見出し画像

あ、変わったんだ。

久しぶりに、小説を読んでいる。
このところ読んでいたものといったら、対談集や、コラムや、詩集や、エッセイや、実用書や、言葉集や、
そのときの私の身に即した現実的なものが多かったように思う。

現実的なもの、とはいったものの、
私にとっての小説は、もう一つの現実だから、フィクションとノンフィクション、という明確な区別をしているわけでは決してない。
同じ紙の集まりという形を持っているから、そこに書かれていることが現実か非現実かなんて区別を、
私の頭はできない。
…ということに気づいたのは今年の3月の頭だった気がする。

だから、長らく小説から遠ざかっていたことに、意思はない。
ないけれど、本の部屋に行って、さて何を読もうかなと思ったときに小説を手に取らなかったのは、そこにある世界に浸かる余裕がなかったからだ。
別の人の思考と行動を文字でなぞるのには、
私の"ここのところ"は少しハードだった。

そうして読み始めたのは、たぶん3度目の再読。
ここ数年の島本さんの作品は、読んでいて辛くない。以前は主人公が閉じてい流ように感じられて、読んで一緒に堕ちていた。このところは、読後ふっと軽くなる。それは作風の変化だと私は思っている。
けれども、今日いままさに、以下の部分を読んで、思わず微笑んだ自分に気づいた。これは、私の変化。

おそるおそる薄目を開くと、吉沢さんがソファーの向かいに座っていた。私の視線に気付くと、窓のほうを振り返って
「あなたは苦手かもしれないけど、雷、けっこう綺麗だよ」
 と言った。
 私は暗い空に落ちてくる鮮明な閃光を見た。まぶたが火照って重かった。
 ほんとうですね、と小さく呟く。綺麗ですね。全身を緊張させながらも、そう思った。そして知った。自分から望んだ形で、誰かに見守られて眠りたかったことを。なんの役にも立たない自分のままで。
『星のように離れて雨のように散った』より

きっと前に読んだときには、この部分に私は激しく共感し、胸打たれ、そして泣いていたと思う。
いまはちがう。

それを知った主人公を、だきしめたいと思った。やさしく、ながく。

いつも、書かれた言葉から気付きをもらってきた。
その時々の自分の調子だったり、何に引っかかっているかだったり、過去から引きずり続けているものだったり、
望む姿だったり、欲しい人だったり、変わることない琴線だったり。

物語をなぞることで私は私を確認していた。
それは私の発見とも言えるようで、
実際のところは模倣だったかもしれない。

主人公を抱きしめたいと思えたことで、
私は私で立っていると、きちんと孤独になれたのだと、
そんなことを実感した。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?