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読後感想文「安く救われるな、ちゃんと絶望しよう。」-ぷろおご🍣プロ奢ラレヤー

加えて

読みました。

その人にとって絶望と向き合う人生が幸せかどうかは分からない。
でも、ぷろおごにはそんなことは関係ない。知ったこっちゃない。


なにかに救われた気分になって絶望から目をそらし、漫然と生きている人間はつまらない。
悩み、苦しみ、ドロドロな生活を送っている人間にこそ旨味がある。
いいサシの入った大トロを腹に抱えて奢りにくる。

絶望したまま生きることをニーチェもぷろおごも肯定する。
しかし、その姿勢は両者で異なり、ぷろおごは自分勝手で、ニーチェは自分自身を救済するために筆をとったのではないかと僕は思う。

僕は絶望と聞いてニーチェが提唱した「運命愛」を思い出した。


なにをしても解決の兆しや希望の光が見えてこない。いつまでこの状態が続くのか終わりが見えない。
人生に絶望するというのはニヒリズムに囚われた状態ではないだろうか。

ニヒリズムからの解脱を説いたのがツァラトゥストラであり、「運命愛」という考え方だと思う。
【どんなに辛く苦しい人生であっても、その全てを愛し、同じ人生を繰り返すことを望むほどに生を肯定せよ。】
これは絶望と向き合う思想ではないだろうか。

一方、ぷろおごは最近流行りの「自己中心的利他」的に苦悩する人生を肯定する。

苦悩している人が生きていてくれた方が自分にとって都合がいい。
だから、全人類に絶望と向き合い、救われることなく、苦悩しながら生きろと望む。

もしかすると、ニーチェも自分勝手だったのかもしれないな。

この感想だって誰かの為じゃない。
自分の為に書くのだ。

投げ銭は僕が面白がっていることに突っ込ませていただきます。