見出し画像

自己紹介

東京、日本橋にありますフランス料理レストラン【ラボンヌターブル】シェフ中村和成と申します

コロナ禍でInstagram LIVEを始めたことがキッカケでいろいろなメディアで料理動画配信を活発にやってきました、いよいよNOTEも配信していきます^_^
このNOTEでは今後、私のレストランでご提供している料理の詳しい解説や思い、その料理が生まれたきっかけ、さらに料理が出来るまで試行錯誤して何度も失敗を繰り返すのですが、その失敗の裏側や失敗から学んだ出来事も包み隠さずお伝えしたいなと思っています。

今回、第1回目の記事は、私がどのようにしてフランス料理人を志したかを書いていきます

私が料理人を志したのは大学四年生の頃

その時、私がなりたい職業はミュージシャンでしたが、努力をして上手くなる才能が無く挫折。
要するに、自分より才能があるのに、自分より遥かに努力をし、自分より大きな夢を持つ人が周りに沢山いたので諦めました

では、どうするか?
私が出した答えは公務員になって安定した生活を送りたい、でした
その時代まだ公務員であった郵政の内勤と外勤を両方志願しましたが、勉強をほとんどしていなかった私は知能試験で落ちました

では、どうするか?
私が出した答えは、大好きなアパレル関係の仕事をしたい、でした
BEAMS、イッセイミヤケ、RT、ジーンズメイト
などいろいろうけましたが、勉強をほとんどしていなかった私はほぼ知能試験でおちました
かろうじて面接も2件しましたが、おちました

では、どうするか?
私が出した答えは自分が好きな音楽が流れていそうな職場で働きたい
レコード会社など受けましたが、、
こんな適当な奴が受かるほど世の中甘くありません、ただでさえこの時代は【就職氷河期】と呼ばれるほど就職の倍率が高い時代でした

この時点でお気づきだと思いますが、飲食、レストランは一件も受けていません
どこにも就職出来ずに途方に暮れた私は、とりあえず何となく始めたファミリーレストランのキッチンのアルバイトをしていく中で、料理って嫌いじゃないな、と思いはじめていました。
家でも自炊をけっこうしていたし、料理本も買って真似して作ったり、友達呼んで振る舞ったりすることも楽しかった。
大学を卒業した後、料理専門学校に1年通わせていただき、料理人になることに決めました

学生をしながら、地元のフランス料理店でアルバイトをしていましたが、そこで食べた【オレンジ風味のクレームブリュレ】が衝撃的に美味しく、食べたことも嗅いだことも無い新しい体験に心ときめかせフランス料理人になることを決めました。

この続きの私の料理人の自伝は、料理紹介の合間に、気が向いた時にちょこちょこ挟みながらノートを書いていきます

次回は、私のデザートのスペシャリテ
【枇杷のブランマンジェ】
について書いていきます。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?