京都の遊郭跡地 西陣五番町

「遊郭」という言葉には魔力が宿っている。

京都にある元「赤線地帯」の一つに、下町「西陣」の「五番町」がある。

かつて、庶民派の遊郭があった地域だと知り、今は住宅地となった「五番町」に散歩に出てみた。
二条駅を出て千本通りに沿って20分程度歩くと、五番町に差し掛かる。今は、賃貸物件や比較的新しい一軒家が立ち並んでひっそりとしている。

そんな中、創業300年を超える老舗のすっぽん料理屋「大市」が威風堂々と門を構えている。
「すっぽん料理」と「遊郭」。艶っぽい妄想を働かせながら「すっぽんって即効性あるのか?」などとも考える。

続いて「焼肉江畑」。廓(くるわ)の面影を残した建物で営業されている。
「廓」と「肉」。これまた抽象的になまめかしい。

五番町を北に進み、千本通りと交差する「西陣商店街」は、令和の今も昔ながらのノスタルジックな雰囲気に溢れている。

商店街の入り口付近で鉄板の案内地図を眺めていると、後ろから声を掛けられた。

「私は子供の頃からこの辺に住んでおるのよ。」
見たところ、70代と見えるご年輩の方がニコニコとして立っている。

へぇ!じゃあ、五番町に遊郭があった頃もご存じですか?!興奮気味に訪ねてみると、こんな話を聞かせてくれた。

五番町に遊郭があった頃は・・自分も子供やったからねぇ、親から「あっちの方には行ったらいかんよ」と言われてたから、あんまり記憶はないんよね。ただ、働いている女の人等が定期的に検診をうけるのに、ほら、あの辺にお医者さんがおってね、そこに診てもらいにくるわけよ。自分たちは子供やけど、不思議な気がしてね、お医者さんのあたりを見にいったりしてた。

女の人達の管理する歳取った女の人を「おしかバァさん」と呼んどってね、この辺りには何人も「おしかバァさん」がおったんよ。なんで「おしかバァさん」かって?なんでやろねー、理由は知らんなぁ。

ある日、おしかバァさんに「坊が大きぃなったら、(廓に)入れたるからなぁ」って言われたんを覚えてるわ。大人になる前に遊郭は無くなってしもたけどね。あ、五番町は映画の舞台になったんよ。
水上勉っていう有名な映画監督の「五番町夕霧楼」。えぇ話やったよ。この辺りは昔は映画館がいっぱいあった。あぁ、日活は・・・新しぃなったねぇ(笑)

京都に住み始めて1年弱、一人散歩をすることが増えた。時々、寂しいなぁと思いながら道を歩く。そんな時でも、こうして一期一会のたわいもない話を、けれども、その場所で長く暮らしてきた人だけが知る話を聞かせてもらえることも、しばしばある。

観光業に携わる身で、こうした事を言うのもはばかられるが、コロナパニックもなく、京都が相変わらずのオーバーツーリズムで喘いでいとしたら、」こんな体験はできなかったかもしれない。

人生の記憶はこうした日常の一コマで紡いでいかれるモノ。寂しい気分を紛らわすように、これからも「京都」を散歩しよう。




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