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ときにはデザインの原則から逸脱することがあっても構わない

プレゼンスライドをデザインするとき、デザインの原則から逸脱してしまっても構いません。例外は必ずあります。やむをえずデザイン面で妥協した結果、あるいは違和感を演出するためにわざと、セオリーや原則を破ることがあります。でもそれは、デザインのセオリーがわかっていればこそできる話です。

プレゼンスライドをデザインするとき、デザインのセオリーやルールから逸脱することもあります。例外は必ずあるので、そのこと自体はとくに問題ありません。スライドに載せるコンテンツによってはやむなくデザイン面で妥協せざるを得ず、デザインのセオリーから外れることもあれば、違和感を演出するためにわざとそのセオリーを破る場合もあります。でもそれは、デザインのセオリーがわかっていてはじめてやれることです。

図1 ときにはデザインの原則から逸脱することもある

この「センスのいいプレゼンスライドを作ろう」のシリーズ記事で、これまで、プレゼンスライドをデザインするときの様々なセオリーやルールを紹介してきました。しかし、それらを絶対に守らなければならないのかと言われると、そうではありません。テクニックについても、それらを実践すると効果があるというだけで、必ずそうしなければならないということではありません。

もちろん、デザインのセオリーやルールに忠実に従って、紹介したテクニックを実践することで、スライドデザインが改善されるのは間違いありません。しかし、内容によっては、そうしたくてもできないこともあれば、そうしない方がいい場合もあります。デザインはあくまで手段です。プレゼンスライドの本質は、それを見ている人に、発表者が伝えたいことを正確に確実に伝えて理解してもらうことです。そのためには、少々、デザイン的なセオリーを無視することがあっても問題ありません。セオリーに忠実にあろうとしすぎたために、内容がわかりにくくなってしまっては本末転倒です。

例えば、フォントです。基本的に、スライドの中で使うフォントをコロコロと変えるのはあまりよろしくありません。しかし、どうしても他のフォントでないと表現できない特殊文字もあります。図2を見てください。例えば、「µ(マイクロ、ミュー)」というギリシャ文字があります。mm(ミリメートル)の千分の一の長さの単位「µm(マイクロメートル)」でよく使われます。使っているフォントでこのギリシャ文字を表示できない場合は、その部分だけ他のフォントを使わざるをえませんが、これは致し方ないことです。同じくギリシャ文字の「α(アルファ)」も頻繁に使う特殊文字ですが、フォントの種類によっては、アルファベットの「a(Aの小文字)」と区別が付きにくい場合があります。そんなときは、視認性を優先して、別のフォントを使うのが望ましいです。セオリーから外れるからといって、無理に同じフォントを使う必要はありません。

図2 あえて別フォントを使う

文字サイズを揃えるべきという原則についても、例えばスライド表題を48pt、本文テキストを18pt、図のキャプション(説明文)を14ptにすると決めたとしましょう。その文字サイズですべてのスライドを作ってみたものの、あるページだけ、スライド表題がちょっと長くなってしまってどうしても収まりが悪いとなった場合、表題の文字サイズを少し小さく、47ptにしても、とくに問題はありません。違いはほとんど認識できないはずです。

文字サイズを同じにすることにこだわった結果、図3のように、表題の最後の1文字だけ改行されて変な形で2行になってしまうよりは、よっぽどマシです。別の記事で説明したように、文字サイズを同じ48ptにしたまま、文字間隔を狭めてちょうどいい長さになるようにテキスト幅を調整する方法もありますが、実際、そのどちらの方法でも違いはほとんどありません。

図3 あえて文字サイズを変える

整列させるという原則についても、図4に示したように、左揃えにしているページで構成されたプレゼンスライドの中に、一部、中央揃えのレイアウトのページが例外的に混在することがあってもよいと思います。中央揃えのレイアウトがふさわしいコンテンツならば、無理に左揃えにこだわることもありません。むしろ、内容に合わせた整列方法をとる方が自然です。

図4 あえて整列の仕方を変える

左揃えですべて揃えるにしても、例えば、スライドに詰め込むコンテンツの分量によっては、スライド表題の位置を、前のページと比べて少しずらした方が、結果的に収まりがいい場合もあります。ただし、そうは言っても、やはり同一ページ内においては、よっぽどのことがない限りは整列の原則は崩さない方がよいです。同じページ内では、整列されていない状態は一目でわかってしまいます。整列の原則はそれぐらい重要です。

デザインのセオリーや原則から逸脱するにしても、それをちゃんと意識して逸脱するべきです。セオリーに従うことよりも重要な理由があってセオリーから外れるならば、それも仕方ありません。こっちの原則に従おうとすると、あっちの原則を守れないこともあります。すべてわかった上で、どうすべきか総合的に判断すればよいことです。



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