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“表現すること”の諦めと思い直しについて

小学校6年生で卒業文集に「将来の夢はミュージカルの演出家」と書いたとき、そこにもちろん明るい夢を描いたけれど、ある種の“諦め”もあったと思う。
それは、「ミュージカル女優になることは難しいだろうな」という諦めだった。

諦めたような、諦めきれないような

小さい頃から、歌ったり、踊ったりするのが好きだった。絵を描いたり、物語を書いたりすることも好きだった。
小学3年生のときにミュージカルを初めて生で観て感動して、憧れるようになった。それからピアノ、バレエ、ミュージカルと習い事をかけもちして、忙しいけれど楽しい日々だった。

でも同時に、小学生ながらに「超えられない壁」を感じていた。
今でも覚えているのは、ミュージカルでのセリフの練習のとき。一人ずつ、離れたところにいる仲間に向かってセリフを言うのだけれど、私の声は何回やっても「聞こえない」と言われて、悔しくて泣いた。
バレエやミュージカルを一緒に習っていた子たちの中にはすごく上手で華のある子がいて(もちろん彼女たちは相当の努力をしているのだけど)、どうあがいても敵わないと感じた。

そんな中で小学6年生のときに学校でちょこっと劇の演出めいたことをして、演者じゃなくても、演出する側も楽しいかも、と思い「演出家になりたい」と書いたのだと思う。(よく考えたらミュージカルの演出家になることもすごくハードルが高い)

それでもやっぱり自分が演じることも好きで、中学から高校まで、文化祭ではほぼ毎年のようにミュージカルっぽいことをやっていたし、吹奏楽部の演奏会にもミュージカルを持ちこんでしまったし、演劇同好会も立ち上げてしまった。

「それなりにやりきった」と感じて、大人になったら芸術に触れるのは趣味にしておいて、仕事は社会課題を解決するような方向を目指そう、と思った。これはポジティブな方向でもあり、でもやっぱり諦めの要素もあったんだと思う。
それで結局ディレクター(テレビのディレクターは舞台の演出家とは少し違うけれど、単純に演出家を英語にするとディレクター)という仕事を選んだのは、社会課題の解決にもつながると思ったし、そこに自分の表現の余地がちょっとでもあるんじゃないかと感じた(諦めきれなかった)、というのもある気がする。

テレビのディレクターになってみて思うのは、もちろん映像は表現の場にもなりうるけれど、まずは「他者を映し出す」ものだということ。(ほんとは、これからもっと表現できるように技量をつけていきたいけれど。)
それから、自分の身体を使って自分で表現することとはまた少し違うな、とも思っていた。

そんな私が、この1か月くらいで、「やっぱり好きに表現してみてもいいかも」と思い始めた、という話。


十勝という地で表現する人たち

先月の1か月間、私は「ローカルフレンズ滞在記」という企画で十勝の各所に1週間ずつ滞在し、毎週取材と編集を繰り返してリポートを放送した。
案内役の濱家勇さんは会社員をしながらバンド活動もしていて、十勝で文化や芸術に関わる人たちを紹介してくれた。

“表現する人たち”を取材するのは、芸術が好きな私としてはとても楽しく、出会う人たちはとても素敵な人たちばかりだった。
幸せな気持ちと同時に、うらやましい気持ちや、「自分も表現したい」という気持ちも湧いてきた。

1か月の取材を終えて、濱家さんに「表現するってハードルが高いなって思ってたんですけど、出会った人たちが純粋に自分が表現したいことを存分に表現していて、なんだか私も表現したくなりました」と伝えた。
すると、転勤で十勝に来てからバンド活動を再開したという濱家さんから「十勝に来て表現するハードルは下がったかも。求められてるのが技術じゃなくて、人だったり気持ちだったってわかったから」と返ってきた。

言われてみれば、取材で出会った人たちは、十勝という土地の自然や風土に刺激を受けたり、十勝で出会った人のつながりに触発されたりしながら、自分らしい表現を生み出していた。


上士幌町のぬかびら源泉郷で音楽を作っているシラサキトオルさんは、移住のきっかけこそ「温泉が好き」という理由だったけれど、自然の中に身を置くことになって、結果的には移住前に休止していた音楽活動を再開させることになった。時間があればギター片手に森へふらっと出かけるような生活の中で、自然と「音楽がつくりたい」気持ちがわいてきたという。

「僕らはこのままで このままでいいのさ」「今からでも遅くはないから 今からでも何かできるはず」と歌うシラサキさんの歌詞が、今になってちょっとしみる。


中札内村の絵描き、熊谷隼人さんは、十勝に移住してから、一人で絵を描くだけでなく、知り合った人たちと一緒に絵を描くということを始めた。そこでたくさんの色を使って自由に描く人たちにふれて、もっと自由でいいと思えるようになったようだった。
「全部の色から許され始めている感じがして、嬉しい」と彼は語った。

更別村のレストランで働く料理家の中村果歩さんは、「料理は『あたたかさを伝えたい』という私の思いを表現する方法のひとつ」と言った。
地元の農家や猟師との出会いから日々新たに生み出される料理には、斬新さがありつつ、懐かしさとあたたかさがあった。
文章を書くことも、彼女が持つもうひとつの表現だった。


新得町のトムラウシという山奥で素敵なウェディングブーケなどを作っているフローリストの野村絵里さんは、以前住んでいた大阪の忙しなさから解放され、自分のペースで楽しみながら花の作品づくりをしていた。
アトリエを囲む森は、木の枝や葉っぱなど素材の宝庫でもあり、日々色を変える景色そのものがアイデアの宝庫でもあった。


幕別町で音楽フェスを開催した福島智大さんと長坂実祐さんは、十勝でそれぞれ音楽と食とで表現を続けてきた人であり、十勝が好きだからこそ、「十勝の若い人たちが思い切り表現する場を作りたい」という熱い思いを形にしていた。その思いは、高校生や若い人たちにしっかりと伝わっていた。


自分の思う表現でいい

こうした人たちとの出会いを経て、手段はまだよくわからないけれど、何かしらの形で自分の表現をしてみたい、と思う自分がいる。
誰かと比べて敵わない、とかじゃなく、自分の好きな形でいいと、言ってもらえた気がする。

そんなわけで、自分が続けている数少ない表現のひとつがトランペットなもので、これは続けていきたいなという思いもあらためて感じているところです。
今月13日(土)に札幌で吹奏楽団の演奏会に出るので、お近くの方はぜひ…(突然の宣伝)。

演奏会チラシ


ほかの表現の仕方も、これからいろいろ試してみたいなと思っている。
そして、そう思えたのがこの北海道、十勝という土地で、本当に良かったなと思う。

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