょう。小沢一郎のように政治塾もやっていますよ。党外だと通用しなくても党内を常に掌握し続ける福島は、社民党衰退の要素の一つであり延命装置でもあります。
前回の岡崎市議会選挙では社民党岡崎支部が現在の現職に推薦を出していました。直筆です。元々日本社会党は総評の党でありながら、地方活動家の党でした。なので飛鳥田一雄時代の「100万人党建設」政策でいわゆる契約党員には反対。誰も彼もが社会党員になってもらっては困る。そんな党員はいずれブームとともに消え去るという反論が多かったです。その懸念は半分当たりで半分はやはりその地方活動家の排他性も原因の一つでした。土井たか子辞任後、増えた女性党員はそうした地方活動家や県評の役員の意見が主導する古い組織だった日本社会党を見放し、その票田は保守系の新党に流れ込む事になります。ただ彼ら地方活動家はとっとと逃げ出した代議士達と比べて非常に意義ある活動家。わずかな党員でもしっかりと社民党という組織を誇示する姿は素直に感動です。ワープロの簡素な推薦文よりも光る社会民主党岡崎支部。そうした熱心な地方活動家すらいなくなった時、福島瑞穂は党を残す未来を見据えているのか疑問です。おそらくもう個人商店のつもりですから、彼女が店主を引退した時ご隠居として口も出すんでしょうね。彼女の本来の気質は森喜朗や二階俊博と同じ。公党を私物化する狸。
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