大切な我が猫

2022年10月26日
私の大切な愛猫2号が亡くなった。
彼は私の我が子みたいな猫だった。

2019年8月27日に保護した。
台風で大雨の日だった。
彼はびしょ濡れになり一人で鳴いていた。
1時間離れて待っていても、母猫は戻ってこなかった。
後から知ったが、母猫や兄弟たちは
私の実家の家の近くに住み着いていた。
彼だけが違う場所に残されていた。
これは私個人の考えだけど
彼は発達障害だったため野良で生きていく事ができずに
捨てられてしまったのではないかと思った。

彼はご飯を目の前に持ってこないと食べれなかった。
お水はコップに入ったもの。
お水も目の前に持ってこないと飲めなかった。
自分でトイレにも行けなかった。
入口を教えても自分から入れることは稀だった。
眠たい時は自分で寝れる時もあるけど、それは稀。
一見甘やかしてるようにも思えた。
もう一匹の猫、彼女は完璧だったから。
ただ、ご飯は普通に置いてしまったら食べない。
お水もしっかり飲まさないと、脱水になった。
トイレも連れて行かないと、その場で漏らされる。
トイレに連れて行った後、すぐに処理しなければ
彼の手足や体はフンまみれ。
猫の習性の分などを隠すと言う行為もできない。
寝かさないと、私たちが寝不足になってしまう。
そんな大変世話のかかる可愛い息子だった。
世話がかかるが、せめてもの救いが
基本鳴いて教えてくれることだった。
その呼び鳴きに答えなれば、部屋がフンまみれなどなる。
そんな暮らしが私のルーティーンだ。

10月26日
昼から用事があった。
だから午前中に家もことを済ませる必要があった。
忙しいのに、その日に限って甘えた攻撃だった。
私は少し構った後家事に戻ってしまった。
いく前までは元気だった。
夕方帰ってた時、私は母と電話していた。
その時に嫌な感じがしたので、電話を切った後机の下を見た。
案の定、フンとおしっこをダブルパンチで漏らされていた。
はぁーーーーと大きなため息をついた瞬間。
青紫の肉球が見えて背中がゾッとした。
見覚えのある姿だから。
昔ハリネズミを亡くした際がそうだったから。
急いで彼を抱き抱えると彼は亡くなっていた。
慌てて母に電話をするがどんどん喋れなくなり
大泣きしながら、今すぐきてだけ伝えた。
母の家は私の家から10秒ほどの場所に住んでいる。
すぐに飛んできてくれ、状況を把握した。
そして、時間が時間なので、火葬会社に連絡してくれた。
翌日のお昼に予定になった。

彼との思い出がたくさん蘇り涙が止まらなかった。
3年間病気になるまで毎日毎日一緒の布団で腕枕して寝た。
ほぼ動かない子だったから、基本起きても同じ私のそばで寝ていた。
落ち着かない時でも抱っこしたら落ち着いてくれた。

でも実際、私が彼を抱いて落ち着いていたんだ。
大変だったお世話も病気になってからは、私の生きがいだった。
辛い白血病の治療も彼らがいたから乗り越えられた。
自分の身体、命以上に大切な子たちだった。

私の彼らへの愛情は異常なほどだった。
自分でも理解しているほど。
そんな私から、彼を引き離すのはあまりにも早すぎだ。

もう一匹の愛猫は、彼がいなくなり元気がなくなった。
愛犬の方は毎日、彼に怒られながらも遊んでもらいっていたから
寂しいのかいつも以上に甘えがひどくなった。

私の悲しくて悲しくて仕方がない。
彼がいないのが、慣れない。
いつまで経っても、悲しいし寂しいのだろう。


私の大好きな彼は手の触れられない場所へと足を運んでしまった。

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